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こどもは育つ -あるPTA会長のコラム-

はじめに

 私の住む田舎の学校では、深刻な教育問題など遠いものと思っていましたが、最近 これまで無かった不登校の問題などが頻発しています。
 取り巻く状況や要素などを分析し、立場なりの考えをまとめたいところですが、世の中の仕組みの中で教育関係の扱われ方が思いのほか煩雑な事に気が付き こちらも同時に整理していく必要があると考えはじめました。
 ここでは考えを進める過程で浮かんだ事などを書き連ねてみようと思っています。


家庭の教育力低下

 先日参加したあるセミナーで 家庭の教育力が低下しているという表現が使われました。 果たして何がどのような基準から低下しているのか? 私としてはそんなことが頭に引っかかり 釈然としない部分がありました。言葉の使われ方から学習面より生活や道徳的な面、いわゆる「躾」に対しての使われ方がされていた様ですが 家庭の教育力って・・何でしょう?

古いデーターを文科省サイトで見つけました。
「家庭の教育力が低下している理由」トップ5(2001年)だそうです。

①子どもに対して、過保護、甘やかせすぎや過干渉な親の増加
②テレビ、映画、雑誌などが子どもに及ぼしている悪い影響
③子どもに対するしつけや教育の仕方がわからない親の増加
④子どもに対するしつけや教育に無関心な親の増加
⑤学校や塾など外部の教育機関に対するしつけや教育の依存

 20年以上の前のものなのでデーターとしては参考になりません。インターネットの影響はまだ表面化していない頃ですし 子どもを取り巻く状況は現在とはかなり違います。しかし社会一般が捉えている教育力という言葉のイメージは何となく感じられます。

 また、福岡県の教育関係の書類に「家庭の教育力パワーアップ事業のてびき(令和5年度)」というものを見つけましたが、教育力に対する定義づけは見つけられませんでした。

 書物などもあるようなので読んでみるのも手段のひとつですね。

 家庭の教育力=家庭内の教育する力 と単純に読み置けばよいのでしょうか? 学習面、生活面、方法による違い・・・文科省の文書にも使われている事なので、場面によりはっきりさせて使用する必要を感じます。

➡続き・・

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