彼らがあなたであってもよかった世界(2022/03/30追記)

本稿は2020年5月9日に投稿した記事だが、当時はまだCOVID-19が得体のしれないもので、その不安と恐怖から発生したと思われるデマや不寛容が深刻になってきた時期だった。
2022年3月末である現在、COVID-19については当時よりは落ち着きを取り戻しているが、依然として不安が拭い去れない状況が続いている。
しかも、近隣の国による大規模な軍事的紛争が勃発し、日本にとって「難民」という言葉が、そして『彼らが我々であったかもしれない世界』が、かつてないほどリアリティーをもってきた。
「エンパシー」とは何か、問い直す必要があるのではないか。
(2022/03/30)


国が「緊急事態」を宣言するほどの状況下、一部の人(だと願いたい)が他人に対して心無い言動をしているらしい。そして、そういう人に対しても逆に、世間(という「後ろ盾」を得ていると思っている人)から心無い言動が向けられている、らしい。

今の日本(だけじゃなく世界全体なのかもしれないが)の状況は、もしかしたら「シンパシー」と「エンパシー」が適切に扱われていないことから来ているのかもしれない、と、ふと思う。

「ええっ。いきなり『エンパシーとは何か』とか言われても俺はわからねえぞ。それ、めっちゃディープっていうか、難しくね? で、お前、何て答えを書いたんだ?」
「自分で誰かの靴を履いてみること、って書いた」
自分で誰かの靴を履いてみること、というのは英語の定型表現であり、他人の立場に立ってみるという意味だ。日本語にすれば、empathyは「共感」、「感情移入」または「自己移入」と訳されている言葉だが、確かに、誰かの靴を履いてみるというのはすこぶる的確な表現だ。
(略)
エンパシーと混同されがちな言葉にシンパシーがある。
両者の違いは子どもや英語学習中の外国人が重点的に教わるポイントだが、(略)
 つまり、シンパシーのほうはかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力をしなくても自然に出て来る。だが、エンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業と言えるかもしれない。

ブレイディみかこ著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)
P73-P75「誰かの靴を履いてみること」

「誰かの靴を履いてみる」というのは、違う境遇の人に対して「タイミングや環境によっては、もしかしたら自分も同じようになっていたかもしれない」と想像してみることから始められるかもしれない。
そしてありきたりだが、「思いやり」の心を持つことが大事だったりする。

状況は違うが「国境なき医師団」(MEDECINS SANS FRONTIERES=MSF)の活動を取材していた、いとうせいこう氏はギリシャの難民キャンプでの出来事をこう記している。

そこに美しい長衣をまとった女性が青を基調とした派手なヒジャブを頭にかぶって、これまた身なりのきれいな子供と共にゆったりと歩いてきた。どう見ても中流以上の暮らしをしてきた人だった。しかも、移動の苦難を経てもなお、身だしなみを変えずにいるプライドを彼女は持っていた。
尊厳それ自体が歩いてくるように感じた。
まさに前に書いた「敬意」を自動的に持つ以外ない、それは悠々たる姿であった。
それで俺はさらに気づいたのだった。
彼ら難民が俺たちとなんの違いもないことに
(略)
もし日本が国際紛争に巻き込まれ、東京が戦火に包まれれば、とすぐに想像は頭に浮かんだ。
明日、俺が彼らのようになっても不思議ではないのだ
だからこそ、MSFのスタッフは彼らを大切にするのだとわかった気がした。スタッフの持つ深い「敬意」は「たまたま彼らだった私」の苦難へこうべを垂れる態度だったのである。
(略)
いかにも安っぽい感情として禁じられがちな「同情」。しかしギリシャにいる俺の頭には、それは同時に「compassion」という単語になった。気持ちを同じくすること。思いやり。
なるほどそれは「たまたま彼らだった私」への想像なのだった。上から下へ与えるようなものではない。きわめて水平的に、まるで他者を自己として見るような態度だ。
それは心の自己免疫疾患かもしれなかった。他人を自分としてとらえ、自分を他人としてしまうのだから。
けれどその思考は病ではないはずだった。
むしろ「たまたま彼らだった私」と「たまたま私であった彼ら」という観点こそが、人間という集団をここまで生かしてきたのだ、と俺は思った。
(略)
時間と空間さえずれていれば、難民は俺であり、俺は難民なのだった

いとうせいこう著『「国境なき医師団」を見に行く』(講談社)
P179-P181「ギリシャ編」
※太字は引用者による


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