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50-3.メンタルクリニックの実態と心理職の課題


特集:選ばれる心理職になるために

櫛原克哉(東京通信大学講師)
下山晴彦(跡見学園女子大学教授/臨床心理iNEXT代表)

Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.50-3

注目本「著者」研究会

「メンタルクリニックの実態と心理職の課題」
−「生きづらさ」の医療化と彷徨う「患者」−
【日時】10月26日(土)9:00~12:00
【講師】櫛原克哉先生(東京通信大学講師)
【指定討論】下山晴彦(跡見学園女子大学/臨床心理iNEXT代表)
【注目書】『メンタルクリニックの社会学 』(青土社 櫛原克哉)
−雑居する精神医療とこころを診てもらう人々− http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3702
【申込み】
[臨床心理iNEXT有料会員](無料):https://select-type.com/ev/?ev=4kD3M3fLbZc
[iNEXT有料会員以外・一般](1000円) :https://select-type.com/ev/?ev=YNDAVaSy9NU
[オンデマンド視聴のみ](1500円) : https://select-type.com/ev/?ev=A32tsvyjzY4

注目本「訳者」研究会

ソマティック・エクスペリエンシング入門
−トラウマを癒す内なる力を呼び覚ます−
【日時】10月5日(土) 9:00~12:00
【講師】花丘ちぐさ先生(国際メンタルフィットネス研究所 代表)
【参考書】『ソマティック・エクスペリエンシング入門 』(春秋社 花丘ちぐさ訳)
https://www.shunjusha.co.jp/book/9784393365724.html
【申込み】
[オンデマンド視聴のみ](3000円) _10/15(火)まで
https://select-type.com/ev/?ev=7CK7pvCFc5M


1.   メンタルクリニックとは何か?

1990年代以降、都市部を中心に「メンタルクリニック」(精神科や心療内科)が急増しました。心身の不調から日常的な悩みまで「メンタル」を巡るさまざまな問題が持ち込まれ、診断や治療がなされ、患者はメンタルクリニックへの接近と離反を繰り返します。

皆様は、このような「メンタルクリニック」は和製英語であり、近年急速に増加しつつある日本独特のシステムであることをご存知でしょうか?

「生きづらさ」を抱えた人々が、コンビニのように街角にある「メンタルクリニック」に吸い寄せられていきます。その中には、薬物療法が必要でない「悩みごと」を持つ人たちもいます。そのような人にも診断名がつき、「患者」となり、薬物療法がされることもあります。

そのような「患者」は、メンタルクリニックに勤務する心理職の担当になることも少なくありません。心理職は、“医師の指示”の下で心理支援をすることになります。


2.   メンタルクリニックの実態を知る研究会

「メンタルクリニックの社会学」(青土社)では、このようなメンタルクリニックの患者とクリニックスタッフへのインタビューを通して「治る」と「治らない」の間で揺れる患者の現実を社会学的視点から描き出しています。「生きづらさ」や「悩みごと」を病気(疾患)として治療する「医療化」の問題が、メンタルクリニックで起きている出来事に如実に顕れています。まさに発達障害やトラウマに由来する「生きづらさ」を抱える人々の支援を巡るメンタルヘルスの問題が、そこに凝縮されています。

研究会では、参考書「メンタルクリニックの社会学」の「序章 メンタルクリニックの社会学」「第1章 メンタルクリニック誕生」「第2章 不安定な医療化―何を医療とみなすのか」「第3章 トラブルの『実在』をめぐる問い」「第4章 治療する自己―薬・脳・こころをめぐる語り」「第5章 『治る』と『治らない』のはざま」の各章の内容を講師の櫛原先生がそれぞれ簡潔に解説し、指定討論の下山が質問をして解題をしていきます。

講師の櫛原先生と指定討論の下山の質疑応答を通して、「心理職はメンタルクリニックによる医療化の問題をどのように理解し、どのようにしていくのが良いのか」という観点から課題を提起し、参加者を交えてのデイスカッションを行います。


3.   雑居する精神医療とは?

【下山】最初にご著書『メンタルクリニックの社会学―「治る」と「治らない」のはざまで』についてお伺いします。御本の表紙に「雑居する精神医療とこころを診てもらう人々」というキャプションが記載されていました。この「雑居する精神医療」とはどのような意味なのでしょうか。

【櫛原】二つの意味があります。一つは、メンタルクリニックは都市部を中心に雑居ビルのような場所に開設されやすいという傾向があります。メンタルクリニック開設の指南書には、メンタルクリニックの立地条件として、雑居ビルのような、さまざまなテナントが入居していて、どこに行くのか分かりにくい場所が良いといった記載もありました。精神科に行ったということが、他の人の目から見ても隠れるような、こっそり入れるような場所にあるのが望ましいということです。

もう一つは、メンタルクリニックを訪れる人々の多様性と関連します。精神症状の訴えのみならず、人生相談に近いものから身体疾患に関する悩みのようなものまで多様です。「診断をつけてほしい」、「何かしらの福祉のサービスを受けたい」、「会社を休職したい」といったことまで含めて、非常に多種多様なニーズに応えています。そういったニーズが雑居するという点で狭義の医療に留まらないとのニュアンスを込めました。

【下山】メンタルクリニックは、今ではコンビニのように街中に当たり前に存在するものになっています。ただ、これは、昔から存在した形態ではなく、実際には、近年急増した、新しい現象でもあるわけですね。しかも、「メンタルクリニック」は和製英語であり、精神科の診療所としては世界でも類を見ない、珍しい形態なんですね。先生の御本でも書かれていたように米国では、心の悩みや病気の相談に行くところは、専門のサイコロジスのオフィスとなっています。ですので、メンタルクリニックは、精神科診療所とサイコロジスのオフィスが雑居しているようなものですね。


4.   雨後の筍のように増加したメンタルクリニック

【下山】今回の研究会では、メンタルクリニックを当然あるものとは考えずに、「現代日本社会において、何故このような珍しい医療機関である“メンタルクリニック”が急増し、こんなに流行っているのか」を考えたいと思っています。

【櫛原】現代のメンタルクリニックは、医療からカウンセリングまで、さまざまなサービスを受けられる点で非常にカジュアルになっています。最近では「メンクリ」と略されて、SNSなどでは「メンクリ行ってちょっと薬処方をしてもらってきた」などと書かれています。気軽に利用され、さらにそれが強化されている印象があります。

【下山】本当にコンビニみたいですね。しかし、1970年代では、街中の精神科診療所は珍しく、患者は来ないのではないかと思われていたようですね。むしろ、余所者としてその地域から排除される、そんな雰囲気があったとのことですね。

【櫛原】精神科の看板を出してクリニックを開業すると、非常に冷たい目で見られた地域もありました。精神科診療所が開設され始めた1970年代は、精神科を受診することがタブーとされやすく、抵抗感を抱かれやすい傾向が続いていました。

【下山】それが、1990年代以降、都市部を中心に雨の後の竹の子のごとく急増したということなんですね。


5.   苦悩や困り事の管轄権は誰なのか?

【下山】そのようなメンタルクリニックが、近年に急増したことと関連あることとして「管轄権」のことが御本に書かれていました。「管轄権」とは、日々の生活の中で生じる苦悩や困り事といった個人的問題に対して誰が相談に乗るのか、つまりそのような相談をどのような職業が管轄するかということですね。

19世紀半ばまでは聖職者が“管轄権”を有していたが、近代化とともに相談による需要が高まったことで聖職者に代わる職業が求められるようになったということでした。米国などでは、そのような苦悩についての相談を受ける管轄権を有しているのがサイコロジストであるのですが、日本ではそれがメンタルクリニック。つまり医療になったということですね。

【櫛原】管轄権とは、平たく言えば、専門職の縄張りのようなものです。専門職間で縄張り争いがあるわけですね。日本では、とりあえずメンタルクリニックに行くということで、結果的に相談に行くのも医療という水路が形成されることが多いと思います。

【下山】日本では、他国とは異なり、苦悩についての相談までもがメンタルクリニックが管轄権を持つようになっているということですね。通常は、医療が管轄権を持つテーマではないですね。

【櫛原】区別が曖昧になっています。狭義の精神疾患の治療という文脈を超えて、「とりあえずメンタルクリニックに行って何とかしてもらう」ということにもなりやすいと思います。

【下山】海外では「薬物が必要な精神障害の医療的治療」「苦悩についての心理相談」の区別がしっかりしており、管轄権も異なっています。しかし、日本では、医学の対象でない相談事まで含めてあらゆることがメンタルクリニックの管轄権に入り込んできてしまっています。それは、海外の観点からすれば不思議な現象だと思います。


6.   メンタルクリニックが急増した理由

【下山】櫛原先生のご研究は、そのような現象が日本で形成されたプロセスを明らかにすることがテーマになっていますね。このような雑居的なメンタルクリニックが日本に出現し、どんどん増殖している要因はどのようなところにあると思いますか。

【櫛原】いくつか要因もあるかと思います。第一の要因として、精神科という言葉の婉曲表現として「メンタルクリニック」というオブラートに包むような看板が根付いていったことがあります。精神科との看板を掲げずに、神経科とか心療内科とか、あるいは診療科名を書かない形で間口を広げていく試行錯誤の歴史があったわけです。

第二には、1990年代にうつ病が流行していく中でメンタルヘルスという言葉が人口に膾炙していったことも要因になっています。「うつ病は誰でも罹る心の病です」という言説が流布していくにつれて、メンタルヘルスの問題は一部の限られた精神病だけでなく、誰もが罹る心の病を対象とするものだという考えが流布しました。だからこそメンタルクリニックに行くことの心理的ハードルが下がったということがありました。

さらに第三の要因として、制度的なことも関わってきます。外来精神医療の医師を中心とする運動によって診療報酬が右肩上がりで増えてきました。これまで経営が不安定になりがちだったメンタルクリニックが、収益を上げやすくなったのです。

【下山】その診療報酬とも結びつくのが、1980年に出たDSM-Ⅲですね。DSM-Ⅲで精神障害は操作的分類となりました。世界的に見るならば、専門的に操作的診断基準を学び、サイコロジストなどの資格を得たならば、医師でなくても診断ができるようになります。日本では未だに診断は医師に限定されていますが、世界的に見るならば精神科診断は、医師の手を離れて大衆化が進みました。

【櫛原】DSM-Ⅲの影響としては、自己診断のしやすさと、自分の状態をカテゴライズする思考が根付いていったということがあります。通院してから診断を受けるよりも前にインターネットなどで情報収集し、チェックリストみたいなものを用いて「私は“うつ”かもしれない」とか「不安障害かもしれない」と自己診断をする機会が増えました。

さらに、そういった悩みを持つ方は、まずはクリニックでお医者さんに相談しましょうという経路を形成されていったことも、メンタルクリニックが増えた大きな要因でした。特に「不安障害」や「うつ病」といったカテゴリーで状態を把握して、それは薬物療法で治療できるという思考が根付いていきました。1990年代から2000年代までは、その背景に製薬企業の啓発活動やバックアップがあったことも指摘されています。


7.   心理的苦悩の病理化と薬物治療の蔓延

【下山】確かにDSMの操作的診断によって苦悩が病名でカテゴリー化され、「薬で治す」という文化が形成されました。そのバックには製薬会社がいました。そして、メンタルクリニックは「薬を出す」場所として定着していったわけですね。ある意味で「心的苦悩の病理化」が進み、「薬物治療の蔓延」が進行しました。

【櫛原】特に2000年代〜2010年代、不安障害の啓発などがとても盛んで、テレビCMもすごい流れていました。そういった傾向性もメンタルクリニックの受診者数の増加を後押したと思います。また、日常生活のさまざまな問題の対処・解決の方法として、薬物療法が優先されやすい状況を「薬剤化(pharmaceuticalization)」として指摘する社会学者もいます。

【下山】1980年にDSMⅢが操作的診断になったことで、海外では心理職でも福祉職でも資格を持っている人は診断ができるようになりました。診断が医師の独占物では無くなったという大きな変化がありました。それによって医師以外の専門職が医師の診断をチェックすることが可能となったわけです。他の専門職が医師の診断や処方をチェックできるようになり、それが薬物療法の抑制にもなりました。

しかし、日本では、世界の動きとは異なり、診断は医師の特権のままでした。一方で「心的苦悩の病理化」が広く人々の中で一般化したのにもかかわらず、他方では「精神障害診断の医師独占」はそのままとなっていました。それが、多くの人々がメンタルクリニックに集中するようになった要因であり、日本独特のメンタルクリニックが繁栄する土壌でもあると思います。


8.   医師の診断の権限と限界

【櫛原】医師のみが診断という点は「診断の権威」ということに関わってきます。ただし、診断をどう受け止めるかは、患者さんによって異なっていると思います。患者さんが自己診断をしたうえでメンタルクリニックに行くことも多くなりました。その結果、患者さん自身が考えていた診断と医師の診断とが合致しないことがあり、患者さんが反論し、医師に不信感を募らせるといったケースも出てきました。さらに診断が下されたら、それで終わりではなくて、本当にその診断が合っているのかを、セカンドオピニオンを求めて探ってみたり、別の治療的アプローチを求めたりするケースもみられました。診断が多種多様で多岐にわたっているがゆえに、診断の受け止め方もより操作的になっている部分もあるのかなと考えています。

【下山】本来であれば、操作的定義ですので、診断は相対的なものです。私がかつて参加したことのある英国のメンタルケアチームでは、医師を含めて多様な専門職が平等に議論していました。診断は医師の特権ではなく、医師には薬物の処方権があるだけでした。ですので、普通に医師の診断が他の専門職によって否定されることもあり、メンバーの議論で決まっていきました。
しかし、日本では診断する医師に強い権限が与えられているので、診断を自由に議論することができなくなっています。医師の診断に物申してはいけないのです。それが、日本の現状だと思いますが、いかがでしょうか。

【櫛原】医師の権限の問題については、私の研究では扱っていませんでした。ただ、私が書籍を出版した後「精神科診断に代わるアプローチPTMF」(石原孝二他訳 北大路書房)が出版されました※)。そこでは、診断をつけずにその生育歴や現在置かれている社会的な環境も含めてその人を理解していくことが示されていました。その動きが結構広がっていることと関連しているようにも思います。
※)https://www.kitaohji.com/book/b620327.html

【下山】そうです。日本では医師の権限が強く、精神科診断の権威と、その影響力が強く残っています。しかし、世界の動きは、そもそも精神科診断のカテゴリーの妥当性への疑問も含めて診断不要論が強くなっています※)。
※)https://note.com/inext/n/ndbe89ac57b89


9.   世界のメンタルヘルスの動向と日本の課題

【櫛原】DSM-Ⅲが出る以前の話ですが、精神科診療所の原点となっている浜田晋の臨床は、必ずしも診断を目的としていなかったと思います※)。よろず相談みたいなところがあって、診断名をつけることよりも目の前の患者さんに何ができるかというところを優先するような様子がみられました。その後に、制度設計の観点からまずは診断をつけなければ医療や福祉、休職手続きなどのサービスが提供できないことになり、診断の重要性が増していったのだと思います。
※)「街角の精神医療 最終章」(浜田晋 医学書院)
https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/20120

【下山】日本では診断について医師の権限がとても強くなっており、それと関連してメンタルクリニックが不思議な力と存在感を持つようになってきています。その背景には、日本独特の診断を重視する精神医療政策の制度設計の特徴があるのだと思います。しかし、メンタルヘルスの世界的動向では、さまざまな研究成果から精神科診断の妥当性が非常に疑われるようになっています。現在の精神科診断のカテゴリー分類をディメンジョナル分類に変更していく議論も進んでいますね。

【櫛原】そうですね。ASDやADHDなどの総称名詞としての発達障害という言葉、これは正式な医学的診断ではないのですが、さまざまな特性や状態を包括的かつ柔軟に名指すことができることの影響力は大きいと思います。また、「発達障害」をめぐる診断がつくと、その人のその後の人生や自己観に非常に強い影響を及ぼすこともあります。その点でも診断の重要度が増していることになっています。その一方で、最近の薬物療法を中心とする生物医学的精神医学の行き詰まりを鑑みると、診断をつけて結局何が得られるのか、あるいは得られないのかというところも非常に重要な論点となると思います。

【下山】そうですね。発達障害だけでなく、トラウマなども含めて、現在の精神科診断のカテゴリー分類はメンタルヘルスの問題理解に適していないことが明確になってきており、今後は次元的な、つまりディメンジョナルな問題理解になっていくと思います。そのような世界的動向の中で、日本独特のメンタルクリニックが今後どのようになっていくかに注目したいですね。日本のように医師独占の診断をしていると、世界からも現実からもどんどんズレたメンタルヘルス体制になっていくことが懸念されます。もし先生の御本の続編があるとすれば、ぜひこのテーマでも研究を進めていただきたいです。


10.  メンタルクリニックにおける矛盾

【櫛原】それと関連して日本では、むしろ診断されることを積極的に求める人も出てきています。肌感覚にはなりますが、若者層の間では「自分がどの診断に当てはまるのかを判別してほしい」という、カテゴライズ思考がますます根付きつつあるように思います。「自分は発達障害かもしれない」とか「不安症かもしれない」とか、そういうような感じですね。診断的思考が非常に影響力を持っているからこそ、カテゴライズする思考のメリットとデメリットを検証していったほうが良いと思っています。

【下山】そうですね。日本では世界的に珍しいメンタルクリニックが広がり、偏ったメンタルヘルスシステムができてしまったわけです。その影響で「自分を精神障害の診断としてカテゴリー化してほしい」という若者も出てきているわけですね。

【櫛原】そのような現象が、最初に話題となった「雑居する精神医療」と関連しています。色々な様相が雑居しているのにもかかわらず、診断によって“悩み”を分節化してしまっています。DSMのようなクリアカットにカテゴライズする思考は、雑居することと矛盾しているように思います。

【下山】確かに矛盾があると思います。一方では、メンタルクリニックという間口の広い名称で病気だけでなく、心理的な悩みも含めて雑多ものを取り込んでいます。しかし、他方では、病気としてのカテゴリーに分類し、問題をその人の病気として「個人化」してしまいます。トラウマなどに代表される環境の影響で問題が生じた事態であっても、個人の病気として医療化、個人化してしまっています。

それが、「雑居する精神医療」としてのメンタルクリニックで起きていることであろうと思います。そのようなメンタルクリニックの影響は、本当にメンタルヘルスにプラスになっているのでしょうか。むしろ、メンタルヘルスの問題を悪化させている要因になっていないでしょうか。


11.  メンタルクリニックにおける心理職の役割

【櫛原】メンタルクリニックで「医師に話を聞いてもらえた」との感覚をもち、適切な薬物療法や助言、精神療法を受けられて協調的な関係を築いている人は一定数おられました。しかし、その一方で、「診断がついて病名が決まったのなら、きっと治療できるに違いない」と期待が非常に高まったのにもかかわらず、治療効果が得られず、失望に変わっていくケースもありました。診断だけはついたものの、そこから先の有効な治療的アプローチにつながらなかったケースもありました。患者さんのなかには診断に詳しくなった人もいて、「医師の診断は誤診だ」と考えて通院や服薬を止める人もいました。

【下山】今回の研究会の参加者の多くは、公認心理師です。色々と矛盾したことが起きているメンタルクリニックで働く心理職は、その矛盾に日々直面しています。しかし、公認心理師法で公認心理師は医師の指示の下で働くことが規定されています。そのため心理職は、矛盾が問題化しないために医師の診断と治療を補完する役割を担うことになっています。したがって、我々心理職にとって先生の御本で明らかにされているメンタルクリニックの実態は、とても重要な情報なのです。改めて「メンタルクリニックとは何か?」を見直す必要性を強く感じています。

【櫛原】ありがとうございます。もちろんメンタルクリニックも非常に良心的なところも多々あります。一方でたくさんの患者さんが訪れていて、まさに三分診療の状況になっているところもあります。やはり診察そのものが十分な時間を確保できないからこそ、診療報酬上は通院精神療法になっているのにもかかわらず、実質は精神療法のサービスは受けられないことも生じています。限られた時間の中で精神療法を含めた診察をすることは非常に難しいクリニックがあります。そこで、医師と心理職が少し分割できる部分もあっても良いかと思います。

【下山】その分割のあり方が課題になっています。海外のメンタルケアでは、多職種平等のチーム対応が普通になっています。それぞれの専門職がそれぞれ平等の立場で役割分担して協働しています。相互に仕事内容をチェックして、ユーザーの役に立っているのかを確認していきます。医師の診断や薬物療法も他の専門職によってチェックされます。保健師、福祉職、心理職の方が医師よりも患者さんの生活場面や心理面の情報を多く持っているので、医師とは違う側面から医師をチェックできます。その点で平等です。

しかし、日本のメンタルクリニックでは、公認心理師法に明記されているようにその平等性が成り立たないですね。そこに権力関係が生じています。その点について研究会で議論ができればと思っています。

【櫛原】ぜひよろしくお願いします。


12.  メンタルクリニックがもたらしたこと

【下山】ところで、櫛原先生としては、参加者の皆様にお伝えされたいことはどのようなことでしょうか。

【櫛原】メンタルヘルスサービスの提供する側とそれを必要とする側の相互作用についてお伝えしたいと思っています。メンタルクリニックは、最初の精神科診療所とされていた時代は経営が成り立たない逆境的な状況からスタートしています。それが、DSMや抗うつ薬、診療報酬の変化などが後押しして、現在は百花繚乱の興隆した状況になっています。今は、街角にメンタルクリニックがあるという状況になっています。しかし、そうでなかった歴史があったことお伝えしたいと思います。

また、今はメンタルヘルスが社会現象になり、DSM的にパーソナリティをカテゴライズして治療することが当たり前になっていますが、そうでなかった時代もあったことをお伝えしたいと思います。あとユーザー側では、以前は精神科にかかることはタブー視されて心理的抵抗が強くありました。しかし、今は“メンタルクリニック”に通院しているということで、その心理的ハードルが非常に下がってきたこともあります。
さらにその先のフェーズとしては、多くの人々がインターネットで自己診断をし、自分に効果があると思われる療法を探すといったことが起きてきています。メンタルヘルスの市場化が進み、そこでのニーズが非常に高まりつつあります。人々は、どんどん“あるがまま”でいられなくなっています。

【下山】結局、病気でなくても、何らかの苦悩や困り事があると診断や治療を求めてメンタルクリニックの渦にどんどん入っていくということになりますね。問題を病理としてみる見方がどんどん一般化しています。そのような動向の中心にあるのがメンタルクリニックということになりますね。その点でメンタルクリニックの実態を検討することで現代の日本のメンタルヘルスの問題状況が明らかになると思います。


13.  雑居する精神医療の操作性

【櫛原】そうですね。そこから脱却できづらくなっています。DSM的な用語は非常に使いやすいですね。例えば、先ほどの「発達障害」という用語も、何かしらの“生きづらさ”を表象するような精神医学的な言葉として流通してしまっています。

【下山】その用語のことと関連して、とても気になることがあります。DSMでは、現在のDSM-5-TRも含めて一貫してMental disorder を「精神疾患」と訳しています。しかし、Disorderには元来「秩序が乱れている状態」といった意味であり、本来であれば「不調」と訳されるべき状態です。原典であるDSM-Ⅲでは、敢えて疾病「Disease」ではないと意味で「Disorder」が用いられたと聞いています。それなのに日本では、Mental disorder を敢えて「精神疾患」と訳して、操作的定義である精神科診断を医師の独占物にしていることが起きています。

精神医療の中に、心理的苦悩など、病気以外のものも含めて雑多なものを取り込みながらも、診断の医師独占を続けている矛盾が、日本で多職種が平等に役割分担して協働チームでメンタルケアができない要因になっていると思います。この点についても、研究会で議論したいと思っています。

【櫛原】わかりました。それは、冒頭で話題となった管轄権の問題ですね。

■記事校正 by 田嶋志保(臨床心理iNEXT 研究員)
■デザイン by 原田優(臨床心理iNEXT 研究員)

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臨床心理マガジン iNEXT 第50号
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.50-3
◇編集長・発行人:下山晴彦

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