46-1.「心的外傷」心理支援の保険点数化に応える
臨床心理iNEXTオンライン研修会
注目新刊本「編者」オンライン研修会
1.「トラウマ症状への心理支援」が診療報酬の対象に!
今年の2月の中央社会保険医療協議会において診療報酬の改定内容が示されました。公認心理師は、新設された「心理支援加算」の算定職種となりました。そこで対象となったのは、「心的外傷に起因する症状を有する患者に対する心理支援」です。加算点数は250点 (2,500円)で、初回算定日から2年間、月2回が限度となっています。
これには「精神科医師の指示を受けて行う場合に限る」という条件がついており、加算点数も決して高いとは言えません。そのような限定はあるものの、この保険点数化からは、「心的外傷(トラウマ)への心理支援が重要な社会的課題であり、それを担うことが心理職の主要なテーマである」との行政や医療サイドの認識が見て取れます。
このような「心的外傷(トラウマ)への心理支援」への注目の背景には、2018年に公開されたICD-11において複雑性PTSDが公式診断として収載されたことで、トラウマ体験の影響の多様さと深刻さが認められるようになったことが挙げられます。また、虐待等の逆境的小児期体験 (Adverse Childhood Experiences:ACEs) に由来する発達性トラウマ障害が認識されるようになってきていることも、その背景にあると言えます。
2.複雑性PTSDの「自己組織化障害」の重要性
複雑性PTSDは、極めて脅威的で恐ろしいトラウマを繰り返し体験した結果、従来のPTSD症状に加えて自己組織化障害(Disturbance in Self-Organization: DSO)の症状が併せてみられる状態です。
したがって、複雑性PTSDは、PTSD3症状「侵入(再体験)症状、回避症状、覚醒亢進(脅威の知覚)症状」に加えて、以下に示す自己組織化(DSO)の3症状「感情制御困難」「否定的自己概念」「対人関係障害」が併せて見られます。そのため、日常生活でさまざまな支障をきたすことになります。
このような自己組織化障害は、個人的、家族的、社会的、教育的、職業的、またはその他の重要な領域における機能に重大な障害を引き起こし、いわゆる「生きにくさ」が慢性的に継続する要因になります。その結果、「生きにくさ」に関連する多様な心理的問題がみられることで心理職が相談を受け対応することが多くなります。また、「生きにくさ」が前面に出ることでPTSDの症状が隠され、トラウマ反応であることが見過ごされて、単なる性格や人間関係の問題で片付けられてしまうこともあります。
そこで、臨床心理iNEXTでは、冒頭でご案内したように心理職必須として「自己組織化障害 (DSO)の理解と支援」をテーマとする研修会を開催することにしました。前半では心理職である下山が自己組織化障害の理解と支援を概説し、米国在住の大谷彰先生が米国のトラウマ対策の最前線の事情を報告します。また、精神科医としての立場から原田誠一先生に追加討論をしていただきます。後半では、下山が事例を提示し、臨床的観点から自己組織化障害の理解と支援について具体的に、そして多面的に検討します。
3.心理職の必須課題:「自己組織化障害」の理解
自己組織化障害の3症状「感情制御困難」「否定的自己概念」「対人関係障害」は、いずれも心理的症状であるために、心理的問題として心理職による支援の対象となります。しかし、不安や抑うつなどの一般的な感情の問題を主訴として来談するため、複雑性PTSDや自己組織化障害をよく理解していないと、主訴の背景にある問題の本質を理解できずに不十分な対応をしてしまう危険があります。
したがって、自己組織化障害を適切に理解していないと、重大な過ちを犯すことにもなりかねません。複雑性PTSDに十分な理解のない医師や心理職は、自己組織化障害の症状を誤って抑うつ障害、双極性障害、不安症、解離症、身体症状症、パーソナリティ障害等の症状と誤解してしまう可能性があります。誤った診断の下で薬物治療が進められた場合、PTSDへの対処を見逃すだけでなく、薬物の副作用の問題も生じ、治療の混乱、そして問題の悪化が生じることにもなりかねません。
4.自己組織化障害の理解と支援における心理職の役割
逆に自己組織化障害が前面に出ている場合には、単なる「生きにくさ」の問題として誤解され、性格の問題として片付けられてしまうこともありえます。そのため、自己組織化障害は、時間をかけてその「生きにくさ」の状態を仔細に聴き取るとともにトラウマ体験を過去に遡って確認していく作業が必要となります。その点で多くの患者の診察で多忙を極める医師だけでなく、時間をとって心理的アセスメントができる心理職の役割が非常に重要となります。
複雑性PTSDについては、アセスメントが難しいだけでなく、心理支援についても特別に慎重な対応が求められます。複雑性PTSDの当事者は,トラウマ体験において力関係で優位な他者から攻撃され、支配される弱い立場として人間関係を繰り返し経験してきています。その結果、日常的な人間関係をそのような脅威体験として学習してしまっています。
そのため何らかのトリガーによって、自己組織化障害の症状が喚起され、心身の状態は不安定となり,被害的な感情反応を呈します。心理支援の場面においても、心理職の対応によっては、それがトリガーとなり、心理支援場面が脅威体験となり、被害的な人間関係や感情反応が起きやくなります。
したがって、心理支援の開始にあたっては、まず当事者を脅かさないために受容と共感、傾聴と支持といったカウンセリングの基本技能が安心できる関係づくりのために重要となります。この点でも自己組織化障害への対応として心理職の役割は大きいと言えます。
5.心理職の必須課題:トラウマインフォームドケア
さらに心理支援のプロセスにおいても、トラウマ体験を呼び起こすトリガーを見落とすと、自己否定等を引き出してしまい、自己組織化障害を悪化させることになります。そのためトラウマからの回復支援を進めるにあたっては、トラウマに特化した支援手続きとしてトラウマインフォームドケアの必要性が強調されるようになっています。
このトラウマインフォームドケアは、虐待などの小児期逆境体験(ACEs)が子どもに及ぼす深刻な影響の結果生じる発達性トラウマへの対応経験から発展した方法です。そこでは、トラウマに関連するさまざまな気持ちへの気づきと、否定的な気持ちをコントロールするスキルを習得することが重視されます。
そのために以下に示す「4つのR」で構成される段階を踏むことが求められます。これは、トラウマインフォームドケアを提供するための前提条件となっています。この4段階を通してトリガーに気付き、そのことを当事者、関係者、支援者で共有し、当事者と支援者が平等な関係において協働し、生活の中でトラウマに対処する作業を進めていきます。
周囲を悩ませる「問題行動」の背景には、トラウマの存在、そして自己組織化障害があることへの気づきが出発点となります。その気づきと共有が、周囲からの非難や叱責、過剰な統制から当事者を守り、安全な環境を形成し、安心できる関係を通して専門的な支援を提供できるようになります。
このように複雑性PTSDと自己組織化の障害に対しては、薬物治療といった医学的対応ではなく、当事者と関係者、支援者が平等な関係の中で問題の成り立ちを共有し、協働して問題に対処していくことが重要となります。その点でも心理職の役割は大きいと言えます。
6.複雑性PTSDの診断は極めて限定的
これまで見てきたように複雑性PTSDへの対応においては、自己組織化障害の理解が極めて重要であることが明らかとなりました。しかし、問題はそれで終わらないのです。実は、複雑性PTSDの診断自体が自己組織化障害の重要性を限定し、さらには隠蔽してしまうことが起きているのです。
そのようなことが起きる理由は、自己組織化障害は、複雑性PTSDの下位概念ではなく、むしろ独立して存在する状態だからです。しかも、①複雑性PTSDの定義が極めて限定的であるのに対して、②自己組織化障害の適用範囲は複雑性PTSDを超えて極めて広範囲にわたるということがあります。
複雑性PTSDと診断するためには3つの条件があります。まず①「実際に危うく死にそうなできごとや重篤なケガ(性的暴行も含む)を体験した」といったPTSD診断のための「出来事基準」があります。強い脅威やストレスを感じる逆境体験があっても、上記の出来事基準を満たしていなければ複雑性PTSDに診断をされないのです。しかも②「侵入(再体験)症状、回避症状、覚醒亢進(脅威の知覚)症状」が1ヶ月以上持続しているといった「PTSD診断基準」も併せて満たしている必要があります。さらに③「心的外傷体験となる出来事が繰り返されて自己組織化障害が生じている」といった「自己組織化障害基準」が加わります。
したがって、複雑性PTSDと診断されるためには上記の①〜③を全て満たす必要があるため、非常に限定されたトラウマ反応しか取り上げていないことになります。実際に死ぬような恐怖体験を受けて出来事基準をクリアしていても、実際にPTSD診断基準を満たす症状を呈する割合はかなり低くなっています。このことは、乳幼児期の虐待とも関連して近年注目されている発達性トラウマ障害についても同様のことが言えます。例えば、発達性トラウマ障害の出来事基準を満たすのは、「身体的虐待」「性的虐待」のみで、「心理的虐待」や「心理的ネグレクト」は該当しません。
7.複雑性PTSDグレーゾーンに注目する必要性
複雑性PTSDとして診断されない場合でも、脅威やストレスを感じる逆境経験によって自己組織化障害を呈することは普通にあるわけです。その結果、複雑性PTSDの診断に囚われ、その枠内から見ているだけでは、自己組織化障害を見落とし、心的外傷(トラウマ)の多様性と深刻さを理解できないことになります。むしろ、心的外傷(トラウマ)反応を適切に理解し、支援するためには複雑性PTSDの診断グレーゾーンに注目する必要があります。
さらには自己組織化障害を理解するためには、PTSDとの関連から離れ、独立してその可能性を探ることも必要となります。例えば、発達障害は、脅威やストレスへの耐性が非常に脆弱であるので、心的外傷(トラウマ)とは言えない体験であっても自己組織化障害を呈することが多くあります。むしろ、発達障害などの障害がある場合、社会的場面で多くの困難に遭遇し、それが当事者には逆境として体験されて自己組織化障害を起こします。その点で自己組織化障害は、心的外傷(トラウマ)から独立して存在するとも言えます。
8.改めて「心的外傷に起因する症状」とは何か
冒頭で述べたように公認心理師は、「心的外傷に起因する症状を有する患者に対する心理支援」ということで診療報酬の「心理支援加算」の算定職種となりました。では、ここで述べられている「心的外傷に起因する症状」とはどのようなものでしょうか。
上述したように複雑性PTSDの診断をするためには、心的外傷を引き起こす出来事基準や診断のための症状が明確に規定されています。したがって、心的外傷を経験し、それに関連する症状や問題で苦しんでいても診断から外れるグレーゾーンの人が非常に多くいます。さらに、逆境体験をもち、自己組織化障害に由来する「生きづらさ」を抱えている人も数多くいます。これらの人も、複雑性PTSDグレーゾーンに入るとも言えます。
このように考えると診療報酬の対象になるかどうかは別にしても、心理職の臨床的課題として幅広い観点から自己組織化障害と、それと関連する「生きにくさ」の問題を取り上げる意味はあると考えました。自己組織化障害は、心的外傷や逆境体験だけでなく、発達障害の場合などでは、トラウマがなくても自己組織化障害が起きることがあるので、「生きにくさ」に特化した議論があっても良いと考えたということもあります。
9.複雑性PTSDグレーゾーンの自己組織化障害を学ぶ意味
診断分類という枠組みで、自己組織化障害や逆境体験を扱うとなると、かなり限定した意味で議論しなければならなくなります。つまり、医学モデルだけでは、自己組織化障害や、その要因となる逆境体験を十分に取り上げることができないということになります。
ところが、心理支援の観点からは、むしろ診断分類の枠外のグレーゾーンの問題をどのように理解し、支援するかがとても重要になります。心理支援において最も中核になるのが、このグレーゾーンの人々です。そのため、グレーゾーンの状態や意味を明確にしないと、「生きにくさ」を強く感じていながら、病気や障害でないからという理由で支援を受けられなかったり、逆に他の障害(うつや不安症等)に誤って診断されて不適切な治療を受けたりすることの問題性を議論できないことになります。
そこで、臨床心理iNEXT研修会では、逆境体験をもち、自己組織化障害に由来する「生きづらさ」を抱えていながらも、複雑性PTSDや発達性トラウマ障害の診断のための出来事基準には当てはまらないグレーゾーンの自己組織化障害の理解と支援をテーマとしました。ぜひ複雑性PTSDや発達性トラウマに関わる多くの心理職が参加されることを期待しています。
■記事校正 by 田嶋志保(臨床心理iNEXT 研究員)
■デザイン by 原田優(臨床心理iNEXT 研究員)
目次へ戻る
〈iNEXTは,臨床心理支援にたずさわるすべての人を応援しています〉
Copyright(C)臨床心理iNEXT (https://cpnext.pro/)
電子マガジン「臨床心理iNEXT」は,臨床心理職のための新しいサービス臨床心理iNEXTの広報誌です。
ご購読いただける方は,ぜひホームページ(https://cpnext.pro/)より会員になっていただけると嬉しいです。
会員の方にはメールマガジンをお送りします。