第5夜 ロックダウン
「あいつはもう襲ってこない…って!?」
「彼にとっての、楽しいアトラクションを用意しましたの」
今夜も夢歩き。ミカがユッフィーと一緒に、稔台工業団地の案内図が描かれた看板前を通り過ぎる。24時間営業の牛丼店も近くにあり、このあたりは深夜でも明るい。
現実の世界に、拡張現実のように重ね合わされた夢の世界。眠っている者だけがアクセスできる悪夢のゲームで、先日バーサーカーから逃げたときとは反対方向に歩くふたり。
ユッフィーの使い魔、チビ竜のボルクスも近くの上空を飛んでいるが、目立った脅威は見つからない。せいぜい不定形のヘドロ「ゲーゲルゲロイム」が排水溝から湧いてくる程度だ。レイドラのマスコットキャラが、ガチャにまつわるプレイヤーの怨念で歪められた姿だとも噂されるが、取るに足らない雑魚モンスターだ。
「ここから松戸新田のほうに20分ほど歩くと、松戸運動公園がありますの。そこの野球場に、ある方にお願いして夜だけの闘技場を建てて頂きました」
夜になれば、あたりの風景は「夢見の技」に上書きされて一変する。閑散とした駐車場にブラックマーケットが現れ、背後にそびえる和名ヶ谷クリーンセンターの大煙突は、東京スカイツリーもびっくりな天を貫く謎の巨塔と化す。高度成長期にオープンするも、地域一帯の開発ブームが終わると共にひっそり閉店した店の廃墟が、冒険者の酒場に塗り変わり喧騒に包まれる。かつて旧陸軍の演習場だった稔台の住宅街が樹海に飲み込まれて、徳川将軍が軍馬を育てる広大な放牧場で御鹿狩を行った頃、松戸が旅人の行き交う宿場町だった当時を思わせる姿に変わってゆく。
「それが、どう関係あるの?」
「闘技場をつくり、そこにバーサーカーを出場させれば。わたくしたちが相手をせずとも、戦闘狂のプレイヤーが集まってきますわ」
ユッフィーもミカも、対戦コンテンツには関心がないほうだ。しかしバーサーカーの元になったPBW会社の社長は別で、毎回新作に何らかのPvP要素を入れてきた。興味がない立場からすればいい迷惑だったが、今回こんな形で役に立ったのだから、自分には持ち得ない発想を持つ現実での彼に感謝しておこう。憎むな殺すな赦しましょう。
なお、悪夢のゲームで建物を立てたりアイテムを作るには、通称「MODマテリアル」と呼ばれる各地のパワーポイントから採取する素材が必要だが。闇市の主・山椒太夫は交易で大量の資材を集めており、工事はすんなり進んだ。
「考えたわね、王女」
「闘技場のほうは、銑十郎さまが様子を見に行って下さってますの」
もう、あの男に追われないで済む。けれどミカの胸中には、まだ晴れないモヤモヤが残っているようにも感じられた。
「王女は、これからどうするの?」
「この近くで、イーノ様がエルル様を見たそうですの。けど彼女は、この悪夢のゲームにNPCとして取り込まれた状態で…」
いつも明るく、ユーモアのあるユッフィーの表情が憂いに沈むのを。ミカは見逃さなかった。ユッフィーが夢の中で交流していたという、異世界の巫女エルル。何度か話に聞いたことのある名だったが、彼女にとってそれほど大切な人なのだろうか。
「何とかしてエルル様を救出し、それから今わたくしたちが置かれている『夢の中のロックダウン』から、みなさまを解放しますわ」
ミカがはじめて悪夢の中で目覚めたときの、奇妙な浮遊感。そしてその直後に見えない天井に頭をぶつけ、地面に落とされたときの記憶。あれがユッフィーの言う「ロックダウン」と関係しているのだろうか。
24時間営業のコンビニ、深夜営業中のとんこつラーメン店の脇を通りながら、ミカは王女と慕う少女の話に耳を傾ける。
「私にできることなら、王女に協力するわ。この前は助けてもらったし」
「ありがとうございますの」
先日ユッフィーが、ミカとバーサーカーに大見得を切った書道教室のすぐそばで。ふたりは固い握手とハグを交わした。
「何かしら、あれ…?」
道なりに進むと、左手にスーパー銭湯の明かりが見える。こんな遅くまで営業しているのだろうか。ミカの声にユッフィーもそちらへ視線を向ける。
「ここは、深夜1時で閉店のはずですわ。となると、夜の顔に変わったのでしょう」
「ゆっフィーの里、って書いてあるけど…?」
昼間は別の名前で営業しているスーパー銭湯の看板がなぜか見慣れない、奇妙なものに変わっていた。夢見の技で別の看板を作り、本来のそれにかぶせたのだろう。起きている人間には見えないから、深夜に通りかかった者には、元の文字がそのまま見えるはずだ。
「…わたくし、何も手を加えてませんわよ?」
「ということは、他のプレイヤーの仕業?」
しかしふたりとも、心当たりはなかった。ユッフィーもミカも、先日関わった「緑の魔女」のような大物の討伐戦には加わっておらず、ハンターたちのランキングでも圏外だ。無名のはずなのに、誰がやったのか。
「ともかく、中に入ってみますの」
現実の店舗では扉が閉まっており、たぶん警備システムも作動している。けれども拡張現実めいて飾り付けられた木の扉は、ひとりでに開いて来客を出迎えた。ふたりは幽霊の如くスッとドアをすり抜け、夢見の技でカラフルな照明の灯った店内に入っていった。
★ ★ ★
「スーパー銭湯アイドル『分裂』のステージへぇ、ようこそぉ!!」
入口からすぐの階段をのぼる最中、2階から奇妙な声が聞こえた。
「この声は、エルル様!?」
「何だか、縁起の悪いグループ名ね」
疑問を感じながら、ユッフィーとミカが階段をのぼり終えると。銭湯の受付前ロビーにエルルがいて、右手の天井近くの高い場所に掛けられた液晶テレビの下で歌っていた。しかも4人いて、衣装も微妙に違う。いったいどういう分身の術だ。
「…ナニコレ!?」
左手の休憩スペースや、奥の食堂を満席で埋めて歓声をあげている観客も全部エルル、奥の受付に立っているスタッフもエルル、食堂で何か作ってるエプロン姿の調理担当もみんなエルルだった。エルルの群れ。
現実には明かりも落ちて真っ暗だが、ここも夢見の技で天井にミニチュアサイズのオーロラが明るく揺らめいており、昼間とは異なった幻想的な雰囲気を演出していた。
「NPC化って、こういうことでしたのね」
悪夢のゲームに取り込まれたエルルは、夢見の技で複製されたアバターがNPCやガチャ産キャラとして各地に多数散らばっている。頭では理解していたが、こうして何十人ものエルルがいっぺんに出てくると圧巻だ。幸いなのは、本人の人柄の良さもあってみんな仲良く和気あいあいとしていて、癒しオーラに満ちているところか。
しばらく、エルルたちの歌に耳を傾けるユッフィーとミカ。陽気でコミカルなその歌詞は「ある日、氷都でひょっこり氷河期の優しいおじさんに出会った」と続いている。ふとミカがユッフィーを見ると、どこかバツが悪そうな…恥ずかしそうな顔をしていた。
「…王女?」
「あっ、イーノさぁん!」
エルルの群れのひとりが来客に気づくと、喜びに目を輝かせて元気いっぱいにユッフィーへ抱きついてきた。ソーシャルディスタンスなど、完全にお構いなし。エルルより背が低いユッフィーは、お姉さんに抱きしめられる小さな女の子といった印象だ。
「エルル様?」
「その姿ではぁ、ユッフィーさぁんでしたねぇ」
きょとんとしているユッフィーに、うっかりしましたとエルルが微笑みながら目を合わせる。
「ボクちゃんもぉ、元気にしてましたかぁ?」
その隣では、ユッフィーの使い魔ボルクスがエルルに抱っこされている。ボルクスもまんざらでない様子で、気持ちよさそうにエルルに甘えていた。
「ミカさぁんも、お久しぶりですぅ」
「銑十郎さぁんは、一緒じゃないんですかぁ?」
エルルたちに話しかけられた瞬間。ミカの頭の中で、違和感が大きくふくれ上がった。
「…初対面、だったわよね?」
しかし、エルルは首を横に振っている。
「氷の世界バルハリアでぇ、一緒に遺跡探索をしたじゃありませんかぁ」
「ミカさぁんとはぁ、地底世界エル・ムンドにも行きましたよぉ?」
エルルたちは、ミカの知らない何かを知っている。
そのとき、客席からわあっと歓声と拍手が巻き起こった。歌が終わったのだ。そしてエルルたちの視線が、一斉にユッフィーとミカに向けられた。
「ユッフィーさぁん!ミカさぁん!」
「わたしぃ、地球に来ちゃいましたぁ♪」
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