オランダの教育って、どうですか?大きな視点で考えないと評価できない質問は危険だなと感じます。
こんばんは、今週末にクラブハウスや友人と話をする中で、教育について考える機会があったので少し書こうと思います。
真の意味で、〇〇教育の評価がされるのは未来
10年近く前に、レッジョエミリアの幼児教育ワークショップなるものに参加をした時に、冒頭に講師の方がこう言われたのを今でも覚えています。
「レッジョエミリアが生まれたのは第二次世界大戦後。イタリアで、その評価が広まったのは1990年代後半。ビジネスなどの幅広い分野で活躍していた人たちの中に、レッジョエミリア出身の人たちの割合が増えてきたからなんです。」
モンテッソーリ教育も同じような文言をメディアでみます。将棋の藤井聡太さんやGoogle創業者のラリーペイジさんがモンテッソーリ教育を受けたということで、注目が当たるし、その教育方法が正当化がされているように思います。
日本式教育が一時期世界から注目を集めたのも、バブル前後でした。
構図として、〇〇教育が誕生し、その教育方法で学んだ方が世間で評価されたり、社会的に尊敬されたりすると、その教育は世間的な成功という評価を得られる図式にあります。つまり、今、全く注目を集めていなくても、実は未来の種を巻いている教育方法がある可能性はあります。同時に、今注目をされているけど、その評価が未来永劫続く保証はないと言えます。
一般的な正解などなく、結局は個人の価値観✖️環境ですよね?
では、自分のこどもに学ぶ環境を選べる機会があるとしたら、悩みますよね。だって、自分のキャリアですら、5、10年後を描きづらい時代なのに、子どもが社会に出る20-30年後に、真に必要とされている教育なんてわかりませんという感じですよね。
私の子どもはオランダにきて、近所にあったということもあり、レッジョエミリア式の保育園にいき、現在はモンテッソーリ式の現地の小学校で学んでおり、大変満足しています。土曜日には、日本式の補修校に行っていますが、それはそれで、満足しています。その理由は、2つあります。
多様性を認め合う社会であり、その縮図がそこにあるから
1つ目は、子どもが現在、そして将来も身をおくと思われる環境がそこにあることです。オランダ、特にアムステルダムは、超多様性が特徴の町です。私の職場も、本当に多様な人がいて、同時に認め合うという、まさにDiversity & inclusionがある職場です。子どもの学校もまさにそうなんです。住んでいるエリア特性ということもありますが、モンテッソーリ式や学校の雰囲気がさらに多様性を受け入れる体制に寄与していると思います。そんな環境の中で、机にむかい同じ教材を学び正解は1つという教育方式は厳しいと思います。主体性をもち、自分がしたいことをし、お互いに学び合い刺激を受け、支えあうモンテッソーリ式は相性がいいと思うのです。こういう環境があるのであれば、これがイエナプラン教育でも、シュタイナー教育でも、正直、どっちでもいいのですというのが個人の気持ちです。現に、オランダでは、〇〇式は基礎となる考えだけど、いいものをどんどん取り入れていくスタイルですと先生は口を揃えていいます。なので、純粋な〇〇方式があるのかは、疑問です。この柔らかさを、ダーウィン的な適応&進化と捉える社会がオランダ(おそらく北欧にも)にあることも大事だと思います。
自分で考える、やってみるという基礎力を身につけて欲しい
私が、アメリカ、日本、中国、オランダで暮らしてきた中で、最終的には、「自分で考えて、手を動かせる」というのは基礎中の基礎だと感じています。だから、子どもが多くの時間を過ごす学校も、そういう価値感があるといいなと思っており、今のモンテッソーリ式の学校にはそれがあるのが満足な理由の2つ目です。毎日、今日は何をするかを問われ、自分でやりたいことに取組む。時に熱中するものを見つけ、時に、数回で飽きるものもある。今年に入り、クラスの女の子が折り紙にハマり、息子もその子に付き合う中で、手を使って遊ぶという形で、コマ遊びやあやとりにも興味が広がり、いいなーとほっこりしています。その女の子とも、放課後もプレーデートを数回する中になり、絶賛応援なのです。
子どもが大人になる頃に、どのような職業の選択があり、どのような社会になっているかは楽しみでしょうがありません。タフな社会かもしれませんが、色んな可能性に満ちていると信じています。
日本にも、色んな教育モデルが輸入されたり、ローカル初の教育モデルが生まれてくると信じています。社会のシステムやあり方と切り離されず、大きな視点で、ご自身の家庭にあった形を見つけられることを願っています。
今日も、乱文・駄文をお読みいただきありがとうございます。
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