喫茶店文化「東の風月堂、西の六曜社」
以前書いた拙稿『三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね』のタイトルは、シンガーソングライターの故・高田渡氏の「コーヒーブルース」の歌詞から拝借し、本文でも高田氏のイノダコーヒー好きを紹介した。
しかし、高田氏は亡くなる直前の2005年に、雑誌のインタビューでこう答えている。
今でも喫茶店文化はあるが、もう高田氏が振り返る『行けば誰かしら仲間に会え』て『何軒も放浪してコーヒー1杯で何時間も話し込む』ようなことはなくなってしまった感がある。
そんなわけで、そのかつての喫茶店文化を京都の「六曜社」、東京・新宿の「風月堂」に関する本を引用しながら、振り返ってみたい。
京都・六曜社
高田氏が好きだった「六曜社」という喫茶店は、現在も営業している。
六曜社の前身の喫茶店「コニーアイランド」がオープンしたのは1950年。
開店当初は鈍かった客足も、1年ほど経つと『長い戦争でコーヒーの味に飢えていた大学教師や学生が店を訪れるようになった』。
京都大学出身の作家・小松左京氏も常連の一人で、短編小説「哲学者の小径」に六曜社とおぼしき店が登場する。
また、同じく作家の瀬戸内寂聴氏も、まだ作家になる前の出版社勤めの頃からの常連だった。
この寂聴氏の証言は、冒頭の高田氏のインタビューとともに、当時の喫茶店文化を物語っている。
この『大体似たような人がいました』という喫茶店では、様々な出会いもあった。
例えば、京都生まれ京都育ちで『高校に入ってから、六曜社に通い始めた』画家の藤波晃氏の証言。
1960年代、「学生の街」京都は安保闘争の影響などで学生運動が活発になり、六曜社もその流れに取り込まれていく。
六曜社の思い出を記した雑誌記事が、当時の様子をリアルに物語ってくれる。
今はもう、『人と人とが触れ合う』こともなくなった。
誰かと知り合うことはおろか、仲間といても、それぞれ自分のスマホの画面を見つめたままで、会話さえしない。
もう、高田氏の記憶にある、あの頃の喫茶店文化はなくなってしまった。
そうインタビューを締めくくった高田氏は、ほどなくして亡くなった。
新宿・風月堂
林哲夫著『喫茶店の時代 あのとき こんな店があった』(ちくま文庫、2020年)にはこう記されている。
その『一くせありげな皆々様』とは、どんな人たちだったのか。
風月堂には当時の東京という状況からか、新劇やアングラ系の作家や役者が多い。
唐十郎は風月堂にほど近い花園神社の境内で「紅テント」を建てて芝居を上演していたのだが、その台本を書いていたのだろうか。
谷川俊太郎や安藤忠雄など新進気鋭のアーチストもいるが、若松孝二や蛭子能収といった「ちょっと常識から外れた(しかし、才能のある)」人もいて、その中間的な位置にビートたけしがいた、という感じであろうか。
その状況は、きっとこんな感じだったのだろう。
そして風月堂もまた、学生運動/安保闘争という時代に飲み込まれていく。
しかし、『ちょっと気どった感じ』の連中がたむろしていた店であるが故、六曜社とは違う運命を辿ることになる。
冒頭の高田渡氏は、ここにも名前が挙がっている。
彼がインタビューで語った『昔は東京にも』には、きっと風月堂も含まれているのだろう。
そして続く『僕の思い出は、もう<六曜社>にしか残っていないんだけどね』という言葉は、かつて行きつけだった喫茶店が、六曜社以外みんな閉店してしまったということも意味しているのだろう。
高田氏というと「酒飲み」のイメージが強いが、「京都・六曜社三代記 喫茶の一族」によると、若いころは『下戸で、飲むのはもっぱらコーヒー。昼頃起きて、下宿から京都市内中心部まで歩き、「はしごコーヒー」をするのが日課だった』そうである。
その高田氏は冒頭のインタビューの中で、こう語っている。
さしてSNS映えもしない、グルメサイトで高点数がつくわけでもない、可もなく不可もなくコメントする必要もないありきたりの味で、高くもなく安くもない、味に見合ったフツーの値段のコーヒー。
でも目的はコーヒーを味わう”コト”(だけ)じゃない。
ただそこにいる”コト”、何もしない”コト”、自分の吐いた煙草の煙が中空を漂うのをぼんやり眺めながら物思いに耽る”コト”、窓ガラスに映る自分の顔を見ながら「このままで良いのか」と自問(自悶?)してみる”コト”、仲間と熱い議論を闘わせる”コト”、気付いたらその議論に知らない人や何故か店員までが混じっていた”コト”、その知らない人らといつの間にかつるむようになっていた”コト”、店員や常連客を好きになった”コト”、他人の別れ話に耳をそばだてた”コト”、自分たちも別れ話をした”コト”(その日は「白い雪の夜」だったかも)……そんな無為な時間を飽きずに繰り返した”コト”…
かつて、そんな様々な”コト”を重ねて『漂う空間や時間が染みついてしまった』ような、風情のある喫茶店が日本の至る所にあった。
今、世の中は「”コト”消費」の時代だという。
そんな時代の中で、『漂う空間や染みついてしまった時間』を作った、かつてそこにいた大勢の人たちの”コト”も消費されていくのだろう。
「風情のある喫茶店」にやって来て、ただ写真や動画を撮ってネットにアップし、グルメサイトに評点とコメントを書き込む。そして再び訪れることはない…
そうやって”コト”を消費することしか知らない人々は、もう新たな『漂う空間や染みついてしまった時間』を作ってくれはしない。
そうして消費され尽くしてしまった喫茶店は…