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本当に自分を変えたければ「言葉」と「他人」を信じることだ~映画『雪子 a.k.a』~
「a.k.a.」とは「別名」という意味らしい。
映画『雪子 a.k.a.』(草場尚也監督、2025年。以下、本作)の主人公である、小学校教師で新米ラッパー・吉村雪子(山下リオ)も、恋人(渡辺大知)や友人(剛力彩芽)からは「ゆっきー」、同僚の大迫(占部房子)や石井(樋口日奈)たちからは「雪子先生」、児童たちからは「吉村先生」、父親からは「雪子」、そしてラッパー仲間からは「MCサマー」と、様々な「a.
小田香監督作品『母との記録「働く手」』/小森はるか監督作品『春、阿賀の岸辺にて』(恵比寿映像祭2025 コミッション・プロジェクト特別上映)
かつて、映画評論家の蓮實重彦は著書『見るレッスン』(光文社新書、2020年)の中で、女性ドキュメンタリー映像作家の小森はるかと小田香を『現在の日本映画の至宝』と評した。
「文學界」(文藝春秋)2025年3月号で、小森・小田監督と鼎談(「"生きている現在"を撮る」)した蓮實は、『心のどこかに「間違えてしまえ」という気がないでもない』と発言している。これは、『しかしその邪な期待は、絶えず裏切られるわけ
今いる現実を受け入れる~映画『実家』『めためた』(MOOSIC LAB 2025 吉祥寺版)~
自身が受け入れがたい状況に陥ったとき、取り乱したり抵抗したりするが、結局のところ(取り乱したり抵抗したりしたことにより少しは改善されたとしても)、不承不承、それを受け入れるしかない。
大事なのは、それとどう折り合いをつけながら生きていくか、ということだ。
たとえば、映画『実家』(海路監督、40分、2024年)に登場する4人の大学生たちの場合……
『目を覚ますと、そこは誰かの実家だった』なんて、
だからやっぱり、世界に「あなた」がいることは尊い~映画『死に損なった男』(完成披露舞台挨拶)~
関谷一平よ。
本当に世の中って、矛盾に満ちているな。
死のうなんてこれっぽっちも思っていなかった男が死に、そのせいで死のうと思っていた男(たち)が死に損ない、「あいつを殺せ」と脅迫する男は死んでいて、相手を殺すつもりで持っていた凶器で自分を殺しかけ、好きな仕事をしているはずなのに虚しくなり、「裏方」とわかっているのに表舞台に立っている者に追いてけぼりにされたような気になり、そして、普段は舞台の上
さらに15年後の"その街のこども"たち~映画『その街のこども 劇場版』(阪神・淡路大震災30年特別再上映)~
あれから15年(『劇場版』としては14年)の年月を生きてきた中田勇治と大村美夏に会えて、それだけで嬉しかった。
私個人としては15年間(今年も)、毎年1月の上旬に二人を見ているが、それはあくまでも「阪神・淡路大震災」から15年の二人だった。
テレビ或いはスクリーンの中ではなく、ステージに立つ森山未來と佐藤江梨子は間違いなく、あれから15年の年月を生きてきた中田勇治と大村美夏だった。
映画『その街
"自分"とは一体誰か?~映画『STRANGERS』~
かつて、"自分"とは「探す」ものだった。
今は、『イラストレーターなど』という肩書で紹介されるみうらじゅん氏が云うように「なくす」ものとなった。
映画『STRANGERS』(池田健太監督、2024年。以下、本作)は、主人公・直子が『意地になって守ってきた』自分をなくし、「山口」に明け渡した時、『何かが見つかる』物語だ。
だが、見つかった何かが、"自分"にとって良いものとは限らない。
『見つかっ
「死」とは何か? 「戦争」とは何か? 震災前年の神戸にて~映画『夏の庭 The Friends』(4Kデジタルリマスター版)~
私事だが、昨年の暮れに父親を亡くした。本稿投稿時点では、まだ四十九日も終えていない。昭和19年生まれの父は戦中生まれとなるが戦時の記憶はない。
生前からの本人の希望で誰にも知らせず、妻・息子(私)・娘・娘婿・3人の孫に送られて旅立った。急な知らせであったにも拘わらず、文字どおり「目に入れても痛くない」ほど溺愛した3人の孫(上2人は成人している)たちが駆けつけてくれたのは、故人にとっては嬉しかっただ
"ありきたりな言葉"に自分の気持ちを押し込めない~映画『ありきたりな言葉じゃなくて』~
映画やドラマの脚本を書くにあたって、"私"や"あなた"の「気持ち」は必要だろうか?
私は脚本家でも書かれたセリフを喋る俳優でもないので、そういう方から「それは違う」と否定されるかもしれないが、映画『ありきたりな言葉じゃなくて』(渡邊崇監督、2024年。以下、本作)を観ながら、個人的には必要ないんじゃないか、と思った。
必要なのは、"私"や"あなた"ではなく、"物語の登場人物"の「気持ち」ではない
「小さな社会」のやるせなさと普遍の小さな希望~映画『小学校~それは小さな社会~』~
小学生として「できること」
ドキュメンタリー映画『小学校~それは小さな社会~』(山崎エマ監督、2024年。以下、本作)の中で、避難訓練の後の校長の訓辞に少しゾッとした、と同時に、冒頭からのやるせない気持ちの理由がわかった気がした。
『小学校~それは小さな社会~』というタイトルは的確で、本作において、まさに小学校が『小さな社会』であることが暴かれている。
『小さな社会』は『大きな社会』を前提にし