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趣味は「映画と読書と音楽」と言っても良いですか? vol.115 映画 中村登「智恵子抄」

こんにちは、カメラマンの稲垣です。

今日は映画 中村登の「智恵子抄」 (1967/日)についてです。

あの有名な高村光太郎の詩集「智恵子抄」の実写映画です。

詩人の奥さんが狂ってしまう話。

詩集「智恵子抄」は読みましたが、詩なので詩人と奥さんの詳しい物語は知りませんでした。

この映画は高村光太郎の詩集『智恵子抄』と佐藤春夫の『小説智恵子抄』を原作にしています。

主人公の智恵子を岩下志麻さん、光太郎を丹波哲郎が演じています。

名前だけ聞くと割とアクの強い俳優の役者を使ったなと思いますが、いやいやなかなかぴったりの役で、ちゃんと智恵子と光太郎で、驚きました。

丹波さんは007やキーハンターやGメンや大霊界などのイメージがあり、どこから見ても丹波哲郎ですが、この作品だけは珍しく、丹波哲郎ではなくちゃんと高村光太郎になっているのが印象的でした。

そしてやはり1番のメインは智恵子を演じた岩下志麻さん。岩下さんというと可憐な美人、怖いヤクザの姉御というイメージが付いているが、

次第に狂っていく演技は今まで見たことがなくリミッターが外れたような凄まじいものでした。

この映画はやはり智恵子が次第に狂っていくところが見どころでしょう。



物語は、明治の日本、海外から帰国した芸術家の高村光太郎は奔放な生活を送っている。有名な彫刻家である父親にもことごとく反抗している。

そんな遊び呆けている彼を心配して友人の紹介で、美大の学生の智恵子を紹介された。

芸術を愛する二人はすぐに意気投合して結婚する。

光太郎は詩作、智恵子は絵画に没頭する。

大正時代になり、智恵子は美術展に出品するが落選してしまう。

彼女を慰めるために智恵子の故郷を訪れる。

智恵子の両親も光太郎を歓迎する。

智恵子は東京に戻ると、絵を捨て織物をするようになる。

ある日、実家で火事があり智恵子の父親が死んでしまう。

そして実家の家業がうまくいかなくなり倒産してしまう。

一人苦しむ智恵子は自殺を図るが看護婦の姪が見つけ一命を取り留める、

しかしもうすでに精神に異常をきたしていた。

光太郎は智恵子を九十九里の転地静養に連れ出す。

智恵子の症状は良くならず、光太郎以外の人のことをわからなくなっていた。

昭和の初期になり、東京の精神病院に入院した智恵子は次第にやつれていき

急変して、駆けつけた光太郎の手を握り息絶えた。



後半の狂っていく岩下志麻さんの演技は鬼気迫るものがあるが、

前半の生き生きとした美術専攻の女学生の時がなんとも輝かしく美しい。

まあそのギャップがまた人の心を打つのでしょう。

あの智恵子さんが、と。

二人が温泉に行き、男湯と女湯で、桶をポンと鳴らし合って会話しているシーンがとても愛らしく幸せなシーンでした。

「智恵子抄」詩もとても素敵で、本質言うか光太郎の心の内を素晴らしく表現しているが、その現実の外側はあまり書かれていない。

やはり映画は、内面だけでなく、二人の生活、智恵子が狂っていく様子をしっかりと現実の”物語”で描いていく。絵を断念して、父親を亡くし、自殺未遂して、ゆっくりと周りのものがわからなくなり、狂っていく。

詩では智恵子さんはおとなしいイメージだったが、あの岩下志麻さんが見せる大声をあげて喚き散らし大暴れする智恵子さんはとても強烈だ。

光太郎はその狂った現実を見ていても、愛ゆえに永遠に残る美しい智恵子さんにして詩に残したのでしょう。

詩も映画も両方見れて良かったです。




智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながらいふ。
阿多多羅山あたたらやまの山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
/詩集「智恵子抄」より











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