29-1. “仲間割れ”を超える径路を探る
1.心理職の新しい形をデザインする
新緑の眩しい季節となりました。葉を落としていた木々がいつの間にか新しい芽を吹かせて若葉となり、心地よさげに風に揺れています。そして、初夏に向けて木々は成長をしていきます。
心理職は、公認心理師制度に翻弄されています。職能団体の分裂も続いています。関連する学会や職能団体は、旧式の心理療法モデルに拘り、限界のある公認心理師制度を前提とする議論に終始し、時代の制約を超えて心理職が発展していくビジョンを描けないでいます。
しかし、木々が成長するように心理職も発展したいものです。そこで、臨床心理iNEXTは、発足から3年目を迎えた今春、心理職の新たな形をデザインし、発展に向けてのビジョンを示すことを目標としました。そして、そのデザインを実現するための場を創り、新たなサービスを提供していきます。
2.心理職の新しい形を素描する
心理職の新たな形をデザインしていくために第一歩として、臨床心理学の歴史を見直します。欧米において心理職は、新たな専門職として地位を確保しています。それは、心理職の専門性を裏打ちする臨床心理学の発展があったからです。
欧米社会では、臨床心理学の学問体系が確立したことで、心理職の専門活動の有効性を社会に保証することができるようになりました。しかし、日本では、カウンセリングや心理療法は発展しましたが、残念ながら臨床心理学は確立していません。したがって、欧米の臨床心理学の発展史を学ぶことは、日本の心理職の発展に向けた径路を知ることになります。
臨床心理学史を学ぶことは、日本の心理職の新しい形をデザインするための素描(デッサン)を得ることになります。そこで、今回は、労作「臨床心理学史」(東京大学出版会)を昨年出版されたサトウタツヤ先生をお迎えして臨床心理学の発展の歴史的経緯をお話しいただき、そこから心理職の発展に向けて何を学ぶことができるのかを議論する講習会を企画しました。
今回のテーマは、心理職の発展にとって、とても重要なテーマです。心理職の活用や臨床心理学に関心のある方には、ぜひご参加いただきたい内容です。そこで、臨床心理iNEXTの有料会員の皆様には無料でご参加いただけるようにしました。また、それ以外の皆様にも1000円という廉価でご参加いただけるようにしました。多くの方のご参加を期待しております。
3.欧米における心理職の発展を学ぶ
心理職の発展に向けて臨床心理学の発展史を学ぶ講習会は、以下のようなプログラムで開催します。特に心理職の統合を重視したのは、日本の心理職の発展を阻害している要因の一つとして関連学会や職能団体の分裂があるからです。
日本の心理職の間では、深刻な“仲間割れ”が起きていますが、それは今に始まったわけではありません。臨床心理学は、その起源から発展に至る過程はまさに分裂と対立の歴史でもあります。
本研修会では、心を扱う学問として新たに成立した臨床心理学の科学的位置を巡る相克を丹念に描く「臨床心理学史」(東京大学出版会)をテキストとして、仲間割れは単に感情的な対立だけでなく、学問的な意見相違が背景にはあることを理解し、心理職の統合の可能性と方向性を探ります。
4.サトウタツヤ先生に聞く ①:多様性の物語から統合へ
[下山]ご著者「臨床心理学史」は、臨床心理学の発展プロセスについて史実に沿う丹念な記載がされており、その点で貴重な歴史書になっています。しかし、無味乾燥な研究書ではなく、フロイトをはじめとして臨床心理学の発展に関わった人物史が織り込まれており、臨床心理学の物語という読み物としての面白さを備えています。
[サトウ]ありがとうございます。臨床心理学の歴史には、心理療法の多様性と関連してさまざまなドラマで満たされています。フロイトとその弟子の離反、精神分析と行動療法の対立など、最初から波乱のスタートです。
[下山]心理療法や臨床心理学の成立は、近代化という時代精神と深く関わっていましたね。そこには、主観と客観の対立図式があり、それが精神分析と行動療法の対立とモロに被っていた。しかし、それが第2次世界大戦後の米国において統合に向かって動き出したということがありますね。
[サトウ]そこで出てきたのが科学者−実践家モデルですね。ロジャースなども主観的世界を重視していますが、その一方で実証的な研究も重視していた。時代の変化の中で心理療法は多様性を増してくるのですが、そのような科学者と実践家を軸として臨床心理学として統合する方向も出てきた。それが、現代のエビデンスベイスト・プラクティスにつながってくるわけです。また、そもそも米国ではウィリアム・ジェームズ以来の機能主義の伝統があったので、その旗のもとに集まることができたのだと思います。
5.サトウタツヤ先生に聞く ②:日本の心理学の特殊事情
[下山]日本は、戦後、精神分析やカウンセリングなどを米国から積極的に輸入した。しかし、この臨床心理学としての統合は導入できていない。
[サトウ]その背景には、明治時代に起きた「福来友吉」事件があると思います。
[下山]それは、東京帝国大学の助教授であった福来が、透視や念写を心理学のテーマとして取り上げたことで辞職を余儀なくされた出来事ですね※)。その事件を契機として日本では、心理療法関連の学問は、透視や念写にもつながる怪しいものとみなされ、心理学ワールドから排除されることとなったわけですね。
※)https://www.library.pref.gifu.lg.jp/gifu-map/gifu-related-materials/gifu-pioneer/page/hukurai-tomokichi.html
[サトウ]その結果、心理学は実験心理学に代表される基礎心理学を意味するものとなり、心理療法関連の学問はアカデミックな世界で扱われない傾向が出てきました。本来なら戦前の日本でも何人かの専門家が育ったはずですが、それが無かったのです。戦後、カウンセリングや心理療法が日本に導入されても、心理学は文学部、カウンセリングや心理療法は教育学部で教えるという分断が生じることになりました。
[下山]確かに臨床心理学史は、ドラマに満ちていますね。日本では、戦後の臨床心理学会の分裂、そして河合隼雄先生のリーダーシップによる心理療法の興隆、それに反発した基礎心理学という対立の歴史があります。しかし、世界の臨床心理学は、対立ではなく、統合の方向に向かったということでしょうか。
[サトウ]世界の臨床心理学は多様性を認める方向で進んでいます。また、基礎心理学と臨床心理学が協力することは、心理学全体にとってのメリットが多くあるわけです。日本の心理学ワールドでは、そのような協力や、それに向けての対話ができていないのは残念です。
6.サトウタツヤ先生に聞く ③:ケースフォーミュレーションのための歴史
[下山]そういう意味で日本の心理職が対立を超えて発展していくためには、欧米の臨床心理学史から学ぶことが多いですね。
[サトウ]臨床心理学の発展史を知ることで心理療法の学派の違いといったものを相対的に見ることができるようになります。日本では、それぞれの心理療法の理論を固定化し、絶対視して学派間で対立が起きている。それに対して歴史を知ることで、それぞれの心理療法モデルは、臨床心理学が発展する過程の一部であるという見方ができるようになります。それは、学派の考えに捉われずに自由になることであり、多様性を認めることにつながります。
[下山]サトウ先生は、「臨床心理学史」の“はしがき”の中で「ケースフォーミュレーションのための歴史」と表現しています。これは、どのような意味でしょうか。
[サトウ]心理職の活動の基本は、アセスメントをして問題の見立て、適切な技法を選んで介入するという一連の行為です。その際、介入すべき現象に関する理論(モデル)が必要となる。臨床心理学の歴史を知っていることで、個別の理論に捉われずに自由に目の前の問題にふさわしい介入技法を選ぶことが可能となるからです。
[下山]臨床心理学の歴史を知ることで学派の囚われを脱して、自由に、そして適切にケースフォーミュレーションができるようになるということですね。
7.サトウタツヤ先生に聞く ④:歴史を学ぶことは自由になること
[サトウ]そうです。歴史を知ることは、その活動の全体の構造、つまりゲシュタルト(形態)を知ることです。ゲシュタルトを知ることで、部分に捉われることなく、全体の中で必要な部分を自由に選択できるようになります。その結果、透明性や公共性のある判断ができるようになるわけです。さらに、歴史を知ることは、発展のプロセスを知ることです。プロセスを知ることは、一時点に固定されることなく、変化する現象をそのまま理解する視点を得ることになります。
[下山]臨床心理学は、心理学の一部と定義されるようになっています。公認心理師もそのように臨床心理学を位置付けてカリキュラムを構成しています。それを受けて以前は日本には存在しなかった心理学部が設立されるようになっています。サトウ先生が学部長をしている立命館大学もそうですし、私が今年度着任した跡見学園女子大もそうです。心理職になる人にとって、さらには心理職にならずに就職する人にとって心理学を学ぶ意味とはどのようなものでしょうか。
[サトウ]それは、人間を理解するための新たな視点を得ることです。実験デザインだけでなく、面接、観察、調査といった心理学の方法を学ぶことで、日常で行なっているのとは異なる方法で人間の心理や行動を理解することができるようになります。それは、心理職の実践活動でも役立ちます。さらに就職した場合でも、マーケティングやサービスの向上に役立つと思います。
[下山]臨床心理学史を学ぶ講習会では、日本の心理職が発展していくビジョンについても議論ができればと思っています。宜しくお願い致します。
[サトウ]前半は『臨床心理学史』に基づき臨床心理学の歴史を概説します。後半は5月に出版されたばかりの『臨床心理学小史』(ちくま新書)の内容も参照しながら日本の臨床心理学のあり方についても考えて行きたいと思っています。
[下山]その後、ディスカッションもできるといいですね。楽しみにしています。
■記事制作&デザイン by 原田優(公認心理師&臨床心理士)