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「障害」? いいえ、「なにかしらのなにか」(Something What)。それは素敵なもの。

こんにちは、エイです。

検査は受けていませんが、おそらく、何かしらの、いわゆる「障害」を持っていると思われる人間です。

HSPなのか、それとも、他の「障害」のミックス型なのかはわかりません。

ただ、20超えても指図されると泣く、人付き合いが苦手すぎて仕事ができない、という時点で、なにかしらの「障害」は持っていそうです。

※健常者と比べると、違いがすごく小さいグレーゾーンなので、検査を受けても「障害」者の認定を、もらえない可能性が高いです


ここまでの文章で、「障害」という文字を4回使ってみました。

あ、これで5回めです。

あまりいい気持ちのする言葉じゃありません。

「障害」の内容そのものというより、字面の問題です。

例えば、「なにかしらのなにか」ってのはいかがでしょう。

英語にすれば、「Something What」。

略して「SW」とか! なんかかっこいい!


「障」も「害」も「障害」も、ネガティブイメージ?

「障る」「害する」。

「貧しい」「乳」と書く貧乳以上に、字面が残念です。
(かくいう私も貧乳のたぐいですorz)

他にも
「このプロジェクトの障害となるのは~」
「障害が立ちはだかった」
など、とにかくネガティブなイメージのときに使われるのが、「障害」という言葉です。

「自分は生まれつき障害を持っている」というと、最初から人生ハードモード、という気持ちになってしまいます。


「障害」を、他人事だって思ってますか

「自分は障害を持っていないから、そんなのわからない」と、考える方もいらっしゃるかもしれません。

本当に、そうですか?

「ほんとうにわかりませんか」、という意味ではありません。

「本当に、あなたは完全な健常者ですか?」という意味です。


強い個性、特徴、特質、性質は、誰もが持っている

空気を読みすぎて、気づくとぐったり疲れていたり
他人と意見が食い違う度キレてしまったり
正直に本心を言っただけなのに相手を怒らせてしまったり
集中していると周りの音が聞こえなくなったり
必要以上に人としゃべることに、意義を見いだせなかったり
机仕事が苦手で、常に動き回っていないと落ち着かなかったり……。
まだまだあります。

そんな、ちょっとした個性、特徴、特質、性質。

学校のクラスメイトなら、ほぼ全員がどれかにあてはまってしまうような、些細な違い。

これらは、言ってみれば「障害」のかけら、要素のようなものです。

このような「障害」のかけら、要素を一つも持っていない人は、ほとんど(あるいは全く)存在しないでしょう。

「障害」のかけらに悩むか、無自覚か。
複数の要素のうちの一つが、とびぬけて強いか、そうでないか。
違いがあるとすれば、その程度のものです。


要素のかけあわせ?
HSP関連書籍は、売れ行き上々


例えば、今話題のHSP。

「繊細さん」「敏感くん」などの別名で呼ばれることもあります。

聴覚や嗅覚、視覚、人の気配など、感覚が鋭敏で疲れやすい人のことをこう呼びます。

このHSPは、複数の「障害」が、あるバランスで存在するとき、症状が現れる、とも言われているそうです。

「障害」の要素の集合体、ともいえるのです。


最近では、多くの書店でこの「HSP」に関する本が平積みされています。

平積みされている本は、売れ行きがよい、注目書籍です。


つまり、多くの人が、「HSP」に関する本を購入しているのです。

それだけ多くの人が、自身のHSP気質を疑っている、あるいは周囲にHSPと思われる人がいる、ということです。

誰かを「障害者」と呼ぶのは、ただのブーメラン

他人を指差して、「障害者だ」と言うのは、無自覚にブーメランを投げるようなものです。
(そもそも、「障害者だ」と口に出す時点で、なにか障害の要素をお持ちなのは、間違いないでしょう)

自分に刺さって痛いブーメランは、投げないのが無難です。

だけど、相手を気遣いたいときや、自分の気持を整理するとき。

どうしても、相手の属性を口に出さなくちゃならない、口に出したいときがあります。


理解できない、ストレス、
だから「障害者」と呼びたくなる

スーパーで叫び続ける小さい子
笑顔で大声をあげて全力疾走するご近所さん
キレてばかりの上司
なにもないのに突然泣き出す後輩(これは私です)
おどおどして、目が合わない同級生
すれ違いざまに腹パンしてくるクラスメイト(これは実際にされました)

「障害者だ」とか「おかしい」と言うことは、間違ってます

「あぁ、わかってるよ! だけど、こちらだって、被害を被ってるんだ!」

その気持もわかります。

子供が全力で叫ぶ声は、大きな音が苦手なHSP気質の人には辛いものです。
笑いながら全力疾走している人の気持ちを理解するのも、難しいでしょう。
上司にキレられたら怖いし、悔しくて腹も立ちます。
優しくしてるのに泣き出されたら、戸惑うし、傷つきます。
怯えられると、いじめているみたいで、いい気分じゃありませんし。
腹パンは普通に痛いです(なかなかの一撃でした笑)

そんなとき、イラッとしたとき、戸惑ったとき。

「あの人は障害者だから」と、線を引くのです。

なにか名称をつけて、自分と分離し、考えるのをストップさせます。
もし考え続けたら、泥沼です。
人の考えや気持ちなんて、理解できなくて当然なんですから。

名前をつけた線引きは、むしろ大切なこと

だから、名前をつけて考えを止めるのは、むしろ大切なことです。

問題なのは、何度も言うように、その名前です。

「障害」。

どう頑張っても、見下す対象、保護の対象、劣等、などのイメージ、意味合いがついてきてしまいます。

これはよくありません。

呼ぶたびに「障る」「害する」という文字が、刷り込まれてしまいます。

自然と、「障害」を持つ相手を、見下すようになりかねません。


私達は、「なにかしらのなにか」を持っている

だから私は、「障害」にあたるものを、「なにかしらのなにか」と呼んでいます。

正確には、私の母が考え出した呼び方です。

英語にすれば「Something What」「Anything What」、でしょうか。

そこには、「障る」ものも「害する」ものもありません。

ただ、その人が持つ、「なにかしらのなにか」があるのみです。


「なにかしらのなにか」は、特技で、希望で、宝石だ

例えば、「なにかしらのなにか」は、こんな風に使えます。

彼の「なにかしらのなにか」は、天才的な発想力に大きく役立った。

「なにかしらのなにか」のおかげで、私は人の心に寄り添うことができる。

もし、「なにかしらのなにか」でつまづいている人がいれば、私が持っている「なにかしらのなにか」で、助けることができるかもしれません。


「障害のせいで」と言うことはあっても、「障害のおかげで」ということはあまりありません。
(あっても、どこか皮肉っぽい言い方に聞こえませんか)

「なにかしらのなにか」は、「障害」とは異なり、自分の隠れた長所を、堂々言うことができます。


両腕・片足の歌姫、レーナ・マリア・ヨハンソン

昔読んだ伝記で、両腕がなく、片足が膝までしかない、女性シンガーの話がありました。
彼女の名前は、レーナ・マリア・ヨハンソン。
彼女の母親が、赤ん坊の彼女を抱いて、憐れむ他の母親にこう言いました。

「うちの子は両腕がないから、寝返りだって、他の子より上手にできます!」

確かに、腕が邪魔しない分、両腕がある子よりも、寝返りしやすいかもしれません。
赤ん坊の頃の彼女は、他の赤ん坊より早く、動くことを知れた。
そう考えると、腕がないのは一つの特徴であり、利点かもしれません。

そんな彼女は、水泳が大得意で、ファンへのサインは両足の指を使って書いていたそうです。
両腕・片足がないことが、彼女にとっては当たり前だったんでしょう。

唯一両腕がないことを悔やんだのは、恋人を抱きしめられないことだったそうです。
そんなとき、恋人は「僕がその分抱きしめる」と答えたとか。

寝返りを上手に打てるという長所、そして動きやすいという利点。
一方、「抱きしめる」という苦手分野は、両腕がある彼が補ってくれる。

「なにかしらのなにか」は、こんなときに使いたくなります。

もっと良い言い方、ぜひ浸透してほしいです!

とはいえ、「なにかしらのなにか」って、ちょっと、いや、かなり長いです。

浸透するのは難しいでしょう。

なにかもっと短くて、キャッチーで、素敵な言葉が、「なにかしらのなにか」に当てはまれば、使いやすいのですが……まだ思いつきません。

最終的には、「なにかしらのなにか」という言葉すら必要ないほど、お互いに認めあえたら、最高です。


あなたが持つ、素敵な「なにかしらのなにか」は、何ですか?

エイでした。

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