そう、バージニア、サンタクロースはいるのです。ルドルフの赤い鼻を追いかけよう。世界中の子どもはサンタクロースを信じている(追記・改訂)

サンタは、いるの?

愚問だ。サンタはいる。ちゃんと新聞にそう書いてある。
ニューヨークのサン新聞の1897年9月21日火曜日付けの「社説」に、ちゃんと。

 そう、バージニア、サンタクロースはいるのです。
 サンタクロースがいる、というのは、この世の中に愛や、やさしさや、思いやりがあるのと同じくらい、たしかなものです。わたしたちのまわりにある愛や思いやりは、あなたの生活を美しく楽しいものにしているでしょう?
 もし、サンタクロースがいなかったとしたら、この世の中はどんなにつまらないことでしょう! サンタクロースがいないなんて、バージニアみたいな子どもがいない、というのと同じくらいさびしいことだと思いますよ。

『サンタの友だちバージニア 「サンタは いるの?」と新聞社へ投書した少女』(村上ゆみ子著・東逸子絵。偕成社、1994年。以下、本書)という児童書によると、アメリカで有名なこの社説は、当時8歳だったバージニア・オハンロンという少女の投書への回答だったそうである。
友だちに「サンタはいない」と言われてショックを受けたバージニアは、父親のアドバイスもあり、真実を知るため新聞社へ投書したという。

そして、バージニアの純真な質問に真摯に答えたのが、フランシス・ファーセラス・チャーチ氏である。
本書によると、当初、チャーチ氏は『新聞の社説で、子どもの質問に真面目に答える』ことを渋ったそうである。
たまたま2020年12月23日の朝日新聞夕刊にバージニアの記事が掲載されており、国際基督教大学の森本あんり教授が寄稿しているのだが、それによるとチャーチ氏は『冷徹な皮肉屋だった』という。
しかし、最終的には毎年クリスマスに様々な媒体で繰り返し掲載される「有名な」社説を書くことになる。

 それは、「サンタクロースっているのでしょうか?」という質問が、とてもたいせつなものだったからです。子どもはだれでも、この質問をします。でも、新聞でだれかがちゃんと答えてあげたことはあったでしょうか?いいえ、いちどもなかったのです。

森本氏は『おそらく、日頃の自分自身に向かって書いたのだろう。そういう彼の内心を社説に据えて正面から世に問うたところに、世界の善を信じるこの新聞の矜持が見える』と評する。

この社説を、バージニアは最初母親に読み聞かせてもらい、そして、夜帰宅した父親にもう一度読み聞かせてもらったそうだ。

その後、その喜びを忘れなかったバージニアは、女子学生としては20世紀初頭において珍しかったコロンビア大学の文学修士号を取得し、会社勤めを経たあと、教職に就く。

 一九四七年、バージニアはニューヨークのロワー・イーストサイドとよばれる地域で、<公立校三十一>の校長先生となっていました。六百七十人の生徒がいる大きな小学校で、そのうち八つの教室は身体に障害のある子や、心臓に病気のある子などのための<特別クラス>でした。
(略)
そして、クリスマスには六百七十人の生徒の全員に、ちゃんとサンタクロースからプレゼントがとどいたのです。一人のこらず全員にね。それはバージニア先生が、サンタに手紙を書いて、とくに念をおしておねがいしたからです。だれもがおどろいたのは、バージニアがこの学校の六百人以上の生徒の一人ひとりの顔を見て、名前をぜんぶいえたことでした。

本書の著者村上ゆみ子氏は朝日新聞の夕刊で『バージニアは病気の子や貧しい子を気にかけていた。クリスマスを『与える日』に、と訴え続けた』と話している。

バージニアは 69歳まで教師を続け、1971年5月13日、81歳で亡くなった。

 バージニアおばあちゃんがなくなった時、いろいろな新聞に、記事が出ました。だれもが知っているあの一節「そう、バージニア、サンタクロースはいるのです」に出てくる少女バージニアが、とうとう年をとってなくなった、というお知らせでした。
「ニューヨーク・タイムズ」という新聞には、<サンタの友だち、バージニア・オハンロンなくなる>と、第一面に記事が出ました。
 ほかの新聞は、<サンタを探しにいってしまったバージニア>という見出しをつけました。
「バージニア」という少女の名前は、人びとの心の中にしっかりと残っています。そして、みんなの心の中では、バージニアはいつまでたっても八歳の純粋な女の子のままなのです。

ルドルフの赤い鼻

ルドルフは世界一有名なトナカイだ。
9頭いるトナカイの先頭でソリを引くルドルフ自慢の赤い鼻は赤外線を発すると言われており、その赤い鼻を頼りに、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)がクリスマスの夜のサンタクロース(「Big Red One」)の現在地をリアルタイムで追跡しているのである。

このカナダ・アメリカ合同の国家機関が大真面目にサンタクロースを追跡するようになったのも、サンタクロースを信じる子どもがきっかけだった。

この恒例行事は、1955 年にコロラド スプリングスに拠点を置くシアーズ ローバック社が、子供向けに「サンタへの直通電話」を開設したときに、 誤った電話番号を広告に掲載したのがきっかけとなって始まりました。サンタにつながるはずのその番号は、なんと CONAD(中央防衛航空軍基地)の司令長官のホットラインの番号だったのです。子供たちからの電話を受けた当時の司令官ハリー シャウプ大佐は、サンタが北極から南に向かった形跡がないか部下にレーダーで確認させました。そして、電話を掛けてきた子供たちにサンタの現在地の最新情報を順次伝えたことから、この伝統が生まれました。
1958 年、カナダと米国の両政府は「北米航空宇宙防衛司令部(通称 NORAD)」として知られる両国が共同運営する北米防空組織を創設しました。そしてそれが、サンタの追跡という伝統も引き継いだというわけです。
(AI-Aviation HPより引用)

子どもたち、そして大人たちへ

バージニアは生前、よくこう言っていたそうである。

「わたしは、サンタはいるの?という質問をしただけで、たいしたことをしたわけじゃないのよ。わたしは、ちっともえらくないの。でも、チャーチさんの書いた社説がとても美しかったから、みんながこの文章を覚えるようになったわ。ほんとうにすばらしいことをしたのは、チャーチさんなの」

そのチャーチ氏による社説は、サンタクロースの存在だけではなく、もっと大事なことを教えてくれる。
それは、インターネットという技術を持ってしまった我々現代人が忘れてしまったものなのかもしれない。

 このごろは、なんでもかんでも「そんなのはうそだ」と疑ってかかる人が多いけれど(略)。目に見えるものしか信じようとしないし、自分の頭で考えても理解できないものは、「あるもんか」と思ってしまうのです。自分の頭で考えられることなど、おとなだって子どもだって、そんなに多くないのですよ。

目に見えない世界は、一枚のカーテンでおおわれていて、どんな力持ちでも、力持ちが何十人集まっても、そのカーテンを、引きさくことはできません。そのカーテンを開けることができるのは、信じる心、想像力、詩、愛、夢見る気持ちだけなのです。そういう心さえあれば、カーテンのむこうにひろがる、美しく、きらきらした輝かしい世界を見ることができるのです。

そして、社説はこう結ばれる。

 サンタクロースがいないだなんて!うれしいことに、サンタクロースはちゃんといるし、これからもずっと生きつづけるでしょう。今から一千年たっても、いえ、その百倍の月日が流れても、サンタクロースは子どもたちの心の喜びとして、ずっとずっと、生きつづけることでしょう。

この社説から120年以上経った現在においても、サンタクロースは子どもたちの心の喜びとして、生き続けている。そしてこれからも。

そして、2020年12月24日

COVID-19によって辛い日々を過ごしている世界中の子どもたちに愛と元気、そして、夢を信じる力を失わせないため、ルドルフ率いるトナカイたちが引くソリに乗って、サンタクロースが空を飛んだのである。

NORADの追跡によると、サンタクロースは24日、23時過ぎにオーストラリアから札幌まで太平洋を一気に北上し、その後東京まで南下、以降、金沢、名古屋、京都、広島、下関、長崎を経由し、23時20分に那覇へ。そして、韓国へ向かった。

社説全文について

社説原文(英語)
日本語訳(大久保ゆう・訳) (注:訳者違いのため、本稿引用文とは異なる)。

私自身のこと

先日、Yahoo!の「コロナ禍の子どもたちへ「絵本」のプレゼントを届けたい!」というチャリティーに、ささやかな額だが寄付をした。

私は今年生誕半世紀を迎えたオヤジだが、今まで結婚というものを経験したことがないので、「子ども」と触れ合う機会がなかった(今もだが)。だからなのか、「絵本」というものにもあまり縁がない。

そんな私が絵本のチャリティーに寄付したのは、ちょっとした気まぐれのようなものだ。
しかし、年末に向けて2度目のロックダウンが俄かに現実味を帯びてきそうな状況下、絵本で少しでも不安から救えたらと思うし、その先に希望も見い出してもらえたら、とも思うのである。

そして、絵本を届けてくれた「サンタクロース」は本当にいるのだと、そんな夢を信じ続けて欲しいとも願っているのである。

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