【職業としての小説家(村上春樹 著)・読書感想文①】「オリジナル」には時間が必要(読了前)
オンライン塾・樺沢紫苑氏の樺沢塾・ウェブ心理塾で「書く仕事をする人には必読書」と推薦されたうちの一冊が本書。
村上作品は15年以上前に読んだきり読んでいないのですが、「書く」ことも仕事のうちです。
ブログを始めてから「書く」ことがより楽しくなってきたので、「より書くことが好きになれば」いいなと思い、本書を手に取りました。
まだ読了していないうちから書こうとしているので、自分としては、かなりのホームラン本に入ります。まだ考えがまとまっていないので、心に残った内容を少し紹介します。
「オリジナリティ」について(本書第4回部分)
本書で村上氏なりの「オリジナリティ」が定義されていて、めちゃくちゃ短く書くと、
〇 「一見性」(その人固有のスタイルというのが一見でわかる)
〇 「自己革新力」(オリジナリティを成長させられる力)
〇 「引用源」(時間を経て、「価値判断の基準」となること)
(p 99-100)
気付かされたのは、2つ目と3つ目。物事のオリジナリティについてわかるのは「時間がある程度経ってから」ということです。
なるほど、自分は「オリジナリティ」を1つ目のみで判断していました。
〇 「今」新しいもが、オリジナル
〇 基準化されたものは、オリジナルでない(世の中に浸透しているので)
要は、「今」に時間を置いて「オリジナリティ」を判断していました。結果、
自分にはオリジナリティがないという嫌悪感
が残ります。
否、「『オリジナリティ』とは『時間と共に形作るもの』である」と分かれば、
今、自分は、「自分のオリジナリティ」を創っている最中なんだ
ということと、「オリジナリティを得るまでの途中では、価値判断基準となるか評価される」ので、
批判・賞賛問わず「反応」されるのは当たり前
ということが腑におちます。
そして、反応されても「おっ、自分のやっていることは『オリジナル』かもしれないぞ?」と幾分、ニュートラルな視点で自分のやっていることが観れるかもしれない、と思えるのでした。
反応されても、その反応された箇所がオリジナリティを生む芽と考えれば、そのの反応がネガティブでも「のれんのように受け流せ」、自分を見失わずにオリジナリティを育めるるのかな、と感じた次第です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。