感謝が深まる教育
「あなたは、どんな教育を提唱されているのですか」
こう問われたら、いつも戸惑ったので
ある。口ごもったのである。
「自分は、このような教育を提唱しています」
こう言い切れなかった自分だったのである。
これは、教育を生業として生きる者として、致命的なことだったわけである。
だから、いつも不安を抱え、自らの
仕事に対し、疑問を抱えながら生きてきたのである。
今あらためて思うことは、やってきたことは、終始一貫してきたのである。
目指してきたことは、何も変わらなかったのである。
それは、「感謝すべき大事なこと」
これに気づくための学びであり、
教育をひたすら追究し、実践してきたわけである。
つまり、感謝が深まる教育を、
学校や企業、あるいは、個人レベルで、伝えてきたのである。
「感謝すべきこと」
これに気づけば、自ずと志しが立ってゆくことを自らの経験から学んでいたからである。
「なぜ日本に日本人として生まれたのか」
日本を離れ、感じたことである。
「自らの人生、ただ漫然暮らしていただけでは、命がもったいない」
そう思えるような学びを提供して
きたのである。
「なぜ、両親の元に生を授かり、
この家系の流れに生きているのか」
「ご先祖の無償の愛に報いるような命の使い方をしたい」
そう思えるような学びを提供して
きたのである。
その学びの元となるのは、すべて自らの体験に基づく気づきである。
自らが、感謝を深め、志しを育み、
自らの使命に気づいたプロセスが、
自らの教育論の元ネタとなっているのである。
だから、それ相当の時間が必要だったのである。
そして、今は言えるのである。
「感謝が深くなる学びを提供し、
愛深き人間を育む教育である」と。
そして、学びの成果は、
「心の平穏であり、自然体で生きることであり、真の豊かさを人生で味わえるという経験である。これは、自分という人間を味わい尽くし、知り尽くし、その結果至る境地なのである」と。
そして、これを幸福な人生と
定義しているのである。
数値化できないモノを成果として
生きてきたゆえに、ずいぶん世間ズレしていたということである。