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「雑誌カルチャー」とはなんだったのか?:『Next EditorShip:80-90年代を創った雑誌をデコードせよ! AI時代の編集力を考える。』イベント・レポートPart1

2024年1月26日に、テクノロジーとガジェットのメディア『GIZMODO JAPAN』編集長の尾田和実さんをお招きし、『Next EditorShip:80-90年代を創った雑誌をデコードせよ! AI時代の編集力を考える。』と題して、インフォバーン代表取締役会長(CVO)・小林弘人とのトークイベントを実施いたしました。

80-90年代の雑誌カルチャーを振り返り、そこにあった「EditorShip」を紐解きながら、これからの編集者像について議論しました。全4回にわたって記事としてお届けします(Part1/全4回、
#Part2#Part3#Part4)。


90年代雑誌編集の当事者として

――まずは自己紹介からお願いします。

小林弘人(以下、小林):僕は、『WIRED』というテクノロジー雑誌の日本版を1994年に創刊して、編集長をしていました(現在は合同会社コンデナスト・ジャパンから発行)。その後、1998年にインフォバーンという会社を創業して、『サイゾー』という月刊誌を創刊しました(現在は株式会社サイゾーから発行)。他にも、アメリカの『GIZMODO』などを日本に持ちこんだりと、デジタルメディアも立ち上げてきました。

今のインフォバーンでは、企業のコンテンツマーケティングを支援したり、オウンドメディアをつくったり、自治体と協業したりするお仕事をしています。たくさん本も執筆していて、最新の本としては、KADOKAWAから出た『After GAFA』という、「もうGAFAだけの時代じゃないよ」と伝える本を出しています。よろしくお願いします。

尾田和実(以下、尾田):僕は、もともとシンコーミュージック・エンターテインメントという音楽出版社にいました。10代から音楽がすごく好きで、大学でも軽音部にいて、就職するなら音楽雑誌に関わりたいなと思っていたんですね。シンコー・ミュージックでは、当時は『ミュージック・ライフ』という老舗の音楽雑誌を出していて、全盛期の70年代には100万部ぐらい出していたそうです。

シンコー・ミュージックでは雑誌以外にも、プリンセス・プリンセスやレベッカ、斉藤和義といったアーティストのプロモーション事業をやっていたり、楽曲著作権管理のパイオニアとして著作権ビジネスをやっていたりしました。僕自身は8人ぐらいの編集部に所属して、『GiGS』というバンド雑誌の仕事をしていました。

その後、「MTV Japan」というCSの音楽チャンネルで、Webサイト展開のデジタル責任者をしました。「VMAJ(ビデオ・ミュージック・アワード・ジャパン)」という大きなアワードイベントがあるんですけど、そのデジタル中継をしたり、サイトでミュージックビデオを流したり、たまに番組でミュージシャンにインタビューしたりしていました。

今は、『GIZMODO JAPAN』や『FUZE』というメディアの編集長をしています。よろしくお願いいたします。

――それでは、本題に入っていきます。まず前提として、雑誌市場のピークは1997年と言われていて、それから20年以上、今にいたるまでほぼ右肩下がりで推移している実情があります。ちなみに、小林さんが『WIRED』日本版を創刊したのが1994年で、インフォバーン創業が98年。創業に合わせて『サイゾー』を99年に創刊していますので、小林さんはまさに90年代雑誌カルチャーのなかを雑誌編集者として駆け抜けつつ、次なるWeb時代を見すえていたわけですね。

今回のトークイベントの主旨は、何も「雑誌はもうオワコンだ」と言いたいわけではなく、市場としても存在感としても「雑誌」が盛り上がっていた80-90年代にあった「雑誌カルチャー」について、振り返ってみようというものです。

もちろん今でも数多くの雑誌が刊行されていますが、やはり80-90年代は特別な時代として、日本でも海外でも、文化を牽引するような雑誌が百花繚乱のように生まれていました。それは単純に部数が多かっただけでなく、編集者たちによる雑誌づくりへの情熱と狂気があったからこそ、カルチャーとして花開いたのだと考えています。

そこで、今回は80‐90年代の雑誌にあった「エディターシップ」を考えながら、これからのアップデートされた編集者像をお二人に模索しながら語り合っていただこうと、こうしてイベントを開催した次第です。

素人に門戸を開いた「DTP」の画期

尾田: この企画はずっとやりたかったんです。その理由の一つに、小林さんに90年代の話を聞きたいというのがありました。尖った編集者なら誰もが知っている存在として、90年代に小林さんは「こばへん」という愛称で親しまれていたんですが、その当時の話を小林さん自身から語られることはなかったんですよね。

先ほど雑誌の売上のピークが1997年という話が出ましたが、90年代に雑誌の世界に身を置いていた実感としては、自分たちは全然お金がなかったし、金銭的に苦労していた雑誌もたくさんあったと思います。だから、あらためて数字を見ると、雑誌全体ではこんなに売れていたんだとビックリしますね。

小林:『WIRED』も全然お金がなかったし、市場としてこんなに売れていたんだとビックリしますよね。売れていたのは、ファッション雑誌じゃない?

尾田:そうですね。それと、90年代にはいわゆる「ストリートカルチャー」が市民権を得ていくなかで、ストリート系と呼ばれる雑誌も売れていて、たしかに雑誌カルチャー自体は盛り上がっていましたし、ある種のバブリーな時代背景はあったのかもしれません。

一方で、今の状況とも似ているところもあると思っているんです。90年代に生まれた熱気の一因として、パソコンが普及して、DTP(デスク・トップ・パブリッシング)で誰でもデザインができるようになったことがあるんですね。Adobeなどのツールを使えば、素人でもデザインができるようになって、データを印刷所に納品すれば雑誌や本が完成するようになった。

それは、たとえば動画における今のYouTubeの状況に近しい感じがします。SNSでインフルエンサーになったり、YouTuberになったり、あるいはプロンプトを書くだけで生成AIで画像がつくれる状況。実はそこには、90年代に似た空気もあるんじゃないでしょうか。

小林:たしかに。『WIRED』を創刊する前に、僕はデザイナーをやっていたことがあって。たぶん若い人たちには説明しないとわからないと思うんですが、それまでは版下というのをつくって印刷所に入校して、写植屋さんという専門職の方が、手書きの原稿やワープロで打ち込んだ原稿を写植機に組み直していたんです。そもそも印刷所への納品物がデータではなかったし、インターネットもなかった時代です。

もし誤字や誤植があっても、デジタルデータとして直せないから、泣きながら徹夜して、1文字ずつカッターで切って貼り替えるのは日常茶飯事でした。それが、DTP化やデータ化が進むと一気に変わって、PC上だけでほぼ完成させられるようになった。そのころまだインターネットはなくて、パソコン通信といって回線は貧弱でしたけど、大きな転換点でしたね。

以降は周知の通りで、Webメディアが出てきて従来の紙のメディアに取って代わるほど市民権を得ましたし、スマホで読書習慣も変化しました。紙の雑誌を購読して読む人が減少しているのは、間違いない事実としてあります。今は売りが見込める雑誌でないと、なかなか流通に乗せづらくなっているので、尖った変な雑誌も減っていると思います。

ただ、そうして個人でも雑誌制作が容易になったぶん、地方に行くと、全国チェーンの書店には並ばないような面白いフライヤーやZINEが売られているのをよく見かけます。だから、「雑誌魂」というものは綿々と生き残っているんじゃないでしょうか。

尾田:たしかに今は、YouTuber的な感覚で、雑誌をつくる若い人が増えてきているかもしれません。

小林:先ほど尾田さんから、「90年代に素人がデザインできるようになった」という話がありましたけど、僕もその流れのなかにいたんです。当時も戸田ツトムさん(*1)のように、デジタルに意欲のある有名なデザイナーはいましたけど、まだまだ珍しくて、Macでデザインをする人間としては、僕はかなり早い変人の部類だったと思います。

尾田:DTP以前の時代は、PCの画面を見て確認できないので、頭の中で出来上がりを想定して、印刷所に色指定をする必要があったんです。レイアウト用紙というのがあって、そこに手書きで「ここはこの色」「ここはこんな色」と指定していた。おそろしくアナログだけど専門的な知識が必要な作業をしていたんですね。それが突然、全部データ化されたことで、専門的な知識や経験がなくてもある程度はデザインできるようになった。

小林:昔は、罫線を引くにも烏口(からすぐち)やロットリングというペンと定規で引いていたし、字詰めも肉眼で0.3ミリぐらいまで測れていました。その時代に職人的にデザインしていた人たちからすると、今のデジタル上でいい加減に組まれたタイポグラフィに対して、字間の緩さや甘さが気になることも多いでしょうね。

尾田:フォントも、写研とモリサワの2社が有名なタイポグラフィ―の会社でしたけど、当時のMacの日本語フォントはあまり種類がなくて、キレイなフォントで文字が組めなかったんですよね。

小林:そう、今のようにいろいろと選べるようになったのは、モリサワがデジタルデータ化して開放してからなんですよね。初期の『WIRED』日本版をつくっていたころは、明朝体とゴシック体しかなかったので、アートディレクターの佐藤直樹さん(*2)とテクニカルディレクターの深沢英次さん(*3)と一緒に、たった2書体でカッコいいと思える誌面にするまで、ものすごく悩んでいました。

尾田:佐藤直樹さんと言ったら、今やもうグラフィックデザインというジャンルを超えたデザイン界の大御所ですよね。

小林:そうですね。当時は『WIRED』のデザインを担当してもらっていて、アートディレクターとして有名になられて、いまはペインターとして作家活動をされています。

*1 戸田ツトム:グラフィックデザイナー。現代思想書をはじめとする書籍の造本・装幀を数多く手がけ、その先鋭的・実験的なデザインは大きな影響を与えた。また、DTPの先駆者としても知られる。2020年逝去。
*2 佐藤直樹:グラフィックデザイナー、ペインター。『WIRED』日本版に創刊時から参加したのち、1998年にアジール・デザイン(現アジール)設立。数多くのイベントでプロデュース、クリエイティブ・ディレクションを担当するほか、絵画制作も手がける。
*3 深沢英次:グラフィックデザイナー、メディアシステム・ディレクター。『WIRED』日本版に創刊時から参加し、テクニカルディレクター兼副編集長として活躍。その後は、フリーランスとしてWebサイト制作やシステム構築、記事執筆などを行う。

メディアの価値は、読者コミュニティの価値

――小林さんは、2009年に『新世紀メディア論』という著書を出されていますが、そのころから「雑誌の価値はコミュニティにある」と語られていました。それから15年ほど経って、雑誌市場も、Web環境も大きく変化してきましたが、ご本人で振り返ってどう感じられますか?

小林:それは今もまったく変わってないですよ。雑誌の価値は、絶対に読者のコミュニティにあるんです。要するに、どういう読者がその雑誌を読んでくれてるかがすごく大切で、それはWebメディアでも変わらないと思います。

ただ今では、Webメディアがコモデティ化してしまっているので、ビジネス的にはレッドオーシャンになっている難しさがあります。昔の雑誌が多かった時代にも、「情報公害」と言われていましたが、もはや公害どころか、ノイズの海の中にいるような状況ですよね。

かつてアメリカ本国版の『WIRED』創刊編集長のケビン・ケリーが、「True Fan(本当のファン)を見つけろ」と主張して、「たとえ読者が1000人でも、それが1万円払うファンなら1,000万円になる」というようなことを言っていましたが、その「True Fan」を見つけるのが、これからのWebメディアにより求められると思っています。

尾田:実はずっと「サブカル」という言い方を避けているんですが、メディアも「カルチャー」というものを、ちょっと記号化・陳腐化してとらえてしまっている部分がありますよね。ちゃんと「現象」を追いかけているのかなと疑問に思うことがあるんです。

僕は『FUZE』というカルチャーメディアの編集長もしていますが、何か特集するときに「きちんと『現象』を追いかけよう」と話しています。たとえば、マリファナの特集をするにしても、単にマリファナの是非を取り上げるだけじゃなく、アメリカでマリファナが合法化している背景とか、マリファナ・ビジネスが誕生している動きとか、「現象/ムーブメント」をとらえるべきだと思うんです。カルチャー雑誌やストリート雑誌の根底には、「ムーブメントをどう解釈するのか」という視点がありました。

その編集姿勢は、『GIZMODO JAPAN』でも同じです。『GIZMODO JAPAN』では、共感を誘う記事と教養としてタメになる記事、そのどちらかにハマってる記事が、やっぱりPV数としても跳ねるんですね。それは要するに、読者の心を揺さぶってるかどうなのかだと思っていて、単に事実を羅列しただけの記事や、AIで生成できるような記事では、共感も生まれなければ、知的好奇心もくすぐられないので、読者をつかみ取ることができない。この2つにしっかりフォーカスされているメディアであれば、コミュニティをつくれるし、逆にそれがないとコミュニティにもならないのかなと思っています。

小林:今のWebメディアは、ビジネスの視点が強すぎて、カテゴリー別になりすぎているんでしょうね。「このジャンルが儲かるから、バーティカルにここを攻めよう」という縦割りの意識が強い。その点で、80年代や90年代の雑誌には、「どうやってこの企画が生まれたんだろう?」と思わせるものがあったんですよ。もっとアイデア勝負、アイデア・ドリブンでも、インディペンデントな規模なら十分にビジネスモデルはつくれると思うんですけどね。

尾田:たとえば、『BRUTUS』という雑誌には専門ジャンルがないじゃないですか。これは石橋さんという編集長を務められていた方に聞いた話なんですが、『BRUTUS』で何を特集するかは、刊行する半年前には決めていて、それまでに編集部員は時間をかけて猛勉強するらしいんですよ。だから、半年経って雑誌をつくるときには、編集者もいっぱしのことを言えるくらいの知識がついている。

そもそも雑誌には、この『BRUTUS』的な構造があると思うんですよね。雑誌ごとに取るアプローチに特色があって、そこに読者とのコンセンサスがあるから面白い。どんな特集をしても、読者に面白く感じさせられるから、雑誌のブランドが確立されるし、コミュニティも生まれる。それなのに縦割りのジャンルで考えすぎてしまうと、そのアプローチの部分が弱くなってしまう気がします。

小林:僕は世間とズレているところもあって。たとえば、とある国民的な支持を集めているロックバンドの魅力がよくわからないんですよ。なぜ国民的に人気があるのかもわからない。でも、同じことを考えている人はいるはずで、音楽雑誌・音楽メディアでは取り上げない、「あの良さがわからない」ということでも、コンセプトとして成立するはずなんです。

尾田:そういうのはありますよね。それまでスポットが当たっていなかった切り口だけど、実は同じことを思っていた、という共感が生まれるような。そこの想像力ですよね。

小林:そうした感覚的なことは、Web上ではSNSやYahoo!知恵袋のようなところで回収されちゃっていますけど、雑誌風に調査しても面白いかもしれないですよね。そうしたアイデア出しをしていくうちに、ビジネスとしても儲かるアプローチが見つかるかもしれない。

よくニッチかマスか、という二極で語られがちですけど、僕はあんまりその二元論に意味はないと思っているんです。ニッチであろうがマスであろうが、アプローチが正しければ広く受け入れられることはあるんですよ。たとえ誰かにとってニッチであっても、みんなが気がつかなかったアプローチができれば、新たなコミュニティを積み重ねた新市場を生む構造はある気がしますね。

Part2雑誌で表現された美意識とたくらみ
Part3AIを超える編集力とは?
Part4雑誌の精神をどうWebで実現するか?



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