読書を始めるなら、ちょっと待った! 「本は難しいものから読むべき」は鉄則じゃない
こんにちは、古典は聖書・シェイクスピアから、現代は神永学、新書は茂木信一郎、雑誌はJUNONからナショナルジオグラフィックまで、乱読派なエイです。
…書き出してみたら、思った以上に乱読でびっくりしました。
あ、漫画だと、最近は『虫かぶり姫』とか『とんでもスキルで異世界放浪飯』とかにハマってます。
今回は、珍しくご意見記事です。
「本の読み方について」です。
「本は難しいものから読むべきか、簡単なものから読むべきか」、というお話です。
ヴィレヴァンで見つけた読書論の本
きっかけは、とある一冊の本です。
遊べる本屋でお馴染みのヴィレッジヴァンガード(通称ヴィレヴァン)で、こんな本を見つけたのです。
『読書する人だけがたどり着ける場所 』斎藤隆
斎藤隆といえば、教育学の有名な教授です。
バラエティー番組の『世界一受けたい授業』にも出演していらっしゃいました。
ただし、この本に足を止めたのは、斎藤隆教授が理由ではありません。
「読書しているのかっこいい論」が、あまり好きではなかったからです。
このタイトルは、「ムムッ」と気に障りました。
読書家を「よいしょー!」と持ち上げるようなタイトルではありませんか。
いや、だけどタイトルだけで判断するのはよくない。
とりあえず、目次と、気になるページをぱらぱらとみてみたのですが……。
どうも考えが合わないらしい、という結論とともに、そっと本棚にもどしました。
そんなわけで、ここでこっそりと(大学教授に表立って立ち向かう気概は、私にはありません)、思ったことを書いてみようと思ったわけです。
「難しい本から読め」、「本物を読め」は、
読んだ人の感想(かもしれない)
なにしろ一番気になったのは、この部分です。
「難しい本、本物の本から読もう」
例えば、シェイクスピア(ロミオとジュリエットの劇作家です)の本を読むとします。
この本が言わんとしているのは、どうやら「わかりやすく解説したり、まとめたりしている本がたくさんあるけど、そんなのより原本から読め」と言っているのです。
一冊読めば自信がつく、だから根気よく続けろ。
一見、まっとうな意見に聞こえます。
確かに、一冊読めれば自信がつくかもしれません。
しかし、現実的ではない、無理をさせすぎではないか、と感じてならないのです。
ラノベでも、児童書でも、設定資料集でも、まとめ本でも、いいと思う
一番大切なのは、本や文章、文体に抵抗がなくなることだと、私は考えます。
逆にいえば、このあたりに苦手意識を持つと、そこから復活するのは大変です。
文字を見るだけでジンマシンが出そう
本に囲まれると気分が悪くなる
全然進まないから、本を読むの自体が辛い
……こうなったら、読書を楽しむどころの話ではありません。
最初は、もっと易しく、読みやすいものから入るべきではないか、と思うのです。
ラノベでも、児童書でも、設定資料集でも。
教養がテーマのまとめの本や、雑誌、などなどなど。
ちょっと難しくても別にいいか、というくらいの読みたい気持ちが芽生えるまでは、読みやすさが大事です。
本を読み切るエネルギー、「好き」と「興味」
本を読み切るエネルギー、それは「好き」と「興味」です。
ベストセラーのミステリー小説が売れるのは、続きが気になる、という「興味」がかきたてられる内容だからです。
人気の芸能人の著書が売れるのは、その芸能人が「好き」な人、知りたいと「興味」を持つ人がたくさんいるからです。
ビジネス書が売れるのは、仕事に対する読者の方の「興味」が理由です。
「もっと知りたい」という気持ちは、本を読み始める最大のエネルギーなんです。
だからこそ、易しくて読みやすい本から、本を読み始めるエネルギーを作って欲しいのです。
例えば、
ラノベに出てきた科学分野、現実はどうなっているのか知りたい
→科学の本を読んでみよう
ゲームに出てきたキャラクターのモデル、どうやら聖書がもとになっているらしい→聖書を読んでみよう
文豪がモデルになっているアニメやゲームのキャラが好き!
→元ネタの文学作品を読んでみよう
こんな具合です。
もし興味を持てない、読む気にならないのなら、それはまだ読むべき本ではありません。
もう少し読みやすいものからチャレンジしてみましょう。
「カッコつけ」で読んだ本は、身にならない
とはいえ、難しい本から読んだ方が、自信につながる、ということは、否定できません。
もし、難しい本から読んで、自信をつけたい、ということであれば、注意したい点が一つあります。
それは、「難しい本を読めるかっこいい自分」に酔いしれないことです。
難しい本から取り組み、最後のページをめくった瞬間。
たしかに、「読み切った」という自信にはつながります。
しかし、同時に奢りにも繋がるのです。
実際は内容などほとんど頭に入っていないのに、「自分はこの本を読んだ」と、にわか知識を誇るようになってしまいます。
とても格好悪いし、なにより身になりません。
それはこの本(『読書する人だけがたどり着ける場所 』斎藤隆)にも書いてある通りです。
難しい本は、何度も読まなければ、理解できません。
知識と考える時間が必要となるからです。
何度も読むためには、結局のところ、「好き」と「興味」が必要です。
読みたいもの・読めるものから、
何度も読み返せる難しい本へ
まずは、今の自分が読みたい本、読める本から、読んでみましょう。
やがて、同じような分野の本を読み続けていると、物足らなくなっていきます。
気づけば難しい本にも、手を伸ばしているはずです。
大事なのは、本が嫌にならないこと。
本が嫌になったら、しばらく時間をおきましょう。
読書が趣味の私でも、たまに読書が嫌になることがあります。
そういうときは、素直に本を読むのをやめます。
映画をみたり、音楽を聞いたり、テレビをみたりします。
すると、映画の原作だったり、歌手のエッセイだったり、テレビで紹介された本だったり、気づけば本に立ち返っているんです。
焦る必要も、執着する理由もありません。
まとめ:
読書は楽しめる程度で充分じゃないか
根本的な話をしてしまうと、知識や教養のために本に固執する必要は全くありません。
文字が苦手でも大丈夫です。
物語や考え方を知る手段は、現代にたくさんあります。
文字じゃなくても、講演会、演劇、映画、朗読、ゲーム、などなど好きな手段で、知識を楽しめればいいのです。
本はその中の一手段に過ぎなません。
読書以外の様々な方法で、読書をするよりたくさんの経験・体験・知識を得る人は、山のように存在します。
トム・クルーズだって、失読症で字が読めません。
でも、さまざまな物語を演じ、人々に感動を与えています。
たまに、「読書が正義」「本を読むのがえらい」という考えを聞くことがあります。
友達の輪の中にいても、平気で読書をする人がいます。
読書をしない人、読書が苦手な人を蔑む人がいます。
とても残念な気持ちになります。
本はいつでも読めます。
でも、友人との会話は、その瞬間、その時にしかできない、大事で刹那的なものです。
読書は趣味であり、情報を得る手段の一つです。
何かを犠牲にしてまで、読書をする必要は、おそらくありません。
楽しめる程度でいいんです。
どうかそのことを、忘れないでください。
あなたの日々の傍に、そっと一冊の本がある幸せを願って。
エイでした。
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