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Ambitious
できるまで何度も飛ぼうとした
翼を失くしてないか。
つまらないことで壁にぶつかり
ため息をついてないか。
やりたいことが分かっているのに
始めてないんじゃないか。
昨日とおんなじ地図をひらいて
旅をあきらめてないか。
時に流されてるだけで今を
忘れかけていないか。
間違いを恐れてばかりいて
立ち止まっていないか。
~ハウンドドッグ「Ambitious 」~
あらためて振り返ると、この歌に
あるような言葉で、自分を奮い立たせ、生きてきたわけである。
時に書物の中に. 時に誰かの生きざまの中に.このような言葉を発見し、
自分を奮い立たせ、心を熱く燃やして生きてきたわけである。
しかし、ある時から、このような言葉では、自分自身が、まったく奮い立たなくなったのである。
自分の心をまったく燃やすことができなくなったのである。
それは、これまで見えていた太陽がまったく見えなくなったからである。
つまるところ、自らの目指す方向が、まったくわからなくなったのである。
これまで正しいと固く信じてきたこと。ありったけの情熱を傾けてきたこと。
これらすべてが、間違いだったのではないか。そう感じてしまったからである。
身の丈に合わない、自らのアンビシャス。これに気づいたゆえに、過去の
自分を全否定したわけである。
そして、自ら進んで、出口のみえない人生迷路に、入りこんでしまったわけである。
漆黒の闇、自らを閉ざし、まったく動くことができない。
そのような日々が続いたのである。
しかし、年月が経ち、再びAmbitiousの歌詞に心震える。そのような自分に立ち戻っているのである。
夢や志しに挑むことなんて金輪際、まっぴらゴメンである。そう思っていた自分が、
「Oh. Take a chance !つかむしかない。自分のすべてわかるため」の詞に
心しびれているのである。
なぜならば、夢や志しに挑んできたからこそ、「自分という人間がわかってきた」という事実を理解できたからである。
むしろ、自分という人間をわかるために、あえて夢や志しに挑んできた。
自らの生きざまを、本当の意味で受け入れることができるようになったからである。
そしてまた、「Oh. Take a chance !
つかむしかない。愛するすべて守るため」この詞に、心震えている。
そのような自分なのである。
なぜならば、これまで挑んできた夢や志しの原点は、愛する人を守るためにあったと気づいたからである。
すべて愛からはじまった純粋なAmbitiousだったわけである。
そして、純粋な愛からはじまったAmbitiousは、消えたかに見えて、また燃え上がってくるものであるということを体感しているのである。
まさしく「心を燃やした夢は、いつまでも終わらない」のである。