見出し画像

祖父の代からの家業を引き継いだ私がやったこと、やめたこと 02

三代続けば末代続く? 三代目は身上を潰す?

私の会社は製造業でした。本社は関東、工場は東北地方にあり、従業員はおよそ40名弱。俗にいう中小企業です。祖父が起業し、私で3代目。現在まで70年以上続いています。

父が家業を継いで2代目社長を行っていることはもちろん知っていましたが、父は私に継がせないと公言していました。私も製造業には興味がなく、会社を継ぐことはまるで頭にありませんでした。私は大学を卒業後、 総合商社へ就職しサラリーマンとなりました。

数年たったある日のこと父は突然、私にこう切り出してきました。

「会社を継ぐ気があるならすぐに入社しなさい。お前が継がないのなら、会社は畳むつもりだ。」 寝耳に水でした。継がせないと言っていたじゃないの、とも思いました(笑)。

当時、上場企業の商社マン(死語かな)だった私は、このまま続ければ海外出張や、ゆくゆくは海外駐在もできると夢見ていました。中小企業の経営には華がないと思っていましたし、あまり魅力的には感じませんでした。まして製造業の経験もありません。どうしたものか・・というのが、正直な気持ちでした。ひとまず父には1ヶ月考えさせてほしいと伝え、熟慮する時間をもらうことにしました。この1ヶ月間は自分のことを真剣に考える時間でした。

商社で仕事をしながら、海外で仕事をするということに希望を持っていました。また商売をやるということが面白く感じていました。いつか自分で経営をやってみたいとも考え始めていました。 父の会社は国内産業です。海外への夢は潰えます。逆に起業するということが大変なこともわかっていました。資金も人も集めねばならない。当時は1円起業などがまだ一般には知られていなかった時代だったと思います。色々と悩みましたが、父の会社を引き継ぐことでお金と人を集める問題は解決できるかもしれない。自分で起業するよりはずっと近道だろう。そんな結論づけだったと思います。

父へ会社に入ることを決めたと告げ、お世話になった商社に退職届けを提出しました。26歳の時でした。

入社前から、父は「36歳でお前に社長を引き継ぐから」と私に言っていました。 実は父が2代目社長になったのも36歳の時でした。 創業者であった祖父は病気で入院し65歳で他界しました。祖父は入退院を繰り返しながらも会社印を離さない人だったようです。父は祖父の病室まで印鑑をもらいに行っていたそうです。祖父の死後、十分な引き継ぎもないまま2代目社長になった父はその後の経営や対応に非常に苦労したようです。ゆえに自分のときには後継者にきちんと引き継ぎを行おうと決めていたのでしょう。

その言葉通りに私は36歳の時に3代目社長に就任しました。 引き継ぎ後も父は会長として仕事を続けていましたが、営業から銀行との折衝までなんでも私に任せるというやり方でした。二頭政治を避ける意味があったのでしょう。経営判断に関しても私の考えを尊重し、逸脱するようなことがない限り、干渉することはほとんどありませんでした。後継者に対する引き継ぎとしてはこれ以上ないやり方と姿勢であったと思います。

その後の10数年は慣れぬ製造業の経営をいかにやっていくかに、私は心血を注いでいました。父親からの客先を引き継ぎ、父親を慕う社員を引き継ぎ、あちこちにいる父親のやり方、足跡に悩みながらも自分のやり方、誠意で対応を続けていきました。

幸い会社は順調で、取引先にも3代目社長として認めてもらえる素地も徐々にできて行きました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?