心に一人のナンシーを~ドラマ『ナンシー関のいた17年』&書籍『評伝 ナンシー関』~
NHK総合で2022年10月17日に放送された『ヒロイン誕生』は、ナンシー関さんの人物像を若手俳優の田牧そらさんが取材して、それを基にショートドラマを撮影する、という番組だった。
番組の企画を聞いたリリー・フランキー氏がインタビューで、『どっかで半笑いの状態で、「ナンシーさんドラマになるらしいよ(笑)」。しかも青森時代だって。エピソード1やるんだ(笑)』と答えていた。
NHKは以前にもナンシーさんの作家人生を描いたドラマ『ナンシー関のいた17年』(BSプレミアム、2014年12月14日放送。以下、ドラマと表記する)を放送したことがあって、それは彼女が上京してからの話(リリー氏の表現に倣えば「エピソード2」?)だった。
と書いている私、実は、これまでナンシーさんを敬遠していた。
理由は後述するが、それでも彼女に対しては何かしらか興味があったのだろう。ドラマもオンエア時に見たし、というか、今でも家で酔っ払うと結構な頻度でビデオを見返してしまう。
ドラマの主演は、お笑いコンビ「メイプル超合金」の安藤なつさんで、彼女も知らなかった私は、今でもテレビなどで彼女を見ると「あれ?ナンシー関が出てる?」と、完全に同一人物化してしまっている(本人主演のドラマではと見まがうほどに似ている、と思う)。
ナンシー関さんは1980年代半ばから2002年まで、多くの雑誌にテレビ批評を書いていた人だが、それを知らない人でも「消しゴム版画家」と聞けば、彼女の作品の一つくらい思い出せるのではないか。
それほど素晴らしい才能を持った人気者の彼女が、何故、突然活動を終わらせてしまったのか?
ドラマは、1980年代半ばに青森から上京した関直美という若い女性が、いとうせいこう氏に「ナンシー関」と命名され、唯一無二の「テレビ批評家」……ではなく「消しゴム版画家」として活躍した17年の軌跡を、関係者へのインタビューを交えて再現する内容だった(ちなみに彼女は、一貫して自身を「消しゴム版画家」と称していた)。
彼女が突然作家人生を終わらせてから10年後、一冊の本が出版された。
ノンフィクションライターの横田増生氏が綿密な取材の末に著した『評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」』で、そこからさらに10年を経た2022年に文庫化(中公文庫。以下、本書と表記する)された。
(以降の引用は、横田氏がナンシーさんの書籍等から引用した箇所を含め、すべて本書からです。引用文中の「(略)」は全て引用者(私)が省略した箇所です)
彼女の雑誌連載も、それをまとめた書籍も読んだことがない私が本書を手に取ったのは、ドラマの影響もあるだろうが、やはり以前から気になっていたということなのだろう。
私が彼女のテレビ評論を読んでいない理由は、民放テレビ局が少ない田舎で生まれ育った上、10代後半の一時期、テレビのない生活をしていたために、日常的にテレビを見る習慣がなかったからだ。
いや、もっと正確に言えば、田舎育ちで現代文化(当時でいえば、ニューアカやサブカルなど)に接してこなかったガキには、「優れた批評」と「毒舌と称した単なる悪口」の区別がつかなかったのだ。
こう書いた後に引き合いに出すのは申し訳ないのだが、その気持ちは彼女のご両親も同じだったようだ。
彼女が両親に仕事の話をしなかったことは、ドラマでも触れられている。
その理由はわかっています。初めて直美が出した本を読んだ時、こういうことを書くのはやめて、と親が頼んだからなのです。/読んでビックリしました。こんな人さまの悪口を-悪口にみえるわけです、私たちには-書いて、その人のファンから抗議の電話を受けたり、それが過ぎて刺されたりしたら大変。心配だから、もうやめて欲しい。そう言ったんです。(略)」(『ナンシー関大全』)
さて、私には区別がつかなかった「優れた批評」と「単なる悪口」の違いを知るには、ドラマでも本書でも紹介されている、デーブ・スペクター氏との有名な論争(?)が「良い見本」になろう。
最初は、ナンシーが94年3月25日号の「週刊朝日」にデーブがどうして嫌いなのか、というコラムを書いた。
「(略)デーブ・スペクターをネタにしたのは(略)少し前、『週刊文春』の彼の連載で、デビッド・レターマンの話から『アメリカの笑いを日本に輸入するのはほぼ絶望的』とか、『日米の笑い』について書いていたのを読んで、ずっと拳を握りしめていたからである。
引用するスペースはないが、頼むから『笑い』を語ることだけはよしてくれんか。アメリカンなジョーク(略)を言うくらいならば、一日じゅう黙っているほうがマシ、という私の気持ちがわかるか。『住めば都はるみ』という駄ジャレのつまらなさをわかるのかーっ!」(『小耳にはさもう』)
(略)
ナンシーは、つまらない駄ジャレとアメリカのお笑いの方が一段上だという考えが嫌いだった。この嫌いなものが二つ重なったのが、このデーブへの厳しい文章の下敷きにある。
これに対するデーブ氏の反論が、実に情けない。
「こんな最悪の罵倒を受けたんだから、僕も彼女のことを『とんでもない〇〇のくせに!』と罵ってやろうと思ったら周囲から止められてしまった。(略)
彼女は(略)他人はみんな嫌いで、自分自身のことも嫌いに違いない。愛しているのは、自分より太った女性なんだ。こうして彼女は手当たり次第に罵ることで何かの復讐を続けている」(「週刊文春」1994年3月31日号)
『とんでもない〇〇』『自分より太った女性』……単なる悪口(と偏見)ではないか。
自身の「笑い」に関する考え方を批判されたのだから、それに対する適切な反論は「彼女と自分個人の笑いの考え方に対する違い」を冷静に指摘するものであるべきで、決して「浅はか(と敢えて書く)な容姿批判(とそれに依拠したとんでもない偏見)」ではなかったはず。
つまり、『最悪の罵倒を受けた』との文章が露わにしている通り、彼は「批判」と「悪口」の区別がついていない。
彼の文章に対するナンシーさんの反論を読めば、誰でも「批判・批評」と「悪口」の区別ができる(本当に良い見本)。
「私がタレントを見る価値基準は『おもしろい』か『おもしろくない』かの一点のみだ。私はあなた(デーブを指す)を『おもしろくない』と非難したのだ。
それにしても、なんで(略)主語を『我々』にしたがるのか。一人で怒ればいいじゃん。(略)
結局、『(こうゆう原稿を書くことを)ヤメロ』と言いたいらしいが、これは私の生業である。聞く耳もたん。(略)」(『小耳にはさもう』)
……引用のために両者の文章を読み返して、あまりのレベルの違いにため息がこぼれてしまう。
ちなみにこれ、そのまんまドラマで安藤なつさんのナレーションによって再現されているのだが、かなりリアルで迫力がある。
もひとつ、ついでに言うと、ドラマの最後、ナンシーさんがいないのを幸いにと、デーブ氏が「今会ったら意外と気が合うと思うんですよね」と余裕の笑みで言うシーンに、私は毎度ムカつくのである(酔っているからムカつき度も倍増!)。
ついでのついでに言えば、この論争の直後にたまたま彼女と対談したダウンタウンの松本人志氏が、『今、お笑い批評をきちんとできるのは、ナンシーさんとみうらじゅんのふたりだけですからね。他はもう……』(雑誌「CREA」1994年5月号)と発言したことで、暗黙でありながら確定的な決着がつく。
さて、先述したように、彼女の活動期間は1980年代半ばから2002年までで、彼女の批評対象は当然、当時のテレビ番組やテレビタレントばかりなのだが、今(2022年)本書で彼女の文章を読んでも、全く古いと感じないことに本当に驚いた。もちろん、今の若者が読めば「誰、それ?どんな番組?」となることは多いと思う(実際、16歳の田牧さんも「知らない人ばかり」と証言している)が、それでも読めば絶対に面白いはずだ。
今まで一冊も読んでいない私では説得力が皆無だろうが、本書の著者も「まえがき」で『テレビ番組やテレビタレントといった"生物"を扱いながら、その文章の鮮度が一向に落ちないことに驚いた』と告白している。
その理由は、本書の解説で与那原恵氏が『「テレビ評」とは思っておらず、秀逸な社会批評・時代批評だと受け止めていた』と指摘している通りなのではないか。
そしてその批評はきっと、ナンシーさん自身はもちろん、読者にも向けられていたはずだ。
彼女のファンを公言している作家の宮部みゆき氏は、本書のインタビューでこう語っている。
「ナンシーさんが、文章の最後を『それでいいのか。後悔はしないのか』という言葉でしめている回があるんです。折に触れて、その言葉を自分自身に言い聞かせているんですよ」
(略)
「(略)安易に決めていないか、周りに流されていないか、と確認する意味で、自分に言い聞かせるようにしているんです。『それでいいのか。後悔はしないのか』って。私にとっては、"こんなもんでよかんべイズム"に陥らないためのおまじないのようなものです」
自身や読者に向けられたその批評は最終的に、本書のサブタイトルにもある「心に一つのナンシーを」という言葉に集約される。
この言葉は、ナンシーさんとの対談連載を持っていた大月隆寛氏によるもので、彼は本書のインタビューにこう答えている。
「自分で自分に突っ込む姿勢を持っていようよ、っていうことですよ。自己を相対化できていないと、変な宗教なんかに熱中してしまうことにもなる。恋愛でも、青春でも、楽しかったり、一生懸命になったりしたときこそ、どっかで自分に突っ込みを入れてないと、周りから見て"痛い"ことになっているときがあるから。(略)」
だから、みんな「心に一つのナンシーを」。
そう考えてちょっぴり切なくなるのは、もう、本当に各々の心にしか、彼女を存在させることができないからだ。
「あっ、ナンシーが亡くなったよ」
2002年6月13日の新聞の朝刊に載ったベタ記事を見て、私は家人にそういった。「消しゴム版画家ナンシー関さん死去」という見出しの短い記事だった。
関係者の話を総合すると、その日(2002年6月11日)、ナンシーは夜7~8時ごろに、友人(略)と一緒に中目黒の飲食店に新作の餃子を食べに出かけた。(略)ナンシーは10時ごろに、一人でタクシーに乗り、祐天寺の自宅に帰る途中で意識を失った。タクシーの運転手は、祐天寺の駅前交番に駆け込んで救急車を呼んでもらい、ナンシーはそこから東京医療センターへと運ばれた。
ドラマ最終盤。
病院に駆けつけた妹が、幽霊となって現れた姉に「どうして死んじゃったの?」と問いかける。
姉は、「それ、本人に質問するって、どういうこと?」とツッコんだ後、真面目に答える。
テレビがつまらなくなったから。
テレビの寿命が、ナンシー関の寿命ってことだね。
だが、きっと本心ではなかったろう。
だって、彼女はこう続けるのだから。
天国でも地獄でもええけどさぁ……そこってテレビ、あるべかな?
彼女が亡くなって20年が経った。
「テレビを見ない」というアンケート結果が世間に喧伝されて久しいが、そのくせ日々のネットニュースには、テレビ番組をそのまま書き起こした「こたつ記事」が氾濫し、多数のコメントが寄せられている。
そのコメントもSNSの世の中になったからか、的確でしっかりした文章は堅苦しく難しいと敬遠され、たとえそれが事実に反していたとしても気の利いた短い言葉で斬(っている風に読め)ればそれで良いという風潮になってしまい、結果、もはや「批評」と「悪口」の区別がつかなくなって、「批評の名を騙った単なる悪口」ばかりが賞賛され、「優れた批評」は駆逐されてしまったような気がする。
そして、当の番組やコメントはあっという間に消費され、ほんの一瞬盛り上がっただけですぐに跡形もなく、その存在ごと忘れ去られてしまう。
今のテレビ番組は、彼女に批評されるだけの価値があるだろうか?
それ以前に彼女こそ、既にテレビを見捨てているのではないだろうか?
ナンシー関。本名・関直美。享年39。
1962年生まれの彼女は、だから、今年還暦を迎えた。もし生きていれば、還暦になった自分自身にどうツッコんだだろう……