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『yonawo』


2020-2022 暗闇。どうすることもできず硬直していた頃、Spotifyがきっかけで出会ったyonawo。心地良すぎるイントロ、今に重なる詩に考える暇もなく魅了され、あっという間に生活となった。緊張の糸を解して、なんでもないよと言ってくれているみたい。思考の迷路が憂鬱としていた日々と重なり合う中で、ただ吸って吐いて息をするように、吸って吐いてyonawoだった。それくらいyonawoは私の中でなくてはならないものになっていた。じんわりとあたたかくなっていく。無理をしない、自然体。ただそこにいて、そうだよなと言ってくれているように。対話している感覚だった。優しかった、いつも優しかった。あたたかさが残って、心がいっぱいになった。やさしさ/おだやかさ/あたたかさ そのすべてに包み込まれているような。聴くギフト。こうして言葉にしても、自分の中のすべてを書けている気がしない。でもほんとうに特別だった。四人の空気、音がほんとうに好きだった。




2023.12.26

ボーカル荒谷翔大が脱退。



誕生日の次の日だった。混乱した、あまりにも突然で。なにがあった、どうしたんだろう。よく分からないまま、情報だけがひとり歩きしていた。最低限のコメントを幾度も繰り返す。でもわからなかった。彼らになにがあってどうなって今日に至ったのか。突きつけられた事実が衝撃的で心は置いてけぼりを喰らった。

ひたすら想像した。というかそれしかできなかった。時系列に並んでいるアルバムを眺めて順番に聴いていった。なにに悩んで、なにを考えていた。想像の域でしか見えないそこには焦燥と葛藤があった。本人の口で本当のことが語られるまではわからない。受け入れなければという頭の声と、受け入れられない、受け入れたくないという心。でもその心算をしなければいけない。ただどこかずっと知りたいという気持ちが真ん中にあった。



荒谷翔大- Official Interview

ずっと待っていた時はまたふいに訪れた。記事と動画、両方確認した。やっぱりなんとなく感じていた通りだった。細かな所までは分からなかった。ただずっと踠きながらバンドを続けて、曲を出していた。彼のつくる音楽に励まされ支えられている中、本人はずっと悩んでいたんだ。でも今は次を目指し活動をしている。そんな姿が純粋にかっこいいと思った。ただまっすぐに疑いようもなく前を向いている彼を見ていて、わたしの中で何かがハッキリした。戸惑いがなくなり、溢れ出た感謝、ありがとうだけが残った。新譜を聴いた。好きだなあ、ホッとした。形は変わっても音楽をしている姿をリアルタイムで追えている。その事実だけでいいや、それ以外なにもいらないと思った。 

2024.2.23




2024.9.4

TRIPPYHOUSING
“Broken, yes we can”

We can dance all night ‘till the morning, ‘till our hearts be broken. We can dance all night ‘till the morning, ‘till the rules be broken.

https://qetic.jp/music/trippyhousing-0903/463437/




後半畳みかけるようにギターが押し寄せて、ああ…この音だと思った。懐かしさすら覚えた。雄哉さんのギター。yonawoはメンバーの音/荒ちゃんが作る詩と曲。その絶妙なバランスで成り立っていたのだとより鮮明になった。誰かが欠けたら物足りなくなって当たり前だ。痛感させられた。再認識した。あの音がまた聴けてほんとうに嬉しかった。0時にリリースされてずっとリピートしていた。すぐに馴染んで身体に入ってくるあの感覚。yonawoだった。なんだかただ嬉しかった。こうして聴けていること。当時はどんな思いで、考えで、バンドをしていたんだろう。荒ちゃんが脱退してから、九ヶ月。どんな思いで残されたメンバーは過ごしていたのだろう。どんな気持ちで雄哉さんはこの制作にあたったのだろう。回顧した。想像を超えない領域まで。TRIPPYHOUSING の三人はどんなことを共有し、この1曲を作り上げたのだろう。咀嚼したり、ただ感じてみたり、ゆっくり向き合っていきたい。壊れたからこそ生み出された覚悟。崩壊を含んだからこそ見えた景色のその先でしかできないこと。善悪ではない、ただまっすぐに受け止めるという強さ。いつかの朝、その時が訪れるまでは。ただ音楽を楽しもう。崩壊の先に待っていた、すべて抱え昇華していく様。一周回ったからこその覚悟。あとはやるだけだ。どうせなら楽しみながら歩いていこう。この一曲からなんだかそんな事を感じた。今のわたしの心境なのかもしれない。鏡に映るそんな自分を見て、深夜にひとり、ほっと胸を撫で下ろした。そんなことを思いながら、いろんな楽しみを持ち聴き入った。彼らの姿が只々最高にかっこいい。これは理論理屈なんかじゃなく、ただその様が好きだ。これからも楽しみだな。ワクワクした。“Broken, yes we can”は、TRIPPYHOUSINGの三人を垣間見れたような気がしてまた嬉しくなった。




四人体制じゃなくなってから、yonawoに対しどう気持ちを整理していいか分からず、おさまるところを知らない感情にモヤモヤしながら日々過ごしていた。聴くと泣いてしまった時もあって、インタビューを見て余計胸が締めつけられた。残されたメンバーはどんな気持ちなんだろう。それは多分私が思い量る以上のことがあるのは想像に難しくなかった。
ここで一度yonawoに区切りをつけ、いい思い出として残しておきたい。そうした方がまた戻りたいときに戻りやすいと思ったとインタビューでは言っていた。だからこそもあるのか、荒ちゃんがいつでも戻れるように帰れるように、メンバーはyonawoを守ってくれているのかもしれない。もしそうならと思いが走って、また胸が締めつけられた。誰かに原因がある、そういう類の話ではなく、いろんなことがあって今に至った。そうなってしまったのは誰も予期していなかったことで、最終的にそうなってしまったということがインタビューを見ていて印象に強く残った。だからこそ聴く私はどこに気持ちの落とし所をつけたらいいのだろう。そう模索した九ヶ月だったように思う。脱退があって、yonawoの存在が想像以上に大きかったことを時間を持って思い知らされた。とめどなく溢れる気持ち、当時のいろんな記憶と共にいてくれたyonawo。今でもそれは輝いていて、最後はいつも優しく温かな気持ちになる。そんな事実が再発見されて、なんだかそんな気持ちを感じられていることが奇跡のようで、本当にありがとうでいっぱい。この記憶が透明になっても消えない。いつでもyonawoに想い馳せる限りいつまでも。yonawoがこのままだとしても、はたまた四人体制で復活するにしても、正直どっちでもいい気分にさえなってくる。それより今の彼らを同じ時間の中で感じられているその事実、奇跡に心がいっぱいになる。ただそれだけで、なにもいらない。新たなスタートを切った彼らの活動を糧に、その姿傍にyonawoを聴いて、今活動している現実、その奇跡に感謝しながら、同じ時を生きている、それらは決して当たり前ではないと心に刻みながら。それでもやっぱり私は彼らの作る音楽に触れているあの時間が本当にすきだな。またいつの日か、四人が楽しんでいる姿をこの目で一瞬でも目撃できたのなら、それはもうこの上なくたまらない記憶として残されていくのだ。  




yonawo ほんとうにいっぱいありがとう


2024.9.5







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