うまし みくまの たべびと日記
本当は、旅人日記のはずが……
大好きな熊野へ移住したら、プチ旅をたくさんしよう。
そして、熊野旅に関する情報発信をガンガンするぞ~。
そう決めていた。
なのに……コロナちゃんが!
新型コロナウイルスの影響で、旅という旅、イベントというイベントは軒並み中止。
熊野も御多分にもれず、旅館・ゲストハウスの多くは営業自粛。
毎年十数万人(!)が見に来るという、熊野大花火も開催中止。
熊野のあちこちの素敵な場所のことをお伝えしたところで、来てもらうこともできなくなってしまった。
逆に、地域医療が崩壊しては大変と、全国の観光各地では「どうか来ないでください」キャンペーンまでしている始末。
こんな時に情報発信なんて。
そうは思ったものの、自分の中の「何か伝えたい欲」が一向に息絶えない。
(いったいどうしろと……?)
そう考えあぐねていると、あるキーワードが浮かんできた。
「たびびと」は「たべびと」
って、なんのことだ???
旅の語源は「食べ」
「旅」という言葉の語源は、諸説あるらしい。
そもそも、人はなぜ「旅」を始めたのか。
それは、自分たちの住むところには無い食べものを求めたからだと言う。
食べものが無い土地から、食べもののある土地へ移動したり。
あるいは、自分たちの集落には無い種類の食べものを、よその集落へ行ってもらってきたり、何かと交換したり。
だから、食べものの「たべ」が音だけ変化して「たび」になったとか。
むしろ、「賜べ(たべ)」、つまり「ちょーだい!」という意味の言葉が、音だけ変化して「たび」になったとか。
まぁ、そんなこんなで諸説あるらしいのだ。
何がホントかは、素人の私にはわからないし。
面倒だから、まとめてしまおう。
つまり「たび」の人というのは「食べものちょーだい」の人なのだ。
さて、私の状況に戻って考えると、どうなる?
「たび」の情報に意味が無いなら、「たべ」の情報にすればいいじゃない!
※マリー・アントワネット風にお読みください。
なるほど。
これはありだな。
まず、「食べ」と「賜べ」と「旅」のトリプルミーニング。
これは、大変に熊野らしい。
熊野三山や三体月の伝説など、「3」は熊野と縁が深い数字なのだ。
そして、「食べもの」と「ちょーだい」と「旅」の三属性。
これもまた、大変に私らしい。
知人友人全員が賛同してくれるはずだ。
よし、その路線で行こう!
今日から私は「熊野のたべびと」だ。
ゴロ合わせだっていいじゃない
おぼろげながら、コンセプトは何となく見えてきた。
なら、タイトルは何にしようか?
NHKさんの「大和尼寺精進日記」みたいに、ゴロがいいのがいいな~
「熊野」「食べ」「日記」
その辺を組みたてて、脳内でゴロ合わせを試行錯誤する。
リズム的には「みくまの」の方がいいか?
なんとなく熊野を丁重に扱っている感じもいい。
そして、さらにひらめいた言葉があった。
「うましくに三重」
伊勢へ行くと、ちょくちょく見かける三重県のキャッチフレーズだ。
「うましくに」は、伊勢の神宮の神さまから取ったんだろうと思う。
特に、外宮のメインキャスト、豊受の大神は「豊む食(け)」、つまり豊かな食べものを司るという。
食べものの美味しい国か。
海も山も伊勢エビも松阪牛もある、三重県らしいフレーズだ。
しかし、以前からちょくちょく熊野のあちこちを訪れてきた私。
三重県熊野市の観光産業に関わる人たちの無念の思いも知っている。
「三重で観光っていうと、やっぱり伊勢よね」
いや、そりゃもちろん伊勢もあるけど。でも!
熊野だって世界遺産なんですけど……。
「くまの?どこだっけ……ああ、熊野古道の熊野か。和歌山県ね」
違うんです、熊野市は三重県なんです。
そりゃいわゆる熊野三山は和歌山県ですけど……。
と、こんな風に、切ない思いをした人がたくさんいるはずだ。
私も友だちに熊野市を紹介するたび、その説明をしなきゃいけない。
でも、めんどくさーい!!
面倒だから、まとめてしまおう。
「うまし みくまの」、これでお察しください。
そんなわけで、発信するものは「うまし みくまの」
発信する私は「熊野のたべびと」
面倒だから、まとめてしまおう。
「うまし みくまの たべびと日記」
うん、そんな感じでしょ。
それでは、あらためまして。
「うまし みくまの たべびと日記」として、ご当地の食べもの、賜りものなどを、なるべく日記ペースで発信してまいります。
通販などで皆さまの手に入りやすい食材があれば、それも、なるべく載せようと思います。
私の発する「たべ」の息吹を、少しでも感じていただければ幸いです。
なにとぞ、よろしくおつきあいください。