鷺沢さんのこと~群ようこ著『この先には、何がある?』~

群ようこさんが自身の作家人生を振り返った自伝的エッセイ『この先には、何がある?』(幻冬舎文庫、2022年。以下、本書)を読んで、少し泣いた。
本書を手に取ったのは本当に気まぐれで、会社近くの書店で平積みになっていたのに手が伸びただけだった。
だが、後から考えれば、何かに導かれたとしか思えない。
目次を見ると「鷺沢さん」と書いてある。気がつくと私はレジに並んでいた。

群さんの本に「鷺沢さん」とあれば、それは間違いなく鷺沢萠さぎさわめぐむさんのことで、鷺沢さんの『海の鳥・空の魚』(角川文庫、1992年)の解説で群さんはこう書いている。

彼女には三人のお姉さんがいながら、私を「おねえちゃん」と呼んでくれるものだから、こちらもかわいい妹のような気になっている。

鷺沢さん自身も著書『月刊サギサワ』(講談社文庫、1997年)でこう書いている。

群ようこさんの誕生日を祝う会。わたしとうちのおねえちゃんで群さんを囲む。「ホンモンのおねえちゃん」と「ニセモンのおねえちゃん」が一堂に会す、という事態である。

しかし、本書によると実際には「おねえちゃん」ではなかったらしい。

待ち合わせの場所の田園調布駅に行くと、すでに鷺沢さんがいて、私の姿を見たとたん、
「おねいちゃーん」
と手を振った。「おねえちゃん」ではなく、「おねいちゃん」だった。私のほうは相変わらず「鷺沢さん」だった。

それ以降、何度か会ったけれど、そのたびに鷺沢さんはちょっと怒っていた。そうであっても、それほど深刻そうではなく、
「ねえ、おねいちゃん、聞いてよお」
と苦笑といった雰囲気だった。彼女が雑誌主催の文学賞を受賞したのにもかかわらず、編集部がその雑誌を送ってこないと、私に話した。
「それはひどいね」
「そうでしょう、ねっ、おねいちゃんもそう思うよね」
「思う。失礼だよ」
「うん、そうなんだよ。でもさあ、ちょっとそういうのって、いいにくくって……」
「うーん、それはそうだよねえ」
私とは何の接点もない雑誌なので、役に立てるわけでもなく、困ったものだと考えていると、突然、
「おねいちゃん、私、ちゃんといってみる」
と彼女が決意したようにいった。

『おねいちゃん、私、ちゃんといってみる』
鷺沢さんの顔と声が浮かんで、少しウルッときてしまった。

本書は冒頭にも書いたとおり、群さんの作家生活を振り返る自伝的エッセイだから、この出会い以降、鷺沢さんのことがちょくちょく書かれるようになる。一緒に麻雀をしたりと楽しいエピソードが綴られているのを微笑ましい気持ちで読みながら、その一方で、ページを繰る作業がカウントダウンのように思えて、どんどん寂しい気持ちにもなっていった。

そしてそれは唐突に来た。「映画原作」というタイトルにすっかり安心しきっていたところを突かれてしまった。

そのファックスを見たのは、月曜日の夜だったと思う。そこには鷺沢さんの秘書のOさんの文字で、折り返し電話を欲しいと電話番号が書いてあった。いったい何だろうかと電話をするとOさんが出た。そして泣きながら、
「鷺沢が亡くなりました」
と小さな声でいう。一瞬、わけがわからなかったが、とっさに、
「交通事故?」
と聞いた。

これについては、以前の拙稿で、鷺沢さんの『明日がいい日でありますように。サギサワ@オフィスめめ』(角川書店)を引用したが、本書には群さんから見た鷺沢さんの様子が書かれていた。

彼女は沖縄の取材旅行から帰ったばかりで、風邪をひいて体調が悪く、機嫌もよくなかった。風邪薬の小瓶を一気に服用しても治らないというので、
「そんな飲み方をしてはだめよ。用法は守らなくちゃ。体を休めないと治らないよ」
と強くいったことは鮮明に覚えている。しかし彼女は、
「えーっ、だって治らないんだもの」
と不満そうだった。
誌面に掲載する写真撮影のとき、ベテランのカメラマンの男性がファインダーをのぞきながら、
「暗いなあ、暗い」
と何度も鷺沢さんの表情にだめ出しをしているのがとても不思議だった。それらがすべてOさんとの電話でつながったような気がしてとても落胆した。

鷺沢さんは自身のホームページの掲示板に、こう書いている。

ルル(引用者註:市販の風邪薬)をひと瓶あけました。
ルル中。ヤク中。
しつこいな、今回の風邪。

そして、後に残された群さんの混乱と逡巡に、私は泣いた。

「おねいちゃんの老後の仲間に私も入れてくれるよね。忘れてないよね」
と念を押していた。そういう人があんな最後を選ぶだろうかと、納得できなかった。風邪を早く治したいあせりで、また用量を守らずに服用したり、お酒や常用している薬と一緒に飲んだのではないか。その結果の事故としか考えられなかった。彼女は自分がそう思っていないのに、口先だけで耳障りのいいことをいうなんて、絶対にできない人だった。どちらかというと、思ったことは口に出す人だったので、自分が亡くなろうと考えているのに、それを隠して老後の話などするわけがないのだ。

そして群さんの怒りが私の心にまで届いて、胸が締め付けられた。

このような場所で、彼女に関する原稿依頼をしてくる編集者には腹が立った。いちおう彼は、
「こんな場所でなんですが」
とはいっていたが、そう思っているのなら自粛しろといいたくなったが、それはぐっとこらえて断った。彼にしてみれば、作家や著名人が集まっていたので、一度に仕事が済むと思ったのだろうが、その無神経さに呆れ果てた。

この章以降、鷺沢さんは出てこない。
それは彼女がいなくなっても、群さんや私の時間は進んでいるということであり、それは同時に、時間が止まってしまった鷺沢さんがどんどん過去になってしまうことでもある。

私は本書で、既に過去になってしまっていた鷺沢さんを思い返すことができた。
そして気がついた。
私の本棚には彼女の著書がたくさんある。それらを開けば、いつだって彼女を思い出すことができることに。


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