報恩感謝の日
ある青年が入社試験の面接で、
社長から、「お母さんの足を洗ってこい」と言われた。
帰宅してもなかなか言い出せない。
思いきって縁側にけげんな面持の
母を坐らせた。バケツの水につけようと、母の足に触れてハッとした。母の足は荒れていた。きっと僕たちのために苦労したからだ、と思わず涙がこぼれた。
「母さん、長生きしてくれよ」と
ささやくのが精いっぱいであった。
明くる朝、社長に心から礼を言うと
社長は「わかってくれたか。この気持ちを忘れず頑張ってくれたまえ」と微笑したという。
二十歳の時、父の葬儀で、この法話を聴いたのである。
その当時は、「何をきれいごと
言いやがって」
そのような態度で、この法話を
受け止めたことを記憶している。
あれから年月が経ち、本日、母の足を初めて揉ませて頂いたのである。
すると、思わず涙が出たのである。
そして心が、ほっこりしたのである。
あの法話の青年の気持ちを
味わったのである。
決して「きれいごと」では、
なかったのである。
あの頃、やりもしないで、
生意気な捨てゼリフを吐いていたのは、本当は、自分がやりたいことなのに、自分の弱さがそれを阻んでいた
からである。
今日、自分の中で滞っていた
何かが流れはじめたのである。
自分にとって、母に対する報恩感謝の
始まりの日となったのである。