音楽劇『歌うシャイロック』(感想)
『歌うシャイロック』(鄭義信作・演出。以下、本作)という音楽劇を、途中から「松竹新喜劇」のような感覚で観ていたのだが、何のことはない、制作が松竹だった。
本作は、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』を原作に、セリフを全て関西弁で演じられるという少し変わった趣向だった。
戦後の大阪を彷彿させる衣装に関西弁を話す役者。なのに、役名や地名は全てシェイクスピアのそれ。
何とも不思議な世界なのに、ほとんど違和感がなかった。
その理由はきっと、私は関西ではないがその以西で育ったことも関係があるだろうが、それ以前に両者には確固たる「文化の歴史」或いは「教養の歴史」があるからだろう。
シェイクスピア劇が当時の人たちの日常的な娯楽だったのと同様、関西でも昔から松竹新喜劇や吉本新喜劇、さらには宝塚も含め日常的な娯楽であり続けている(劇場ではほぼ毎日何かしらの劇をやっているし、テレビでも放送されている)。
そして、当時のユダヤ人がそうであったように、関西にもあからさまな差別がある。
「お金」に関する価値観もそうだ。
だから、本作が京都の南座で幕を開けたのは、当然の経緯と言えよう。
とはいえ、私は関西で育ったわけではないので、本当のところはわからないのだが、個人的な肌感覚で、冒頭に挙げたとおり、本作は松竹新喜劇のテイストを纏っているように思えた。
主人公・シャイロック(岸谷五朗)の娘・ジェシカ(中村ゆり)の泣き方や、特に一幕終盤の駆け落ちの時に橋の上から様々なものに別れを告げるシーンなどに、私はそれを感じた。
松竹新喜劇で芝居を運び、その上で、吉本新喜劇(皆で一斉にコケるとか、「あ~怖かった(未知やすえ)」「ごめんください。どなたですか?(桑原和男)」など)+ダジャレ(「タンスにゴン」「道端ジェシカ」など)+コント…というか「マギー」。
グラシアーノ・モロッコ大公・侯爵の3役を演じるマギーはカーテンコールでも主役の岸谷五朗と同じくらいの拍手の量で、もしかしたら観客の中では彼(というか、主にモロッコ大公)の記憶しかない人もいるのではないかと思ってしまうほど、観客を摑みっぱなしだった(ちなみに、「侯爵です」と最初の登場時に名乗るシーンを観て、ふと、後藤ひろひと大王を思いだしたのだが、考えてみると「遊気舎」も関西の劇団だし、何より彼自身が吉本興業に所属しているのだった)。
それにしても本作は贅沢なお芝居で、きっとそれも16世紀のイギリス庶民の楽しみと、文明開化以降の関西庶民の楽しみに通じているのではないか。
20分の幕間を入れて、215分のお芝居。
一幕80分、主役のシャイロックはほとんど登場せず、物語の背景・状況説明に使われた。
その最後に、ジェシカが父親の財産を盗んでロレンゾー(和田正人)と駆け落ちし、嵐が来てアントーニオ(渡部豪太)が破産に追い込まれそうになる展開から、登場人物たちが「嵐が来る、逃げろ」と歌う。
そこにジェシカもいることから、アントーニオだけでなく、愛する人との新しい人生への希望に満ちているジェシカにも嵐が来ることを予感させて幕間となる。
素晴らしい構成だった。
続く二幕は、現代演劇1本分の115分。つまり、これが本編。
ここでは、法廷に乗り込む貴婦人ポーシャを演じる元宝塚の男役トップの真琴つばさが男装してファンを喜ばせたり、そのお供をしている女中ネリッサを女装して演じる福井晶一が「女装の男性として男性を装う」ということで観客の笑いを誘ったり(もちろんマギー演じる侯爵も)、と「喜劇」に相応しいシーンが繰り広げられた。
一方、それによってシャイロックは追い詰められ、駆け落ちが悲劇に終わったジェシカとともに、辛い展開となった(ジェシカがロレンゾーの本心を知ってショックを受ける場面など、中村ゆりは圧巻だった)。
だから、『ヴェニスの商人』はシェイクスピアの意図に反して「悲劇」とみる人も多く、それは多分にシャイロック一家がユダヤ人であることに起因するが、そういった背景は、公には言わないが、日常的な感覚として関西にも通じるのではないかと思った。
しかし、本作は「悲劇」ではなかった。
雪降る中、なけなしの家財と娘を乗せたリアカーを引くシャイロックというラストシーンは、松竹新喜劇の「人情喜劇」に通じていた(松竹新喜劇なら、花道を通っていそう)。
その希望を抱かせる結末は、桜舞う中、差別によって家を奪われた在日朝鮮人の男がリアカーに妻を乗せて出発する、鄭義信の名作『焼肉ドラゴン』にも通じている。
メモ
音楽劇『歌うシャイロック』
2023年3月25日。@サンシャイン劇場
こうやって「新喜劇」と結び付けて考えると、関西の文化的な歴史と教養(「新喜劇」の構造やギャグが「お約束」として体に染みついていて、他の人たちと普通に共有できること)は深いなぁ、と羨ましくなる。
「そこへいくと、東京って、何でもあるけど何にもないなぁ」と、本作を東京で観た私は少し寂しくなった。
シェイクスピアが『ヴェニスの商人』を執筆したのが1597年頃だという。
その時には日本の文化の中心は関西にあり、江戸(東京)は「ただの広大な平野」でしかなく、故に、文化もそれに付随する教養も関西にかなわない。
だから、役名や地名が『ヴェニスの商人』のままで、登場人物が関西弁で話すことに違和感がないのは、当然なのだった。