小説「ベナ拡」のお約束
水戸黄門のような、お約束のパターンがあります。
私が一番伝えたいこと。
「ベナンダンティは拡張現実の夢を見る」はエンタメ小説ですが、現実社会を良くすることを最終目的にしています。
あなたが、善き道を歩む者でありますように。
誰が悪者か
主人公よりも先に、悪者です。いないとお話が成立しません。
「オンラインゲームの運営を脅すユーザー」
「ユーザーをモンスター化させた、運営のガチャ依存」
このふたつが、メインの悪役です。
悪役にアメコミヒーローもののヴィランらしく動いてもらうため、夢の世界を上手く使っています。そこは現実世界の裏側。
地球人が無尽蔵に生み出す「憎悪」を利用する悪役もいますが、彼らは諸悪の根源ではありません。あくまで地球人の問題なのです。地球を侵略せず、社会の歪みから「おこぼれをもらう」だけの宇宙人。
海外では現実に「運営襲撃事件」も起きたそうです。そうなると刑事ドラマの領域となってしまい、私では描き切れるか分かりません(汗)。
日本で「スクエニ襲撃事件」が現実に起きてしまう前に。危険を訴えていきたいですね。ガチャゲーの最大手として、一番あぶない企業です。
主人公はどうするか
「課題の分離」を訴えます。
アドラー心理学であり、ゲシュタルトの祈り。
モンスタークレーマーと化して、夢の世界で暴れ回り。運営に私的制裁まではたらいて、カスタマーハラスメントの限りを尽くす悪役たち。それに対して、主人公ユッフィー(の中の人)は…
「運営を脅すユーザー」には「ガチャ依存の運営など、放っておけ」。
「自分で楽しみをつくる人であれ」と呼びかけます。一番現実的な対処。
小説を書くことが、一番自由なRPGです。
シナリオもビジュアルも、思いのまま。ネタはあらゆる場所に転がってる。
極論すれば、クソな運営がガチャ依存やユーザーを激怒させる暴挙に出てもどうでもいい。それでユーザーの支持を失ってサービス終了してもまったく構わない。それは運営側の課題なので、私たちは課金を止めるだけでいい。
運営側の改善には期待せず、静かに去っていこう。そういう態度です。
立つ鳥、跡を濁さず。無関心こそが、運営にとって一番恐ろしい。
ガチャ依存が日本のゲーム業界を衰退させることを理解できない人は、放置しておくしかありません。「ガチャは不利益を生む」が常識になる日まで。
私たちは、権力を持たない一市民。Twitterを買収したイーロン・マスク氏のような財力もありません。どんな暴力を持ってしても他者は変えられない。現実の世界で暴力を振るうことは、犯罪です。
夢の世界は、グラフィックが美麗になった上に何でもアリな「マインクラフト」みたいな場所なのに、なぜわざわざ現実世界のヘイトを持ち込むのか。
「悪夢のゲーム」の中に「ガチャ」の要素、あるある的なエピソードを持ち込むことで、そのおかしさをコミカルに描いています。
主人公もまた、RPGを愛するだけの普通のおっさんですが。
「課金するなら、見栄えがいい女子アバターで」という現実のゲーム事情を引きずりながらも。自ら楽しみをつくる人であろうとします。
何を目指すか
「ガチャ依存の運営など、放っておけ」
「自分で楽しみをつくる人であれ」
威勢よくたんかを切ったはいいが、やはり現実の壁は厳しい。
日本人の多くは、依存心が強いですからね。お上に頼りきりで、文句は言うのに自分では何もしようとしない。
現実に影響力を持たない主人公は、夢の世界でも悪戦苦闘。
ドン・キホーテが風車を巨人と思って突撃するような、派手な失敗を何度も繰り返します。他のプレイヤーから、ヘイトを向けられもするでしょう。
それでも、与えられるだけの弱者であるよりはいい。そう思って、はたから見れば狂気としか思えない「冒険」をやらかします。
夢での記憶も、もちろん日常の忙しさに流されて薄れてゆく。それに対してできる唯一の抵抗が「夢での体験を小説に書く」。
東方Projectか、SCP財団か。あるいはそれらを超えた高みに鎮座し、今なお多くの創作の源流ともなっているクトゥルフ神話のポジションか。
現代のドン・キホーテが夢見るのは。
「ベナ拡」の世界をそんなシェアード・ワールドに育て上げること。
商業出版には頼れず、新人賞など狙えるレベルでもない未熟者が。どれだけ残酷な現実に抗えるのか。
彼の物語がどんな結末を迎えるかは、作者の私にも見通せません。
もしかすると、この記事を読んでいるあなたが。彼の運命を左右する何かをもたらすかもしれません。
結局。他人をあてにせず、自分で探せって声が聞こえますけどね(笑)。