愛が足りない
人間関係でつまづくのは、愛が足りないからである。
健康問題でつまづくのは、愛が足りないからである。
経済問題でつまづくのは、愛が足りないからである。
すべての問題の根っこをたどれば、
愛が足りないことに起因している
わけである。
だから、あらゆる問題は、
自らの愛の欠如を示唆していると
感じるわけである。
であるのに、すべての問題を、
足りないものを補完する事で
解決しようとしていたのである。
人間関係は、物理的距離を取ることで、解決を図ったわけである。
その人と離れることで、問題を
解決しようとしてきたのである。
だから、また同じような問題が
生じてきたわけである。
健康問題についても、病気や怪我を治す事で、問題の解決を図ってきたわけである。
だから、また同じような病気や
怪我が生じてきたわけである。
そして、経済問題についても、
お金を稼ぐことで、問題の解決を
図ってきたわけである。
だから、何度も同じような問題が、
生じてきたわけである。
すべては、対症療法に
過ぎなかったのである。
それゆえ、問題の根治治癒のために、自らを愛で満たす必要があったわけ
である。
だから、家族と家系の調和に
挑んできたのである。
そして、家族と家系の調和の先に、
自分自身との調和があったのである。
家族がつながり、自分という人間を
理解してくると、そこに安らぎが
生まれたのである。
このような状態が、愛に満たされていると言えるのである。
もちろん、愛に満たされていても、
問題は生じるのである。
しかし、問題が深刻にならずに、
その解決法が見つかるのである。
そして、またさらに深い感謝の
気持ちが湧いてくるような結末と
なるのである。
これを一般的には、奇跡とか、
強運というのかもしれない。
しかし、そのような一言では
軽すぎる。そこに至るためには、
それなりのプロセスがあるわけで
ある。
これは、一朝一夕では至らない
境地なのである。
でも、そのぶん、目指す価値は、
あるのである。
なぜならば、愛に満たされていると、心地良いからである。
何か大いなるものとつながって
いる安心感が、そうさせているの
である。
自然という感覚が味わえる
からである。
そして、もう不自然な自分には、
もう戻りたくない。
心底そう思うからである。
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