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individual
2023年10月27日 20:36
ネタバレがあります。未読の方はご注意ください。「一族もの」だと思います。(舞城が2012年に、『ジョジョの奇妙な冒険』のオマージュ、『JORGE JOESTAR』を執筆した理由の1つは、『ジョジョの奇妙な冒険』も、「一族もの」だからだと思います)。『煙か土か食い物』では、家庭での一族の問題が、物語の基礎に存在しています。また、「連続〇〇事件」を語り手が解決していくミステリーでもあります。物語終
2023年10月27日 20:14
二郎と嫂が、嵐の中の暗闇の室内で相対する場面があります。僕はこの舞台からいくつか連想したことがあるので、以下にそのことを書きます。「“深淵”(暗闇)に落ちた男性を女性が救いだす」というモチーフは、小説では頻繁に使われていると思います。そのさいに、男性が深淵から救出されるかどうかは、作家たちによって違いが出る箇所です。たとえば漱石の『それから』では、物語終盤に代助は“赤の世界”(深淵)に陥りますが、
2022年11月11日 21:18
「前書き」で防空壕の場面が描写されています。この場面では「太宰」、妻、子どもたちが「誰か」に客観的に描写されています。おそらくこれは、いまから幕を上げる物語は風刺的、寓意的なものだと読者に示しているのだと思います。漱石の『吾輩は猫である』も同じ物語構造で組まれています。こちらは「猫」によって、「漱石」とその家族たち、訪問者などが客観的に描写されていました。瘤取り著者は風景のための風景描写ではな
2021年10月27日 21:31
全体的感想 “不治の病”がしばしば文学作品のメイン、サブテーマになると思います。過去の例ではペスト、結核、統合失調症など。現代では結核は治るようになり、統合失調症も限りなく治ること(寛解)ができます。現代では結核を文学作品の主題や装置としては、それほど使用しないと思います(おそらく治ることができるため)。 アルベール・カミュの『ペスト』はペストを主軸にして、友愛と結束の大切さを描いています。堀辰
2021年5月1日 13:20
『蜘蛛の糸』文章が美しいです。今回再読してみてまずそのように感じました。著者は語り手の作為的な「匂い」がしないように綴っていると思います。御釈迦様は「ぶらぶら御歩きになって」いたり、気まぐれ(偶然)に罪人の「犍陀多」を地獄から助けようとしています。天国へと至る“道”は、「偶然の力」が大きくて、上の描写は「それ」を表現しているのでしょう。社会では、この物語のような“救い”はほぼ無いと思います(いわゆ
2021年4月29日 21:19
僕は小学校高学年の時に授業でこの作品を習いました。今回読み返して、絶妙な時期にこの作品を習っていたのだと思いました。幼年期の子どもたちは、「現実」と「非現実」の区別がつきにくいと思います。しかし、「現実」の割合が多くなり「非現実」の領域が少なくなっていくのが、小学校高学年の年頃のこどもたちだと思います。『やまなし』は、「現実」と「非現実」が交差しますが、「非現実」の割合が大きい作品だと思います。「