信仰と家族
1942年、アメリカ陸軍の部隊が、
ガナルカナル島へ上陸。
兵士たちは、日本軍と激しい
戦いを繰り広げていた。
戦場の狂気、そして名もない
兵士たちの苦悩を描いた作品が
「シン レッド ライン」である。
そして、20年ぶりに監督復帰した
テレンス・マリックが伝えたかったことは、最後のシーンのウエルシュ軍曹の言葉にある。
「全部ウソだ。聞くこと見ること
すべて。
ヘドが出そうだ。
ひとり消えれば、また次がやって
くる。
俺たちは、箱の中で揺られて
殺されるか。洗脳されるかだ。
できることといえば、
自分だけのものを見つける。
自分の島をつくること。
この世であなたに会えないなら
せめて証拠を
あなたの一瞥で命を捧げてもいい」
~映画「シン レッド ライン」より
信仰とは、神・仏など、
ある神聖なものを、信じ尊ぶこと、それを、堅く信ずる心をいう。
グレートリセットの時代を
生きるにあたり、深い信仰に
根差した人生哲学が、必要となる。
なぜならば、これまでよりどころとして生きてきたモノやコト、あるいはヒト。
これを突然失ってしまう。
激動の時代とは、そういう時代
だからである。
それゆえ、決して失われることの
ないモノやコトをよりどころと
して生きてゆかねばならないので
ある。
「信仰」と「家族」
信仰とは、神とのつながりであり、
これは、どんな時代においても、
朽ちることはないモノである。
また、家族とのつながりは、
時にカタチは変われども、
家族間の愛溢れる時間は、
永遠のモノである。
誰にも奪われないモノやコト。
これをよりどころとして
生きてゆくことが、激動の時代を
穏やかに生きるために肝要である。
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