読書記録② 『悲しみの秘義』若松英輔
同じ悲しみなど存在しない。そういうところに立ってみなければ、悲しみの実相にはふれ得まい。同じものがないから二つの悲しみは響き合い、共振するのではないか。独り悲しむとき人は、時空を超えて広く、深く、他者とつながる。そうした悲しみの秘義ともいうべき出来事を賢治は、生き、詩に刻んだ。
ーーーーーー「1 悲しみの秘義」より一部抜粋
宮沢賢治、神谷美恵子らの遺した詩や文章を掘り下げ、「悲しみ」について考える珠玉の一冊。 文庫あとがきにて、若松氏は「人生には悲しみの扉を通じてしか見ることのできない地平がある。」と記しています。
生きている以上、人は人と出会います。そして出会ってしまった以上、その人との別れもまた必ず訪れます。それが愛する人との死別なら、尚更自分のこころもからだも引き裂かれるような悲しみを味わうでしょう。
そんな時、私たちは「こんなに辛くなるなら、出会わなければよかった」と言ってしまいそうになる。出会ったことを後悔するかのような言葉をつい口にしてしまう。しかし、その悲しみの深さこそ、自分がその人を愛し、愛されていた証拠でもあるのです。悲しむことでこそ見えてくるその情愛。悲しむことでこそ一際輝く「生」という光。悲しみの中に咲く美しい花に出会う「美しみ」となる。
大好きだった祖母が亡くなって3年が経ちました。お葬式の日は、人生で1番泣いた日かもしれません。けれど、その涙こそ、祖母が遺してくれた本当に大切なものであったと、私は今になって思います。それほど私は祖母を愛していたし、祖母に愛されていたのだと。
人の記憶は「声」から順に忘れていくそうですね。まだ、祖母の声は忘れていません。これから先も、出来うる限り、忘れないでいようと思います。