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評価されなければ、やる意味ない?
最近、タイトル通り、誰かに評価されないと、創作活動などはやる意味ないと思っていた自分に気付いた。意味がないとまでは言わないけど、やる時間が惜しいと思っていた。
何かに打ち込む自然な流れとして、
やっていて面白い→夢中になる→それを極めたいと努力する、っていうのかなと思うのだけど、
私の場合、
誰かに評価されたい→出来そうなことをやる→すぐ飽きて止めてしまう
というループになっている。
そんなので、夢中になれることが見つかる訳がない。
このnoteだって、自分の考えや価値観をまとめてアウトプットするのは楽しいし、共有することで、誰かの心が少しでも軽くなれば、と言いながら、誰かに評価されて認めてもらいたい、という気持ちが奥底に渦巻いていることに気付いた。
いつの間にか、「スキ」の数をめちゃくちゃ気にするようになっていた。
「承認欲求オバケ」だ。
それに気づいて、一旦そういう自分を受け止めて、ここで吐き出さないと、また負のループにはまってしまう予感がしたので、今ありのままの気持ちを書き出している。
でも、noteを書いている時点で、ある程度誰しもそういう気持ちがあるんじゃないかとも思う。
だって、言語化してアウトプットするだけなら、誰にも見られない日記帳でも事足りるからだ。
だから、そういう気持ちになっても仕方ないと思う。
ただ、もっと誰かに見てもらいたいとか、スキがたくさん欲しいからといって、自分の意志と反して、ウケのよさそうなものを考えて書こうとすると、途端にnoteは書くのがしんどくなってくる。
というか、単純に書けなくなる。
承認欲求って本当に厄介だ。
でも、自分は、それを求める自分も否定はしないようにしたい。
まず、受け入れないと、私の場合はそこから動けなくなる。
どうしようもない情けない自分を認めて初めて、自己分析して、じゃあどうしよう?という考えにシフト出来るのだ。
評価されたいと思うのはある程度は仕方ないけど、そればかりになると、早く結果を出したいという焦りが出てくる。
そうなると、タイパ重視になってしまって、できるだけ労力や時間をかけずに上手くいく方法なんかを探し始めてしまう。こうなってくると、もう、楽しさとか好きな気持ちを嗜む余裕なんてなくなってしまうのだ。
そこで、はたと気付いた。
評価されなければやる意味がないんじゃなくて、自分が楽しいと思うことじゃなければやる意味がないんだ。
そんな当たり前のことに気づいてなかった自分が、何だか少し可笑しかった。
noteは、今楽しいと思って書いているし、もっとありのままに自分の思いを表現して書けるようになれば、自分の満足度は増すのかなと思っている。そこはブレないようにしないと、きっとnoteは続かない。
何かに追われるように早く投稿しなきゃと焦っている自分がいたら、それは承認欲求オバケが出てきた証拠。やりたいことをやっているのに、焦りが出てくるのはおかしいから。
そういうときは、また出てきたなコイツと言いながら、マイペースに進めていこうかなと思う。