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梶間和歌「御堂関白集 モテ男はモテるべくしてモテる」― 三鷹古典を読む会2023年1月定例会を受講して ―

以下の文章は「三鷹古典を読む会」2023年1月定例会「御堂関白記」の回に参加された梶間和歌さんが、受けた後のご感想を文章にまとめてくださったものです。

何かの文章で前置きなく「例えば大庭葉蔵ようぞうは……」と書いたとしたら、一般的には「誰? 」と言われるのがオチだろう。

昨今よくある名前でもないし、そもそもそれがヨウゾウと読めない人も多いかもしれない。

文学好きであれば「『人間失格』か」と思い当たるだろうが、あれだけ有名な作品の、これだけ名前かぶりしなそうな登場人物の名前であっても、名前からその登場する作品名が必ずしも出てくるものでない、とは『人間失格』大庭葉蔵に限ったことでないと思う。

そう考えると、『源氏物語』は本当にすごい。

「紫式部の書いた『源氏物語』主人公の光源氏なんだけど」
と断って誰かに光源氏について話し始めたり、文章を書いたりしたことなどあっただろうか。

どんなに文学、歴史に疎い人であっても「『源氏物語』か」と察してくれる。誰も、昭和の終わりのアイドルグループを思い浮かべはしない。

それだけ認知の取れている光源氏だが、その彼をどのような人物として捉えるか、と問い始めると人によって実にさまざまだ。

まるで理想の男性のように本気で言う人もいれば、「須磨」あたりで通読を挫折した結果か、女にちょっかいを出してばかりのチャラ男のイメージしか持たない人もいる。

逆に、自分の妻を寝取った男に表面的には調和的に振る舞いながら本人にのみわかるやり方でメッセージを伝えた陰湿な印象、そちらを強く持っている人もいる。

政治的に賢くシビアな側面を彼の本質と捉える人もいるし、老人に優しく分け隔てしない部分を特に心に留めている人も珍しくない。

私のように、自分がどれだけ恵まれているかを認識せず、自分は不運で不幸だという前提で生き、その満たされなさを外側の何かで埋めようとした結果、大勢の女性を不幸にした男……などと捉える人は、どちらかというと女性に多いだろうか。

それらはどれも間違いではないし、彼のすべてでもない。

若いころと須磨・明石での謹慎後ではやはりおもむき、たたずまいが異なるし、同じ年齢であっても、女を口説いている時の顔と父帝の前、舅である左大臣の前で見せる顔が異なるのは当然だ。

「母に早く死に別れて俺は不幸だ」と母の面影を求めてさまざまな女性に次々と手を出すことも、例えば中流身分の女性にとっては「あんな貴公子にたった一度でもお情けを頂いた」ことが心の支えになったかもしれないし、一度関わった女性を自分から捨てないという点は当時確実に美徳と受け取られていた。

その彼のひとつの側面として、気遣いがこまやかであることが挙げられる。

乳母めのとが病気になったら(恋人を訪ねる道中のついででこそあれ)見舞いに行き、家族が「お母さん、光源氏さまの前でそんなみっともない……」と気にする老女の泣き姿をまったく厭わず「僕が立派になるまで長生きしてくれなくちゃ」と心から励ます。

目当ての女性でない別人を抱いてしまったと気づいても、相手に恥を掻かせないよう「何度もここに方違えかたたがえに来たのは、あなたに想いを寄せていたからですよ」と取り繕う。

長年の恋人との別れの場面では、たとえ自分が相手を大切に扱わなかった結果だとしても、「あなたは僕を捨ててゆくのですね」とあくまで恋の主導権が相手にあるというポーズを取り、相手のプライドを立てる。

噂や相手の反応を早合点して不美人のコミュ障と関係したのち、その容姿を知ってしまった時には、
「俺ぐらいの男でなければ、この子を見捨ててしまうだろう」
という謎の使命感で彼女の経済的な支援を決意する。
その末摘花について、謹慎明けの帰京後半年間存在を失念していたということがあるが、思い出してからは彼女の生活の面倒を見続けることになる。

帰京後しばらく存在を忘れていた女性は末摘花と花散里の2例、基本的に彼は関わった女性を自分から見捨てないし、思い出せばきちんと面倒を見る。
田舎での謹慎のような異常事態でなければ、常日ごろからこまめに相手を気に掛ける文や歌を贈る。だからこそあれだけの女が心動かされるのだ。
いや、なんなら謹慎中でさえ彼は都や伊勢の恋人や元恋人にまめに手紙を送っていた。いちおう“友人に”とも書き添えておこうか。

知人の男性が「チャラいだけの光源氏がなぜモテるのかわからない」と言っていたのだが、そんな疑問を抱いてしまう彼は間違いなくモテない男だろう。

男はチャラいからモテるのだ。もちろんほかの要素も掛け合わされるが。
たとえ表面的なことであっても、自分以外の大勢に同じことをしているだろうと察せられても、一定以上の容姿、雰囲気を持つ男にされてうれしいこと、言われてときめいてしまう言葉というものが女にはある。

最終的には個別の話になるが、男性が女性に好かれるにはそれ以前にある程度の共通項があり、学習可能な部分も大きい。

そうした学習を怠り、モテと無縁の人生を歩んできた男が、しかしモテていないことに本心では納得していないからこそ、光源氏のようなモテて然るべき男のモテを「理解できない」と言ってしまうのだ。

その男は、知り合いの女性の誕生日に、相手が心から喜ぶような、それでいて負担にも感じさせないさりげない贈り物をしたり、お祝いのLINEを送ったりするような気遣いもセンスも、持ち合わせていないだろう。

なんなら、かろうじて出来た彼女の誕生日にもスベっている可能性が低くない。
自分の愛用するボールペンをプレゼントしたり、自作ポエムを朗読したり。その誕生日を忘れてすらいるかもしれない。

私はモテることそのものを良いことだとは思わないが、ただ事実として、モテる男にはモテて然るべき理由がある。

「表面的な優しさなど優しさではない」と人は言うが、光源氏や匂宮の恐ろしいところは、その場ではそれを本気で言ったりしたりしているということだ。

表面的な優しさであっても適切な言動であればクラっと来てしまう女心、それがつかの間だとしても本心であったならば、とろけてしまわないほうが難しい。

ではその表面的な優しさは悪なのか、と問うと、必ずしもそうとは言えない。

例えば光源氏が人違いで軒端荻を抱き寄せてしまった時、「すみません、人違いでした」と謝り立ち去ったとしたら、どうだろう。

貴公子に人違いされ、それを明かされた挙げ句抱かれもせず置いて行かれたとしたら。女としてとんでもない赤っ恥ではないか。

「人違いということは、私以外の誰かが目当てなの? 義母さん? 」
と目当ての女性に迷惑の降りかかる可能性もじゅうぶんある。

この場面において「人違いでした」と打ち明けて去る正直さは、誠実さでも何でもない。

もう抱き寄せてしまった以上、取るべき行動は「あなたをお慕いしていて……」と取り繕うことでしかなかろう。

ただ自分が嘘をつきたくない、愛する女性しか抱きたくないということで、目の前の、もう抱き寄せてしまった女性の気持ちを考えた振る舞いを選ばないなど、弱い男の保身でしかない。

もちろんこれは女性の人権などの概念の生まれる前の平安時代のこと、現代において合意の取れていない女性の寝室に忍び込むことも人違いで抱き寄せたことに気づいたまま事に及ぶことも警察沙汰になりかねないので、この話はあくまで抽象度高く受け取ってほしいのだが。

“平安時代の帝の息子のスーパーイケメン”という条件から少しでも外れる方、つまり令和の世に生きるすべての男性は、合意の取れていない女性の寝室に入ってはいけない。

ここで私の述べたいのは、“平安時代の帝の息子のスーパーイケメンが女性の寝室に忍び込み人違いで相手を抱いてしまった場合”に取るべき行動はこうであろう、これ以外は保身でしかなかろう、ということだ。

そしてこれはあくまでひとつのたとえ、「この状況で体裁を取り繕いこうすることは本当に悪なのか」と問うとそうとも言えないことなど、現代のフツメンにも、女性にも、いくらでもある。

さて、そんな光源氏の女性への気遣いは、モテよう好かれようとしての結果というより、ある程度性格の部分もあると思う。

先にも書いたように彼は老女に優しい。

いや、老女というか老人、年長の人間に好かれやすい。彼は年上の人間に特に心を開かせる何かを持っている。

容姿の問題だけではないだろう。数え六歳まで祖母に育てられたことも関係しているか。女きょうだいのいる男性の一定数が女性慣れしているのを連想させる。

掌中の珠である娘を春宮でなく光源氏の妻にと路線変更した左大臣、その妻大宮をはじめ、年上の少なくない数の人間が彼のために損得勘定を超えて行動してきた。

それは幼いころからそうで、母更衣の死後父帝に連れられ後宮をうろうろする時、更衣を敵視し間接的に死に追いやった弘徽殿女御さえ彼を嫌いとおすことはできなかったという。

さすがに源典侍ないしのすけぐらいだと、相手が光源氏でなくても惚れてきたかもしれないが。

そう、その光源氏に不釣り合いなおばあちゃん典侍に対してすら、彼は「かわいそうだから」「恥を掻かせないように」とある程度情けある対応をしている。

母方の庇護者をなくして父帝の傍で暮らすようになるのは数え六歳以降なので、それまで彼は祖母や乳母たち年上の人間、特に女性に愛情深く育てられたのだと思う。

その結果「僕は僕を愛してくれる人たちに早く死に別れたせいで孤独で寂しくて」という不満だらけの大人に育ったのはどういうことかと言いたくなるが、祖母や乳母、父の愛情では埋められないものを抱えて成長したいっぽうで、彼は確実に、そうした大人たちの愛情を一身に受けてその性格を育んでいったのだと思う。

五条の乳母の家に見舞いに行った際、その隣家に咲く夕顔の花を見て「口をしの花のちぎりや」と言う場面がある。私の好きなシーンのひとつだ。

「口をし」をどう訳すか難しいところだが、可憐な花の姿に対してこのようなあばら家にしか咲くことのない運命を「口惜し」と同情したようなイメージだろうか。

名も知らぬ花一輪に対してさえ心を寄せて言葉を漏らす。

それは、本質部分に優しさやこまやかさを持っている人間でなければ、自然とできることではない。

現代的な価値観では
「私はきれいだから貴族の庭に咲いてもよいぐらいなのにこんな貧乏人の家の垣根に咲くなんて理不尽だ、などと夕顔が思っているとは限らないのに、花の気持ちや幸福のありようを勝手に決めつけて上から目線で同情した気になって」
とも言われるかもしれない。

ただ平安時代の物語を読んでいると、「しあわせは人それぞれ」のような価値観とは異なる世界観が前提として感じられるので、光源氏の「口をしの……」も傲慢さでなく純粋な優しさの表現と取ってよいのだと思う。

『源氏物語』の登場人物のなかで決して好きではない光源氏について、その優しさや気配りの部分にこれだけ筆を割いてきたのは、「三鷹 古典を読む会」2023年1月回で『御堂関白集』を学ぶなかで、藤原道長の振る舞いに光源氏と似たものを感じたからだ。

道長の場合生得的な優しさといえるかどうかわからないが、少なくとも適切な気配りを彼がかなりしてきたからこそあの繁栄が突き崩されなかったのだ、ということは察せられる。

自分の父や兄を政敵として恨んでいるはずの上皇との定期的な歌の贈答。
婚姻によって自分の格を上げてくれた妻の実家の人間への気遣い。
自分や娘のもとで働く女房たちにも冗談の言いやすい雰囲気作り。
現代ではセクハラになるような部下への言動も、当時の価値観では「あなたのことを女として見ているよ、あなたは魅力的だよ」というメッセージだったかもしれない。
その部下が尼になるとなれば歌を添えて法衣を贈ってやることも厭わない。

似たような話をどこかで聞いた気がする。うつし世の光源氏だろうか。

前年11月回で『小右記』を学んだ際にも、先に権力を握った兄の道隆は身内かわいさに強引に人事を動かしたいっぽう、道長は自分の家族以外の無能なおじさんたちをうまく立てることで敵を作りすぎないようにした、という話があった。

自分の脅威にならなそうなおじさんたちの昇進を手伝ったり、一条天皇の寵愛厚い中宮定子対策として長女が入内にふさわしい年齢になるまでのあいだそうしたおじさんたちの娘の入内を支援したり。

そうだ。光源氏も、明石姫君が春宮に入内するにあたり、自分に遠慮して娘の入内を躊躇するほかの貴族に対して
「天皇の後宮に妻が大勢いるなかで寵を争うのが本来だ」
と言い、明石姫君の入内を延期させほかの娘たちの入内を促したのだった。

光源氏のモデルには複数の人間が挙げられており、誰かひとりということではもちろんないのだろうが、
そのひとりとして、決して貴種でもなく流謫の経験もない道長の名が挙げられることに、深く頷かれた「古典を読む会」1月回だった。

和歌さんが、道長に光源氏を連想したという「御堂関白集」の講座。その模様は、以下のnote記事にてアーカイブ配信されております。興味のある方は記事単独、もしくは、イヤーブックをお求めになってご視聴ください。
また、毎月「三鷹古典を読む会」は開催しております。興味のある内容の回に現地参加(三鷹)・オンライン参加(note)、ぜひお待ちしております。

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三鷹古典サロン裕泉堂で毎月開催される「古典を読む会」の動画・資料を配信(2023年1月~12月分、12回分)します。

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