映画『浜の朝日の嘘つきどもと』

なんだか、ずっと涙目でスクリーンを観ていた気がする。
2021年10月1日、私は2回目のCOVID-19ワクチン接種のため有給休暇を取っていた。
折角空いた時間の有効利用。毎月1日の全国サービスデーで割引になった新宿武蔵野館で『浜の朝日の嘘つきどもと』(タナダユキ監督、2021年。以下、本作)を観た。折しも東京は間もなく台風が掠めようかという時間…


震災や不況に加えコロナの影響をモロに受けて客が来なくなった福島県南相馬市の映画館・朝日座。
閉館を決めた支配人(柳家喬太郎)がふんぎりをつけるためにフィルムを燃やしているのを必死で止める、「茂木莉子もぎりこ」と名乗る若い女性(高畑充希)。
彼女は初めて訪れた縁もゆかりもない朝日座を立て直すためにやってきたという。

本作は、莉子が映画館を立て直しに来た経緯の回想を軸に、閉館が決まっている朝日座の運命を描いていく。

震災をきっかけに学校にいづらくなり、あげくは一家離散という悲惨な青春時代を過ごした莉子。
そんな彼女が何とか現実を生きていられたばかりでなく、素晴らしい「映画」の世界へ導いてくれたのが恩師・田中茉莉子(大久保佳代子(オアシズ))であり、莉子は茉莉子の遺言に従って朝日座を訪れたのである。

茉莉子を演じる大久保がハマっている。
家庭の事情で勤めていた映画配給会社を辞め教師に転じた茉莉子だから、凡そ教師らしくなく、転校した他県から家出してきた莉子を普通に住まわせる。そこには教師としての責任感はなく、家に帰るよう莉子を諭すどころか、懲りずに繰り返す「男に惚れやすく、すぐに棄てられる」自身のだらしなさを明け透けに晒す。

そんな茉莉子の「ささやかな日常」(本人にとっては「人生の一大事」かもしれないが)には、いつも映画があった。
そして、そんな茉莉子に接した莉子も映画の魅力に引き込まれ、映画を支えに「ささやかな日常」を取り戻す。

それは何も映画の中の彼女たちに限った話ではなく、観ている我々も同じである。映画評論家の北小路隆志氏は、本作の映画評にこう綴っている。

映画がなくても人は生きていけるし、映画で腹がいっぱいになるわけではない。映画館の闇に一時は逃れることができても、人は辛い現実に戻らねばならない。そんなことはわかっている。しかし、それでも映画は「正論」を揺るがす魅力を帯び、「不要不急」の輝きを放つ。

(2021年9月10日付 朝日新聞夕刊)

本作は冒頭から『「正論」を揺るがす魅力を帯び』、だから私は、間もなく台風が襲来(そしてそんな中、副反応が心配な2回目のワクチン接種を受ける)という状況を忘れさせてくれる映画館の『半分暗闇』を、ずっと涙目で観ていたのである。


それにしても、タナダユキ監督は「イイ場面」のかわし方がウマイ。
たとえば『ロマンス』(2015年)。
行きずりの男女(大倉孝二・大島優子)が成り行きでラブホテルに泊まることになり、そんな状況に身を任せるかのようにお互いがイイ雰囲気になってきたのを阻止し、二人が我に返るシーン。
私はビデオで見ていたのだが、そのシーンで「(良い意味で)悪意あるなぁ」とゲラゲラ笑ってしまった。

同様の躱し方が本作にもあって、それが茉莉子の臨終の間際のセリフで、ともすれば感動する「イイ場面」なのだが、失礼を承知で敢えて言うと「大久保佳代子で泣いちゃうのか」という観客の「照れの裏返しとしての悔しさ」を、「(良い意味での)悪意」で見事に受け入れさせてくれるのである。
これが素直に受け入れられるのは、大久保のオフィシャルイメージを存分に生かしたタナダ監督による「田中茉莉子」の造形の見事さと、それを肩の力を抜いた演技で体現した大久保の演技力によるものだろう。

この「(良い意味での)悪意」は、朝日座で上映されたとされる映画作品にも発揮されており、茉莉子がかつて『トト・ザ・ヒーロー』(ジャコ・ヴァン・ドルマル監督、1991年)の併映が『おっ、杉作J太郎初監督作品』(by 莉子)である『怪奇!!幽霊スナック殴り込み!』(2006年。主演・タナダユキ!)だったことにブチギレし、支配人と大ゲンカをしたエピソードが描かれている。

「悪意」などと連呼したが、実際の本作は「本当の悪人」のような人物は登場せず(朝日座を買い取る社長に対しても、タナダ監督は、莉子に「彼も地元の幸せを考えていた」といった理解あるセリフを言わせている)、気持ち良い作品になっている。

莉子…本名「浜野あさひ」らの「嘘つき」どもと(涙目ながら)共にしたアッと言う間の114分が過ぎ、明るくなった館内で「いやぁ、映画って本当にいいもんですね~」と、思わず故・水野晴郎先生の名ゼリフが口をついて出た。

映画はいい。
映画のストーリーに心奪われ、見知らぬ人たちと同じシーンで笑い、思わぬ一体感を味わったり…暗闇に乗じてひっそり涙を流していたら近くから鼻を啜る大きな音が聞こえ、ちょっと興が削がれながらも、見知らぬ誰かと想いを共有できたような気になって、少し元気が出たり…

映画館だけじゃない。家で見る映画も格別だ。
主人公になり切ってセリフを喋りながら愉悦に浸り、ストーリーにツッコミを入れ、好きな俳優をベタ褒めし、返す刀で嫌いな俳優を罵倒し、お定まりのハッピーエンドに大量のティッシュを消費する…
あるいは茉莉子のように、恋人に振られるたびに同じ映画の同じシーンで同じように号泣する…

ところでラスト。
唐突に「竹原ピストル」らしき人物が登場し、何の展開もなく映画が終わる。
これは、福島中央テレビ開局50周年記念として放送された映画と同名のドラマ(2020年)の主人公・川島健二を竹原が演じているからであり、元々『ドラマと映画を同時に作りたい』という同局のオファーにタナダ監督が応えた企画であったという。
残念ながらドラマは未見なので、機会があれば、どこかで放送か上映をしていただけないか、と熱望している。


ちなみに、ずっと涙目だったのは本作のせいだけではない。
実は前日に、2年ぶりに開催されたニューヨーク・ブロードウェイのトニー賞の生中継の録画映像を見て、1年半ぶりに幕を開けた喜びに溢れたブロードウェイの演劇人たちに感激していたからでもある。
映画も演劇も、(私個人の趣味ではあるが、それ以前に)やはり「人間の文化的営み」として「不要不急」なんかでは絶対にあり得ないのだと、トニー賞を見ながら、そして本作を観ながら、思いを新たにしたのである。


ところで、私は何年かに一度、故・高田渡氏のドキュメンタリー映画『タカダワタル的』(2004年)をビデオで見直すのだが、毎度最後に驚いてしまう。
2020年の最初の緊急事態宣言中にも見直したのだが、やっぱり驚いた。
「えっ、監督ってタナダユキだったの!?」
……いい加減、学習しろよ、俺。

どうでもいいことだが、不運にも緊急事態宣言が明ける(=飲食店でのアルコール提供が解禁される)10月1日が2回目のワクチン接種だった私だが、大した副反応もなく、1日遅れで居酒屋復帰を果たしたのであった。

(2021年10月1日 @新宿武蔵野館)




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?