江戸時代、高野山は医学の最先端だった? ~高野山の医僧のあしあと発見!~
私は世界遺産 高野山のある高野町に住んでいるのですが、個人的にとてもワクワクする文献を見つけました!
現在の高野山はお寺以外にも様々なお店が並ぶ観光地&生活の場所になっていますが、かつては宗教関係者のみ住んでいた時代がありました。
では、そんな僧侶しか居ない場所で、しかも昔はもっと交通手段が貧弱で山深い高野山で病気になったらどうするのか?
以前に高野山大学図書館の書庫で、高野山と医療を結びつける文献を調べていましたがそこには答えはありませんでした。
(消化器疾患なら陀羅尼助で何とかなるのもあるかもしれませんが)
今私は薬草の体験コンテンツを創っているので様々な文献を読んでいるのですが、その中に一つの答えを発見。
江戸時代初期に高野山の僧侶が書いた医書が2種類刊行され、一つは生薬に関する文献、もう一つは中医学に関する文献で、それは江戸時代中期までに一般に最も読まれた医書の一つにもなるそうです。
ということは、中身を見てみないと分かりませんが、
・高野山には本を書けるような当時の医学知識の最先端情報があった。日本各地の漢方医も勉強に使っていた
・高野山では僧侶が医療を行っていた
・江戸時代初期の高野山の医療は中医学がベースで治療されていた
・山奥にある高野山の医療情報レベルは、街中の医療情報レベルとそんなに差がなかった?
のではないかと思います。
これからその文献元本を取り寄せて詳細を確認してみようと思っています。
高野山大学にも和歌山県立図書館にも無く、東京の図書館一館にしか無い文献で貴重みたい。
私の中で高野山の医療に関する情報が新たに見つかったことで、それもストーリー(地域文化)の中に織り込み、地域を巻き込んだ薬草ツーリズム・ヘルスケアツーリズムまで持っていきたい。
※元々和歌山には、薬草栽培の振興を図った徳川吉宗、生薬を使って全身麻酔薬を開発した華岡青洲、日本初の水産動物誌を書いた本草学者・博物学者・藩医の畔田 翠山(くろだ すいざん)、高野山の陀羅尼助などいくつもの生薬に関するストーリーがあります。
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