ちひろ美術館で癒され、考えさせられる
本棚を漁っていたら『金曜夜6時半のちひろ美術館』(藤島淳・文/いわさきちひろ・絵、岩崎書店、1994年)という本が出てきた。
四半世紀以上前、何故この本を購入したのか、まるで覚えていない。
この本は「大人向けの絵本」という感じで、社会の中で戸惑ったり立ちすくんだり悩んだりしている若者たちが、週末の夜、ふと思い立ってちひろ美術館を訪れ、ちひろの絵を見て少しだけど元気や勇気を得る、といった内容の詩が、いわさきちひろの絵をバックに描かれている。
せっかくなので、緊急事態宣言も解消された2021年3月末、久しぶりに、ちひろ美術館・東京に行ってみた。
その前に
「いわさきちひろ」という名前になじみがなくても、きっと誰もが一度は目にしているはず。
その代表が、「戦後最大のベストセラー」とも言われる、黒柳徹子著『窓ぎわのトットちゃん』(講談社文庫、1981年)だろう。
表紙、本文挿絵の全てにちひろの絵が使われているが、この本が書かれたのは、ちひろの死後。
文章の内容に合った絵を選んで使っているのだが、それゆえ、こんなエピソードが残っている。
ある日、原稿に合う絵を探しにちひろ美術館を訪れた黒柳さん。
注記とお願い
本稿では、いわさきちひろの作品名と発表年を角括弧で表記します。
当然ですが、作品自体は掲載できませんのでご了解ください。
もし、作品に興味を持ってくださったなら、ネットで検索などせず、購入とまでは言いませんが図書館などで是非、出版されている絵本や図録などを手にしてください。
絵は小さくなりますが、多くの作品が掲載された、没後30年メモリアルブック『ちひろBOX』(講談社、2004年)が、入門書として最適かと思います。
ちひろ美術館・東京
西武新宿線の各駅停車しか停まらない上井草駅で下車、徒歩10分弱、住宅街の一角にある美術館に到着。
なぜ住宅街の中にあるのかといえば、そこが生前のいわさきちひろの自宅兼アトリエだったからだ。
入館料は大人1,000円。次回その半券を持参すると、500円で入館できる(2021年現在)。
ちひろと子ども
いわさきちひろといえば、子ども・赤ちゃんの絵だろう。
そして、特徴的なのは、輪郭線を使わないこと。
たとえば、[おつむてんてん(1971)]。
水彩の滲みで赤ちゃんのやわらかさを表現している。
[わらびを持つ少女(1972)]も、輪郭線がないことで、黄緑色の背景が同化した少女が一面の花畑にいることがうまく表現されている。
だが、ちひろの最大の特徴は、何と言っても「目」だと思う。
ただの黒い丸(漫画家・ちばてつや氏曰く「スイカのタネ」)なのに、子どもの無垢さや純粋さが表現されていて、子どもが今どんな気持ちでいるのかが伝わってくる。
[小鳥と少女(1971)]も良いが、個人的には[母の日(1972)]が一番好きである。
そんなことを思いながら、絵の中の子どもたちと目を合わせ、表情にほっこりしながら歩いていて、ある絵の前で動けなくなった。
その絵の子どもたちは、明らかに「怒り」の目で私を見ていた。
[世界中の子どもみんなに 平和としあわせを(1970)]
先に挙げた『ちひろBOX』で絵本作家の田島征三氏が寄せたコメントによると、「ベトナムの子どもを支援する会」の野外展に出品された作品で、ちひろが生涯で描いた、いちばん大きな作品とのこと。
確かに、原画は2m近くあった。
その中央下の子どもの目は怒っていた。作品の大きさもあり、私はこの子の目に戦慄を覚え、動けなくなった。誰もいなければ、泣いていたかもしれない。
一般の人はちひろは可愛い子どもの絵が専門だと思っているかもしれないが、ちひろは怒る人である。
ちひろと戦争
ちひろは第二次世界大戦に翻弄され、人生を狂わされた人である。
映画『いわさきちひろ~27歳の旅立ち~』(エグゼクティブプロデューサー・山田洋次/海南友子監督、2012年)によると、ちひろは20歳のとき、戦争に協力的だった両親に強要され、むりやり結婚させられてしまう。その夫と旧満州・大連に渡るが、ちひろは夫に心も体も開かなかったという。そして、その関係に思い悩んだ夫は首つり自殺を図り、ちひろは第一発見者となる。
大きな傷心と自責を抱え帰国したちひろは、その後も戦争に苦しめられる。
東京大空襲をかろうじて免れ、長野・松本で終戦を迎える。
両親は戦争協力者だった咎で、それまでの地位も財産も何もかも奪われてしまう。
ちひろの死後に発見された日記には、『「国破れて山河有り 昭和二十年八月十六日」という文字とともに信州の山並みが描かれていた』という。
そこから数日、日記にはちひろの苦悩が書かれている。
そして、九月六日付けのページには、『見開きいっぱいに「南無妙法蓮華経」の文字が書き連ねられ』ていた。
この後、ちひろは上京を決意する。
そんなちひろの思いは、一貫して「反戦」「平和」であり、それは「可愛い子どもたちを悲しませないで」というメッセージに通じている。
『戦火のなかの子どもたち』で描かれた[焔のなかの母と子(1973)]。
無垢な目をした赤ちゃんを抱き戦争から守ろうとする母親の怒りの目。
誰でもそうだと思うが、子を持った経験がある人なら余計に、この母親の目に共感するはずである。
[焔のなかの母と子]の母親の視線は横である。『戦火のなかの子どもたち』では、正面を向いている子どもの視線も横にある。そのため、ちひろの絵としては珍しく、白目が描かれ、視線がわかるようになっている。
この横への視線について、アニメータの高畑勲氏がこうコメントしている。
それを想像させるからこそ、我々は子どもから目を離せない。
出版社との闘い
実はちひろ美術館は、本・絵本の挿絵の原画が数千点も残っているという奇跡によって存在している。
ちひろが活動していた時代、絵本の挿絵は美術品とは認められず、出版社からも軽く扱われていた。
出版社は、挿絵画家をただの下請けとしか認識しておらず、作品は「使い捨て」の感覚でレイアウト等の都合で勝手に切り貼りするなど、粗雑に扱われ、使用後は紛失したり処分されたりしていた。
挿絵画家という職業に誇りを持っていたちひろは、出版社の画家及び作品に対する扱いが我慢ならなかった。
著作権を主張し、作品は許可なく改ざんせず、また、使用後は画家に返却するよう求め、出版社と闘った。
当時はまだ社会自体が著作権の概念の希薄だった時代。
うるさく闘うちひろを、大手出版社は煙たがるようになったという。
それでも、ちひろは次第に増えていく画家を中心とした賛同者とともに、粘り強く交渉し、ほとんどの作品を自身の手元に戻した。
そして他の挿絵画家の作品も著作権が認められるようになった。
だから、ちひろの作品は原画が遺され、2カ所の常設館に加え、地方の美術館の特別展にも対応でき、結果、我々はちひろ直筆の原画を現代でも見ることができる。
さいごに
ちひろ美術館(東京・安曇野)の現在(2021年)の館長は、黒柳徹子氏である。
先にも挙げた『窓ぎわのトットちゃん』は、今年(2021年)、刊行40周年を迎えた記念に、彼女自身の朗読によるオーディオブックの配信も開始された。
だが不思議なことに、アニメやドラマ、映画などにはなっていない。
先の『日曜美術館』の中で、彼女自身が理由を説明している。
ところで、『金曜夜6時半のちひろ美術館』のタイトルの由来。
ちひろ美術館は金曜夜だけ19時閉館なのである(通常は17時)(※1)。
週末の夜ちひろの絵で疲れた心を癒していきませんか、という優しい計らいが嬉しい、素敵な美術館である。
私は休日の午前中に訪れたが、ちひろの絵を見ているうちにコロナ禍の自粛疲れが癒された。
同時に、ちひろの描く目に、この状況を利用して国民を統制していこうとしているような空気についても考えさせられた。
※1:2021年4月現在、開館時間は 10:00~16:00(最終入館15:00)で金曜日の延長は行っていない(休館日:月曜日)。
安曇野ちひろ美術館は、東京とは異なる対応となっているので、詳細はちひろ美術館HPで。
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