「校正」という仕事~牟田都子著『文にあたる』~

朝日新聞2022年10月24日付朝刊に「文化庁の21年度国語世論調査」についての記事が掲載されていた。
それによると、『「大きな声を出すこと」の言い方を聞いたところ、「声をらげる」(79.7%)が、本来の言い方とされてきた「声をあららげる」(12.2%)を上回った』。
この結果について、文化庁の担当者は、『「あらい」「れる」のように「荒」を「あら」「あ」と読む場合の両方があり、それが影響している可能性がある』と見解を述べている。

少し違うが、思い出したのは、「にもかかわらず」という言葉で、校正者の牟田都子氏の著書『文にあたる』(亜紀書房、2022年。以下、本書)の中で紹介されている、新人時代の彼女のエピソードだ。

練習を兼ねて渡されたゲラを、これ以上できないというくらい慎重に読んだつもりだったのに、最初のページを見るやいなや「ここ、落ちてるよ」と指されたのが「にも関わらず」でした。
あわてて『広辞苑』を引くと見出しは「かかわらず」。愕然としました。三十年間「関わらず」だと思って疑ったことがなかった。

私も今まで「にも関わらず」だと思い込んできたので、これを読んだときは本当に驚いた。

校正(校閲とも言うが本稿では校正で統一)という職業については、小説やマンガ、テレビドラマなどのテーマとして扱われることもあり、何となくイメージがあるが、それらで扱われている文章は雑誌・情報誌、あるいは小説などの分野であることが多い。
校正者はその文章の誤字・脱字はもちろん、情報の正確さなどについても時間と人数を掛けて、完全なるチェックを行う(ただし分野によっては正確であれば良いということでもない。詳細は是非本書で)。
それでも著者は『繰り返し校正を通しても、残ってしまう誤植はある』と言う。校正者には『失敗は許されないが常に失敗しているという矛盾』が常につきまとう。

もちろんどの文章も間違いがあってはいけないのだが、本書を読んで校正の重要さを実感したのは「商業印刷校正」についてだ。我々が校正でイメージする「出版校正」では、間違いについては後日訂正文を掲載するとか、書籍であれば版が変わるときに直すことが可能だ。
しかし、「商業印刷校正」については、お詫び・修正ができないばかりか、クライアントの死活問題にまで発展する。

大売出しのチラシで「五月五日まで無休」が「五月五日まで無料」に、「50000円」が「5000円」になっていたら(略)

(太字は引用者)

たった一文字の誤植のために、膨大な印刷物が紙くずと化すことがある。特に鬼門なのがダイヤモンドをはじめとする宝飾類のカタログで、商品の金額が高いから誤植がすぐに致命傷となる。2.0カラットと0.2カラットを間違えてトラック三台分が飛んだり、鑑書と鑑書の一字違いで八百万円が消えたり、大事故が多い。(倉阪鬼一郎『活字狂騒曲』幻冬舎文庫)

(同上)

 『商品名や品番、価格が羅列されたチラシやカタログ』、『保険やクレジットカードの約款・規約、時刻表、理系の学術論文』なども「商業印刷校正」の範疇にあたる。
我々の日常生活において「出版校正」文書より、実はこれらを目にすることの方が多いのではないか、とも思う。
改めて、校正の奥深さ、重大さに恐れ入る。

本書によると一般の書店に並ぶ書籍でも、校正の入っていないものは多くあるらしい。確かに、これらの作業は時間と経費がかかる。さらに現代の電子化時代では、間違いに対する修正も(昔に比べれば)容易になっている。
また、ネットで我々が"note"に書くように、一般の個人が文章を発信することも日常的になっている。
それでも著者は『叶うならすべての本に校正がはいっていることがあたりまえになってほしい』と言う。
『校正は「防災」だというたとえがあります』
『では、校正はいったい何から本を守っているのでしょう』
著者は「本への不信」だと言う。

本は校正をされているもの、間違いがなくてあたりまえのものだと思われている。裏を返せばそれは、本が信頼されているということではないでしょうか。その信頼はどのようにして培われてきたかといえば、これまでに世に出た数多の本の積み重なりです。(略)(信頼があるからこそ)多くの読者にとって、本とは安心して読めるものなのです。

本はかならずしも意図したように読まれるとは限らない。誰かにとっては無数の本の中の一冊に過ぎないとしても、誰かにとってはかけがえのない一冊である。その価値を否定することは誰にもできない。著者自身でさえも。

だから校正者は、「間違いがなくても褒めてもらえないが、間違いがあると責められる」と一見理不尽にも思える職業に、真摯に従事しているのだ。

書籍を読了した後、余韻に浸ることができるのも、校正者の方々が真摯に文章に向き合ってくれたからなのである。


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