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私は”頑張る”という宗教から抜けれないのかも

ふと、耳にした言葉。

頑張るというのも一種の宗教。

私のことだ、と思わされた話。

頑張ることが良いことと信仰して行動している。私はまさにこれだ。というよりは

“頑張る”というコマンドしか知らない。

遡れば部活を引退してからか、
やりたいことや本当に好きなこと
夢中になれることが分からない。
(学生時代が異常に夢中だった?)

だから、好きを見つけるために
いま目の前のことを”頑張る”
仕事も精一杯”頑張る”
家庭を持つ母としても”頑張る”

頑張らなくていいよ。
無理しなくていいよ。
と言われても
これしか方法を知らないんですよね。

頑張った先に何があるわけでも
何かを目指してるわけでもないのに。
自分なりに頑張ってる!と言って
自己満足に浸ってる人生。

人生なんて好きに生きればいいので
これでも悪くないのですが、
最近しんどいと思うことが増えました。
(母になったから?)

で、なぜ、しんどいのか。それは
doingの自分ばかりになって
beingの自分が少ないからだと感じます。

◎doingの自分
頑張る。生産性を求める。
やりたくないことをする。
母としても社会人としても頑張る。
やるしかない。

◎beingの自分
ありのまま生きる。ぼーっとお風呂に入る。
何もやりたくないという感情。
生産性と反して意味あるの?
という自分らしい活動。

こんな感じですかね。たとえば
doingしすぎてぶっ壊れてしまうと
強制的にbeingの時間を取れる。
(休職とか病気するとか)

今、私はこのbeingが今少ない状態。
これが少なすぎると多分病んでしまう。
そして私は病む寸前だったのかも。

俯瞰できて落ち着きました。

でも、たぶんわたしはこの先も
頑張るという宗教から
降りたくても降りられないし
降りてからの生き方を知らない。

頑張る中でのモットーは、
自分に嘘はつかないこと。

これからも
自分と向き合いながら生きていきます。笑

終わりが見えないので、ここまで。

読んでいただきありがとうございました。
ではまた🌾

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