泰然自若
これまでの人生を振り返り、
「何も成し遂げていないではないのか」と思っていたわけである。
いろいろあれこれと自分なりには、
挑んできたわけである。
しかし取り組んできたことが、
まったくカタチになっていない。
そのことをとても残念に思って
いたのである。
しかし、今、あらためて気づいた
ことは、自分が目指してきたのは、
泰然自若の心だったのである。
泰然自若(たいぜんじじゃく)とは、落ち着いていて物事に動じない様子、平常心を保ちながら周囲の変化や困難に揺さぶられないさまを意味する言葉である。
つまり、これまでの人生、泰然自若の自分を作ろうとあれこれと挑んできたということに気づいたのである。
人生の試練を通して、泰然自若の
自分、これさえ残っていれば、目的は成し遂げられたという哲学があったわけである。
だから、人生の岐路に立つ時は、
決まって恐くて恐くてたまらない方を選択してきたのである。
リスクを回避するのではなく、
リスクの先にある何かを信じて、
生きてきたのである。
その何かとは、泰然自若の心であり、すべては、それを作るための選択だったのである。
環境に慣れ、安逸をむさぼるように
なると、「これじゃダメだ」という
感覚が湧いてきたのは、それが、
自分の流儀に反する生き方だったからである。
そういった点から鑑みると、
他人から見れば、何も成し遂げて
いないように見える人生でも、
自らの感覚では、かなりのことを
成し遂げてきたように思えてきたのである。
つまるところは、心の声ではなく、
魂の声にしたがって生きてきた。
そのような自分だったということで
ある。