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辻褄の合わない権利の主張
最近、メディア等では勇敢に権利を主張する人をよく目にする気がします。よく勉強しているなあと感心することもあります。権利を主張することは悪いことではないですし、美徳とされることもあります。ですが一方で、「権利だけを主張する人」がいることも多いですね。このような人たちのちょっと奇妙な権利主張には、別の見方ができるように思います。ちょっと身近な人間関係のレベルでこのことを考えてみたいと思います。
権利主張ばかりしている人、ときに辻褄の合わない権利主張をする人に出くわすことがあります。心理学などでは神経症的権利主張と呼ぶ人もいますが、それは基本的な不安からくる怒りが発端とされます。この基本的不安は、親に対する敵意から生まれるもので、子供はその敵意を隠し、たまった怒りが爆発する状態です。彼らは本来の自分ではなく、理想化した自分を現実化しようと強迫的に頑張ります。世間体や理想化されたイメージを追い求め、そのために他者を利用することもあります。
このタイプの権利主張は不安の裏返しなので、たとえ一度成功しても、結局良い状態とは言えません。神経症の人は自分は特別であり、何もしなくても幸せが与えられるべきだという思い込みが強いとされますので、なかなか難しいところがあります。
では、まわりにこのような権利主張をする人がいたらどうしたらいいのでしょうか?簡単ではないですが、それが神経症的権利主張であるとまず認識し、その決めつけを解き、真に受けずに対処することが大切です。
それよりもここでの学びは、このことが自分自身にも使えることです。もし、自分自身が神経症的権利主張をしていると感じる場合には、自分自身がもつ嫌悪感や敵意に気づき、それに向き合い、そして、その不安や怒りを出そうとすることが重要となります。つまり、自分の今の状態に気づくこと。これだけでも大きな意味があるように思うのです。これを通じて、新たなスタートを切ることができるのではないかと思います。
先日からエゴや傲慢、不安について書いています。ここ最近の私のテーマというか、気になっているところです。そして、本日のお話も自分自身と社会的・理想化された自己との関係から来る問題なのかと思っています。社会のなかで「自己」が引き裂かれ、その問題が大きくなっているように感じます。難解なラカンの精神分析とか関係ありそうですが、もう少し幅広く考えてみたいと思います。
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