群ようこさんが自身の作家人生を振り返った自伝的エッセイ『この先には、何がある?』(幻冬舎文庫、2022年。以下、本書)を読んで、少し泣いた。
本書を手に取ったのは本当に気まぐれで、会社近くの書店で平積みになっていたのに手が伸びただけだった。
だが、後から考えれば、何かに導かれたとしか思えない。
目次を見ると「鷺沢さん」と書いてある。気がつくと私はレジに並んでいた。
群さんの本に「鷺沢さん」とあれば、それは間違いなく鷺沢萠さんのことで、鷺沢さんの『海の鳥・空の魚』(角川文庫、1992年)の解説で群さんはこう書いている。
鷺沢さん自身も著書『月刊サギサワ』(講談社文庫、1997年)でこう書いている。
しかし、本書によると実際には「おねえちゃん」ではなかったらしい。
『おねいちゃん、私、ちゃんといってみる』
鷺沢さんの顔と声が浮かんで、少しウルッときてしまった。
本書は冒頭にも書いたとおり、群さんの作家生活を振り返る自伝的エッセイだから、この出会い以降、鷺沢さんのことがちょくちょく書かれるようになる。一緒に麻雀をしたりと楽しいエピソードが綴られているのを微笑ましい気持ちで読みながら、その一方で、ページを繰る作業がカウントダウンのように思えて、どんどん寂しい気持ちにもなっていった。
そしてそれは唐突に来た。「映画原作」というタイトルにすっかり安心しきっていたところを突かれてしまった。
これについては、以前の拙稿で、鷺沢さんの『明日がいい日でありますように。サギサワ@オフィスめめ』(角川書店)を引用したが、本書には群さんから見た鷺沢さんの様子が書かれていた。
鷺沢さんは自身のホームページの掲示板に、こう書いている。
そして、後に残された群さんの混乱と逡巡に、私は泣いた。
そして群さんの怒りが私の心にまで届いて、胸が締め付けられた。
この章以降、鷺沢さんは出てこない。
それは彼女がいなくなっても、群さんや私の時間は進んでいるということであり、それは同時に、時間が止まってしまった鷺沢さんがどんどん過去になってしまうことでもある。
私は本書で、既に過去になってしまっていた鷺沢さんを思い返すことができた。
そして気がついた。
私の本棚には彼女の著書がたくさんある。それらを開けば、いつだって彼女を思い出すことができることに。