アンチマスクデモって、なぜ起こるんだろう?
こんばんは、エイです。
最近ニュースを見ていると、連日のように海外のデモ映像が流れてきて、おっかなびっくりします。
毎度「熱いなぁ…」と他人事のように思っていたのですが、デモ自体はとても大事な抗議運動です。
実際デモによって、政策が改善されたり、多くの人の認識が変えられたりすることもあります。
だけど、一つだけ解せないデモがあります。
それが、「アンチマスクデモ」です。
「マスクをつけない自由を!」という運動です。
数ある抗議デモの中でも、異質に感じられて仕方ありません。
日本では「マスク美人」「マスクイケメン」
海外では「マスクは女の子っぽい」!?
いつものネット検索で、どうしてアンチマスクデモが起こるのか、調べてみました。
その一つに挙げられていたのが、海外、特にアメリカの人々のマスクに対する抵抗感でした。
アメリカ的な価値観は、筋肉ゴリゴリのたくましい体型・たくましい精神を美徳とするものです。
一方で、マスクは「弱々しく見える」「女の子がするもの」という印象があるそうです。
日本では、ネットタレントやバンドマンなど、かっこいい人がつけている印象のマスクですが、たしかに、中性的なイメージも伴っています。
アメリカのトランプ大統領も、このような価値観から、弱々しく見られないよう、マスクをつけないことを決めている、とも言われているそうです。
罰金、義務、命令が、高圧的で嫌!
日本ではマスクの着用は、義務化されていません。
ところが、海外には、マスクを義務付けている国が数多く存在します。
マスクをつけていないと、罰金などの刑罰が発生します。
アンチマスクデモは、こうした「義務」「命令」自体に反発して起こっているとも考えられます。
確かに、自分の身を守るためとはいえ、身なりを強制されるのは、あまり気持ちのいいものではありません。
もし日本でもマスクが義務化していれば、同じように抗議デモが起こった可能性があります。
顔をしっかり見る文化
=顔が見れないと会話しづらい?
もう一つあげられるのが、海外の会話文化です。
特に、ヨーロッパやアメリカに見られるのが、顔をしっかり見て話す文化です。
日本人は少し目線を下げたり外したりすることが話すコツ、と言われていますが、海外では違うようです。
ツイッターでは、こんな話がありました。
日本は、感染症とは関係なく、ヨーロッパ・アメリカ圏と比べると、日常的にマスクをつける人が多いそうです。
一方、ヨーロッパ・アメリカ圏では、日常的にサングラスをつけている人が日本より圧倒的に多いそうです。
目の色素が薄い方は、目が紫外線に弱いため、サングラスをつける文化があるそうなのですが、もう一つ、こんな理由があるそうです。
「日本人は目で感情表現するのに対して、ヨーロッパ・アメリカ人は口元で感情表現するから」
確かに、日本と海外の顔文字を比べてみても、日本人は「(^_^)」や「(T_T)」のような、目元の感情表現が豊かです。
一方、海外では「:)」「:-o」のように、口元の表現が一般的です。
もし、口元をマスクで隠されてしまったら、このような海外風の口元の感情表現は難しくなってしまいます。
日本よりもマスクに対するストレスが大きくなるのも、うなずけます。
「マスクデモ」は、度重なったストレスが原因?
今までマスクデモの報道が流れるたび、「マスクをつけるぐらい、気にしなきゃいいのに」と考えていました。
コロナ禍のことを危険視できていない、対岸の火事程度に思っているんだ、と思っていた時期もあります。
しかし、こうやって調べていくと、世界の人々にとって、マスクは大きなストレスの原因になっているようです。
したくもない格好をしろと言われる。
しかも、罰則つきの恰好。
相談したくても、周りの人に自分の言葉が届かない。
大げさに言うなら、
「全員丸坊主にしろ、さもなければ裏の木につるしてやる、私語は許さん!」
と言われるような気分でしょうか。
それは耐え難いストレスです。
デモも起こしたくなります。
義務化でなくなれば、ストレスは軽減するかも
でも、感染は・・・
せめてマスクを義務ではなく、日本のように「推奨」の形にすればいいのでは、とも考えました。
しかし、海外のバカンスの様子などを見ていると、ビーチの人々のほとんどはマスクをつけていませんでした。
隣の人とも間近でおしゃべりは当たり前。
警官に止められてやっとつける、という場面も珍しくありません。
こうした光景は、もしかすると海外の一部分を抜き出しているだけかもしれません。
でももし、日常風景なのだとしたら、「マスク義務化を外せばいい」と気軽に言うのは・・・厳しいです。
マスクの価値が浸透したころ、
義務化が解かれることを願う
いまだに、海外の一部の地域では、「マスクなんてつけても効果なんてない」「コロナはただの風邪だ」という風潮が続いているそうです。
マスク義務化がもしされていなかったら・・・もっと感染は広がっていたかもしれません。
だけど、自由を奪ってまで義務化すべきか、と聞かれると、素直にうなずきがたい感情もあります。
願わくば、世界の感染状況が落ち着き、マスクの価値が理解されること。
あるいは、ワクチンや治療薬ができて、コロナの脅威がなくなること。
そのどちらかが実現したときに、マスクの義務化が解かれることを、切に願います。
特に専門知識もない、インドア人間の独り言ではございますが、皆様の考えるきっかけになれば、幸いです。
エイでした。