「ストリートアート」の入門書

1971年の7月21日は、タキ個人にとって、そしておそらく、それ以上にライティング文化の歴史にとって大きな意味を持つ日付である。

大山エンリコイサムは自身の著書『ストリートアートの素顔 ニューヨーク・ライティング文化』(青土社。以下、本書)の中で、そう記している。

さて、上の引用にある「タキ」なる人物について、大山はこう紹介している。

誕生から半世紀が経った現在、エアロゾル・ライティング文化はその歴史をどう記述するかという重要な局面を迎えている。(略)とくに、誰が最初にニューヨークの路上で名前をかく行為を始めたのかという問題の確定は、その発生プロセスの集団的かつ匿名的な性格を踏まえると、ほぼ不可能に近いと言わざるをえない。
他方で、誰が最初の有名になったライターかについては、定着した見方がある。それは、ライティング文化に親しむ人ならかならず知っているタキ183というライターである。タキは、自覚的に自身の居住エリアの外に出て、都市全域に名前を拡散してかいた。その結果、大手メディアの『ニューヨーク・タイムズ』に取材された。つまり、有名になることを目的にライティングをした最初のライターなのである。

(※太字部分は、原書では傍点)

その『ニューヨーク・タイムズ』が発売されたのが、1971年7月21日である。

私は、「ストリートアート」なるものについて全く無知である。最近話題の「バンクシー」のように路上に書かれた絵というか記号というか、そういったデザインのようなもののことであるというのは何となくわかるが、では路上などに描かれたそれらのもののどれが「ストリートアート」と呼ばれるもので、どれが「ただの落書き」だか、区別は全くつかない。
というか、大抵のものは「名前みたいなものが走り書き、または、変にデザイン化」されているだけの「ただの落書き」だと思っていた。

しかし、本書を読んで、それらのもの(全てではないが)には、ちゃんとした文化・文脈があり「ただの悪戯」ではない(繰り返すが全てではない)ことがわかって、少し驚いた。

本書について

本書は、自身もグラフィティ・ライターとして活動する大山エンリコイサム氏が、創成期である1970年代から現在に至るの流れの中で、キーパーソンと思われる12名のライターの評論を通じて、ニューヨークのストリートアート文化を紹介している(なお、本書ではストリートアートを「ライティング」と表記しているため、以下はそれに倣う)。
なお、彼は評論にあたり、既存の資料を参考にする以外に、できる限り本人とインタビュー(対面やEmailなど)を行ったという。

現在は、「バンクシー」の影響もあって、少しずつライティングについての書籍が出版されているようだが、それでも、このようなライティング文化そのものを扱うというのは珍しいのではないだろうか。また、本書はライティングの批評・解説本として非常に丁寧に書かれており、私のような全く無知な者でも比較的わかり易い。

大山自身については、後で紹介するとして、まずは、私の最初の印象である「名前みたいなものの走り書き」について、本書から引用していくことにする。

なぜ「名前」なのか?

ライティングにおいて名前を書いていくことは、「タグ」あるいは「ヒット」と呼ばれるらしい。
また、名前についても、一部のライターを除き、ほとんどが本名や(他人が付けた)ニックネームではなく、(自分で付けた)「タグネーム」であるという。

一般的にライターは、新しくタグネームを考案し、ストリートにかく。身元を隠して警察の目を逃れるためだが、同時に、現実の自分とは異なるアルターエゴを想像し、それを通して自己表現するためでもある

(P124)
※太字は引用者

上記引用の太字部分の補足として、テレビ番組に出演した際の大山の発言も引用しておく。

当時のニューヨークで、自分が生きてる現実が辛かったり、満足できない人たちが、もう一人の自分の名前を作ることで…想像して、それを電車の車体にかいて、幻視Envisionするっていう形で、街を読み変えていった。
そういう人が一人、二人いたっていうんじゃなくて、そういう若者たちが集団になって現れて、街をジャックしていった。

フジテレビ『白昼夢』 2018年1月15日 放送分

さて、なぜ名前をかくのか。冒頭で紹介した「タキ(TAKI183)」の発言が興味深い。彼は、大山とのインタビューにおいて、子供の頃に見た人気テレビ番組『怪傑ゾロ』に言及する。このメキシコを舞台としたヒーローもののテレビドラマは、「悪役を倒した主人公が現場にZマークを残していく」のである。

彼は何かをしたときZの文字を残すから、悪役はそこに彼がいたとわかるんだ。彼は裕福だった。でもそれをするときは、彼はマスクを被っていた。君がその映画を見たことがあるかわからないけどね。私は幼い頃から、彼はみなに紛れているけど、誰も彼が本当は誰なのか知らないということに魅了されていた。

(P11-P12、TAKI183)

彼のその発言を受け、大山も『匿名性。イニシャル。残された痕跡 -。怪傑ゾロの記憶は、タキの無意識でライティングの欲望とリンクしている』と、指摘している。

もちろん、上に述べたとおり、これはタキ一人が始めたことではなく、ニューヨークの至る所で同時多発的に起こったことである。

当時のニューヨークはエアロゾル・ライティングの黄金期であり、地下鉄の車体はマスターピースで溢れていた。地下鉄は都市を横断する「動く壁」であり、作品は多くの人の目に触れる。そのほとんどは、ライターの名前を独特に崩してかいていた。また地下鉄は、少し停車するとすぐに動き出してしまう。変形した字体のうえに鑑賞する時間もないと、それを読むことができた公衆はほぼいなかったことは明らかである。それらはおもに、ライティング文化のアウトサイダーではなく、コードを共有したインサイダーに向けられていた。

(P170)
※太字は引用者

怪傑ゾロの残したZの文字は、コードを共有した者(この場合は悪役)にしか理解されない(普通の人にはただの落書きとしか思われない)。ライティングのムーブメントの源流を怪傑ゾロに求めることはできないが、少なからずゾロのようなキャラクタへの共感みたいなものはあったのかもしれない。

キース・へリングとYouTuber

キース・へリングは本書で紹介されている12人の中で、私が唯一名前を知っているアーチストだ。知っているといっても、彼の名前とメディアで紹介された有名ないくつかの作品を見たことがある、という程度であるが…。

実は、先ほどのP170の引用は、キース・へリングの章にあるもので、その続きとして、大山は、キース・へリングについて、

へリングのサブウェイ・ドローイングは、アプローチがまったく異なっていた。それは自分の名前ではなく、絵文字やコミックのような赤ん坊や犬のキャラクターで、地下鉄の車体ではなく、駅構内にシンプルにかかれていた。そのため多くの人の目に留まり、内容も理解されやすかった。

(P170)

と評しているが、これは現在、我々がへリングに対して持っているイメージそのものである。

そういった一般的なイメージとしてのへリングについては、本書を読んでいただきたいが、ここでは、へリングの映像に対するアプローチについて引用していく。

へリングはニューヨークのスクール・オブ・ヴィジュアル・アーツ(SVA)で学んでいた授業のひとつに「ビデオ」があった。

最初に作ったテープはもっぱらぼく自身のことについてのものだった。生まれて初めて自分がビデオに映っているのを見て、自分の声を聞き、いったん自分の外に出て、そこから自分を眺めるというのは、心理学的にはものすごい教訓になる(*1)

*1 ジョン・グルーエン『キース・ヘリング』 木下哲夫訳、リブロポート、1992年、55ページ より、引用 

(P172)

つまり、ヘリングは今でいう「自撮り」を先取りしているように思える。

さらにヘリングは、自身のドローイングに振付をして、それをビデオに撮るということも行っている。これは、現在の「YouTube」や、動画配信SNSでも当たり前に配信されているものだ。

ある日、へリングは道端に捨ててあった『ものすごく大きな紙のロール』を拾って学校に持ちこんだ。

彫刻のアトリエの床に拡げ、アレシンスキーふうだけど、もっと大きな例のインク・ドローイングを描きはじめた。そのときには、ただ描くという行為にとても興味を感じた。そこで自分の動きを振付けみたいに使えないか、踊りにすることはできないかと考えた。(*2)

*2 ジョン・グルーエン『キース・ヘリング』 木下哲夫訳、リブロポート、1992年、56ページ より、引用

(P174)

へリングはSVA在学中の1978年に、ダンサーのモリッサ・フィンレーと出会い、彼女と共同でビデオとダンスの合作をすることで、上記のアイデアを具体化する。
フィンレーのコメントを引用する。

とにかく作品はジェーン・フロストというダンサーとわたし自身のために振付けたものだった。音楽の演奏も自分たちでやったの。マラカスと足首につける鈴と、それから小さな砂袋を持って、手拍子を打つわけ。だからリズムだけの不協和音よ。キースはそのすべてをビデオに撮ったの。ダンスと対置するかたちでキースは喋っているわたしのショット、声を出さずにことばを唇のかたちで表すところ、それからわたしの頭を撮ったショットを組み入れた。それから「さあ、さあ、さあ」とくりかえす声がする。とにかくとても面白かったわ。(*3)

*3 ジョン・グルーエン『キース・ヘリング』 木下哲夫訳、リブロポート、1992年、57ページ より、引用

(P174)

まさに「アーチストとダンサーのコラボ動画」だ。
現在は誰でもが簡単にできるようになった行為だが、ネット上に無数に溢れる似たような動画は、きっと本人たちは「自己表現」だと思っているだろうが、テクノロジーの発達で手軽にできるようになった「単なる行為の記録」でしかないように、私には思われる。
それは以下のへリングのコメントを読むとわかる。

ビデオを使うと、自己とか自我についてまったく違った見方ができるようになるし、それ以前にはおそらくありえなかったようなやり方で、自分自身を客観的に見て、自分自身とうまく折り合いをつけてゆく方法を身につけることができるからね。とくに大切なのはカメラのセットの仕方だ。それによっては撮りながら、自分のしていることを見てそれに反応することができる。つまり、なにか別のことをしていても、自分の後頭部を眺めていることができるということさ。横からだって見られる。というわけでぼくはビデオを見て、自己とか自我ということについてよく考えるようになった。(*4)

*4 ジョン・グルーエン『キース・ヘリング』 木下哲夫訳、リブロポート、1992年、55ページ より、引用 

(P172-P173)

現代のほとんどの人は「(技術的に)できるからやっている」だけであり、「映像に映っている自分とは何なのか。(映像の)自分自身を見ている(生身の)自分自身とはどういう存在なのか」といった、つまり「自己とか自我」といったものを深く思案することはないのではないか。そう考えないと、たとえば「バカッター」と呼ばれる映像を嬉々としてネットに上げたり、酔った芸能人が汚い悪態をつく動画を配信してしまうことへの理由が説明できない。

大山エンリコイサム氏について

著者の大山エンリコイサム氏は1983年生まれ。本書の著書略歴にてこう紹介されている。

アーティスト。慶應義塾大学 環境情報学部 卒業。東京芸術大学大学院 美術研究科 先端芸術表現専攻 修了。エアロゾル・ライティングのヴィジュアルを再解釈したモティーフ「クイックターン・ストラクチャー」をベースに壁画やペインティングを発表し、現代美術の領域で注目を集める。

「JINS 原宿店」の表にあるライティングは彼の手によるもので、「クイックターン・ストラクチャー」も確認できる。

前述のテレビ番組で、彼はライターになったきっかけをこう語っている。

高校生ぐらいの時に ー男子校だったんですけどー、ストリートカルチャーが流行ってて、ストリートファッションだったり、スケボーだったり…。自分も興味があったけど、みんな上手いんで、自分が今から始めても追いつけなさそう……。
ライティングとかグラフティは、ストリートカルチャーの一部だけど、実はみんなあまり知らない、手を付けてない。じゃあ、俺はこれを深掘りしてみよう。

フジテレビ『白昼夢』 2018年1月15日 放送分

自身もライターでありながら批評も行う理由を、大山はこう説明している。

元々美術とか美大というのが出発点じゃなくて、ストリートやクラブでライブペインティングしたりして、サブカルチャーの現場から活動を始めた。その後、美大に行ったら美術の人たちがライティングとかストリートアートのことをあまり知らなくて、自分で説明しないと伝わらない。その時に、作品を作るだけじゃなくて、文章にしていったり、シンポジュウムなんかを一緒にやっていかないと、自分のやっていることが伝わっていかなかった。
みんなにライティングのおもしろさを知ってほしかった。

フジテレビ『白昼夢』 2018年1月15日 放送分

さいごに

上でも触れたことだが、本書は、12人のキーパーソンの生い立ちの紹介や作品批評を軸に、ストリートアートの歴史や文化について丁寧に解説している。また、従来の「アート」との対比なども交えることにより、ストリートアートが芸術的な側面を持っていることにも気づかせてくれる。

だから、本書は、ストリートアートのライターを志す人たちの「教科書」であるのはもちろんだが、それらを鑑賞する我々にとっての「入門書」の役割をも果たしているのである。それはきっと、「みんなにライティングのおもしろさを知ってほしい」という大山の想いが詰まっているからだろう。

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