埼玉は翔ばない~映画『そうして私たちはプールに金魚を、』、『蟹から生まれたピスコの恋』~
2024年に『そうして私たちはプールに金魚を、』(長久允監督、2016年)を映画館で観られるとは!
きっと「埼玉県民よ、目を覚ませ!」というメッセージに違いない。
『翔んで埼玉』(魔夜峰央原作、竹内英樹監督、2019年,2023年)が大ヒットし、埼玉を知らない日本国民どころか当の埼玉県民までが『翔べる』なんて勘違いしちゃってる今だからこそ、この映画が公開される意義がある。
『そうして私たちはプールに金魚を、』
書いていて思い出した。
勘違いして調子にノッてしまったのは、埼玉県民が『自虐的』だからだった。
映画は夜のプールに制服のまま浸かっている女子中学生がカメラ目線で語る言葉で始まる。
何があったのかというと、夏祭りの金魚すくいで売れ残ったと思しき金魚約400匹が、中学校のプールに放されていたのだ。
犯人は、その中学校に通う15歳の女子学生4人。
この27分の短篇映画は、その事件をモチーフに、埼玉県に住む15歳の少女たちの複雑な内面を、ポップかつ刹那的に描いた作品だ。
舞台は埼玉県狭山市。
その昔、今は亡き尾崎豊は、校舎の窓ガラスを割り、盗んだバイクで走り出すことで大人に刃向かうと歌い、全国の青少年が自分も行動を起こす夢を見た。
それが可能だったのは、ガラスが無くなった窓の外が、或いは盗んだバイクで走り出した先が、「此処ではない何処か」に通じていると信じられたからだ。
この映画の、あかね(湯川ひな)、たみこ(松山莉奈)、まゆ(菊池玲那)、りょうこ(西本まりん)の4人の女子中学生は、ハナから「此処ではない何処か」なんてないことを悟っている。
『生まれながらにしてゾンビ(BORN to be ZOMBIE)』である彼女たちは、『平和 is 退屈』な狭山市にあるのは『何処にも続いていない国道だけ』ーつまり何処にも行くことなんてできない、ましてや「翔ぶ」ことなんて絶対できないーと知っている。
な~んにも考えないで箸が転がっただけでバカみたいに笑って盛り上がる、何がそんなに可笑しいのか……ハタから見た大人は呆れて溜息をつくかもしれないが、かつて自分たちだって、心の中にある諦観の裏返しの焦燥感や鬱屈をバカ騒ぎで誤魔化して、見ないふりをしていたことを忘れてしまっている。
このポップで疾走感に溢れる映画は、主にあかねのモノローグで展開されるのだが、何が凄いって、モノローグ全てが漏れなく「名言」なのだ(上映後のトークでの監督の発言でわかったのだが、当時監督は、CMプランナーとしてCMで流すセリフを書いていたとのこと。そりゃ、キャッチーな言葉が出てくるはずだ)。
27分間、彼女たちは全力で走り続ける。
その先に何もないことを知っていながら、それでも金魚を抱えて走る。
大人たちは、埼玉県民たちは、思い出すべきだ。
「翔ぶ」ことなんてできない。
だからこそ、それでも全力で走り続けることが大切だってことを。
『蟹から生まれたピスコの恋』
『そうして~』から6年後、長久監督は新しい短篇映画(17分)を撮った。しかもたった1日で。家庭用ハンディビデオカメラで。
それが『蟹から生まれたピスコの恋』(2023年)だ。
物語は、大人になったピスコとくぼかよが、高校時代のことを「再現」する形式で展開する。
だから、現在の姿のまま制服だけ着て演じられるのだが、女性3人がお笑い芸人ということもあり、それだけである種のコントとして了解されるため違和感がない。
さらに言えば、違和感がないのは、やはり『そうして~』と同じようにモノローグで展開する物語において、さすが人気お笑い芸人たちだけあって、セリフ回しや間が絶妙に巧いからというのもある。
そのセリフ回しや間が、「父親が毛蟹」という不条理感をポップな笑いに昇華する。
案浦を振って全力疾走し、父親(だから毛蟹!)の甲羅を殴って血だらけになるというその懸命な情熱が、ラストの歌を感動的なものにする。
あまりのカッコ良さに、鳥肌を通り越して泣きそうになってしまった。
メモ
長久允監督・新旧短編2本立て上映
『蟹から生まれたピスコの恋』
『そうして私たちはプールに金魚を、』
2024年7月1日。@シネクイント(アフタートーク付き)
アフタートークで、観客が、この数日前にSNSか何かで長久監督自ら、今なら『そうして~』のラストはあんな風に撮らない、と発言したことの真意を問うた。
『そうして~』のラストは、金魚をプールに放った後、自らもプールに飛び込んだあかねが、早朝の帰り道でカメラ(=観客)に向かって『これは一応サービスカットです』と言い、カメラは濡れたブラウスから透ける下着を背後から映す。
これに対し長久監督は、『当時自分は、15歳の少女だと本気で思っていて、その少女なら(大人の汚さなんかお見通しと半ば軽蔑の意味で)言うだろうと思っていた』と前置きし、『でも撮影当時、あかね役の湯川ひなさんは15歳で、説明して納得してもらって撮ったつもりだが、今から振り返れば、大人で、男で、しかも監督に言われたから断れなかったんじゃないか。当時の自分は、(年齢・性別・立場などに由来する)暴力性に気づかなかった』と答えた。
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