【イナカの家と住人のこと(2024)】31・宇宙の摂理を知れば、反省はすれど後悔の必要はなし
2か月間のほぼ点滴ばかりの入院生活や様態、そして現状、自分の事ながら知ることができなかった全貌を父はようやく掴むことができました。
体調不良の人が病名を知るとひとまず落ちつくと一般的に言われていますが、いかに中途半端な状態が心の安定を欠くかのあらわれですよね…
父においても受け入れているとはいえ釈然としてはいませんでしたので、すべてを知ることで心のやり場ができたようでした。
看護体制が整い、
初めて診察のためにわが家にかかりつけの医師が来てくださいました。到着するやいなや緑に囲まれた環境にいたく好感を示してくださり、「こんないい場所でゆっくり過ごせるのは幸せだな…うらやましいよ」と父に声をかけてくださり、
食べ物を欲しない父の状態を知り私たちには、「もう薬も止め、食べたいと思った時に食べたいものを」と食の変更を指示してくださり、帰られました。
私にとってはその時より食事に関して気にすることがなくなり負担は減りました、けれども喜べることではない…
そんな初めて経験する矛盾を静かに感じていました。
次の診察日には、
飲食、体力こそ減っているものの、いたって落ち着いた心と不調があらわれない身体の父の状態に対し、「仙人だな…」と。
「お父さんの状態が安定しているから家族も落ち着いていられるのか、その反対なのか、どっちもだな…、こういう穏やかな状態の家は過去なかった」と珍しがられ、
「いい時間をありがとう、癒された…」とまでおっしゃってくださいました。
どちらかというと現代医療ずれしているタイプの先生でしたが(笑)、ちまたは流行り病でバタバタの時期。立場上過密スケジュールにならざるを得なかったようでお疲れだったのですね。
そんな過密スケジュールの中でも休憩時間を使って往診に来てくださり、私たちにとっては父の現状把握や看護が問題なくできていると認識させていただくことができ、ひとまずの安心を得られることは本当に有り難いことでした。
日がたつにつれ、
トイレに自力(補助あり)で行く以外は寝て過ごすようになり、
床生活でもできることはと身体を温めたりしていましたが、それも負担になりはじめ…
そんなある日の日暮れ時のこと。
何を思ったのか、父が突然キラキラと目を輝かせ「外に行ってみようかな…」と。
私は瞬時にその意外な状況を受け止めることができず、動けない父の状態が先に立ち「今日はもう夕方で寒いから昼間に行こうね」ととっさに言ってしまいました。
父は「そうだな〜」と何事もなかったかのようにあっさり受け入れてくれた様に感じましたが、私の方は自分のとっさの対応に違和感を持つことに。
次の日今度は私の方から父に声をかけてみましたが、時すでに遅しで父はその気がなくなっており、
結局叶えてあげることができませんでした。
ですので、
もしあの時〜たら…〜れば…との思いを、考えてもどうにもならない事は分かりつつすっきり手放すことができずにいましたが、
こうして行っているふり返り作業の中で、
「どんな現象も起きた事のすべては宇宙のはからいあってのこと」とあらためて腑に落とすことができ、
幸い2年8ヶ月の歳月を経て手放すことができました。
多くの人は、
特に人に関する出来事について、人が自ら選択をしそれが結果としてあらわれていると(だけ)思っております。
ですが宇宙の観点(摂理)からすれば、
その起こることの大小にかかわらず、善悪なども問わず…、
また人に関することのみならず、宇宙内のすべての現象は宇宙の意志なくして起こり得ないことなのですね。
ですから本来は、
「反省はすれど後悔は必要なし」なのです。
いかに人は必要のないことをして、
自ら不快をつくりだしていることでしょうか…
そして、
この宇宙の摂理を受け入れられれば、
どれ程気持ち軽く過ごせることでしょうか…
かくいう私も父の件に関しましては、すっかりはまってしまっていました…
まだまだです。(汗)
ちなみに今回のように過去のとらわれが外れることを、コトタマ用語でいえば「オが切れる」といいます。
!!!
せっかくなので、
簡単にですが、もう少しコトタマ原理にからめ触れておくことにしますね。
先の話のなかに出てきました
「父が突然キラキラの目になり活力がわいた…」
これは実際の現象ですが、
この現象が起こるためには、
必ずその前にきっかけがあります。
そのきっかけは何なのかといいますと、
心の動きです。
はじめに心の動きがあり、
それによって現象がうまれます。
(宇宙の法則のひとつ)
では父の心の中でどんな動き(経過)が起こっていたか、
それは、
事の流れをやっと知ることができ全貌の整理が行われ、それによって自分に起きている事の受け入れに進み、受け入れが完全にでき心の動きが完了…の経過。
(完了によりこの事に関する心の動きが終了=昇華)
父は自身の命と向き合い、自覚をもって受け入れができました。この完了の瞬間に生命そのものとなり、
キラキラの目になり活力がわくという現象があらわれたのでした。
その現象は生命のきらめきであり、言霊イのあらわれだったのですね。
後日そのことを気づかせていただき、
入院時の静的な状態、この時の動的な状態、
生命=言霊イを客観的に、静・動両面から学ばせていただくこととなりました。
では、またね。
*[画像]
トウワタ(唐綿)
アスクレピアス・クラサヴィカ
ただ今、
庭のあちらこちらで咲いています。
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