コンテンツで選んでもらう時代が終わり、製品やサービスで選んでもらう時代がくる。たぶん。
Webコンテンツに特化した生成AIサービスの案内を受けました。数分で作られた4000字のサンプルテキストによくできてるなあと感心つつ、「こりゃあ、コンテンツで選んでもらう時代は終わるな…」と感じてしまいました。コンテンツではなく製品やサービスで選んでもらう時代になる。当たり前ですが。
ソースを入れたら自動でテキストが手に入るんだから、作れる/作れないの差はなくなる。コンテンツの差分は限りなくゼロに近づく。じゃあ、どこで差別化するんだっていったら「どんなソースを入れるか?」ですよね。つまり、製品やサービスの違いこそがコンテンツの違いになる。超当たり前ですが。
「コンテンツで選んでもらう時代が終わり、製品やサービスで選んでもらう時代がくる」
なに当たり前なことを言ってるの?と言われそうですが、いや本当に。製品やサービスで選ぶに決まってますよね。でも、たぶんその当たり前が今まで難しかったはずで。これまではWebコンテンツを作れる(または上手く外注できる)事業会社に優位性が確かにありました。
地方中小企業が(特にBtoBが)生き延びる道として「Webコンテンツを作れる優位性」は地味だけど重要領域だったのですが、たぶんあと3年もすれば優位性はほぼなくなる。マジで製品やサービスで選んでもらう時代に突入する。だからそんなの当たり前じゃん!って声が聞こえます。本当にごもっとも。仰るとおりなのですが。
日本にある会社の99.7%が中小企業
例えば日本の企業数は360万社といわれています。このうちの99.7%が中小企業です。この約358万社のうち、いったいどれだけの会社が製品やサービスでのガチンコ勝負ができると思います?ぼくはすごく心許ないと思っています。しかも、それは決して悪いことではないはずです。
これまでは別にオンリーワンな製品・サービスじゃなかったら生き残れないなんて時代じゃなかったんだから。そこそこの技術やサービスでもニーズがあって誰かの役にたてば立派な仕事です。そういう会社は山のようにあるはずとぼくは思っています。99.7%の90%はそうじゃないでしょうか。
繰り返しますが「そういう会社が悪だ」とはぼくは少しも思っていません。むしろ、そこそこの会社が生き残れない社会なんて真っ平御免と思っています。市民全員が歯を食いしばって切磋琢磨し続けなくちゃ成立しない社会なんて冗談じゃない。ただ、それがもう維持できなくなってきているとは 肌で感じます。
たぶん日本の中小企業はこれからどんどん淘汰されていくでしょう。それは仕方がない。ただ、それへの対抗策として、そこそこな中小企業でも選んでもらうための、生き残れる道としてWeb活用があると思ってやってきた側面がぼくにはあります。「そこそこ」のニュアンスが伝わるか不安ですが、「オンリーワンな製品・サービスじゃなくたってニーズがあって誰かの役に立つなら、時代に飲み込まれずちゃんと生き残ろうぜ。そんな息苦しい社会なんて許容できないから反抗しようぜ」という気分だとご理解ください。伝わるかしら。
「中小企業がジャイアントキリングするためにWebは必要不可欠な手段である」とも言えます。全くの個人的な指針としてそんな気分でWebで向き合ってきたぼくにとって、「コンテンツで選んでもらう時代は終わり、製品やサービスで選んでもらう時代がくる」という感触はおお…と思わせるのに十分でした。
だからどうしたと言われたら、特にこれ以上申し上げることはないのですが、おお…と思ったんですよね。いま言えることはそれくらいです。
追記
同じ内容をツイートしたところ、とても端的にまとめてくださる方がいました。ありがとうございます。
テキストコンテンツがあることがデファクトスタンダードになる
テキストの優位性がなくなり、本質的価値による差別化に回帰していく
テキストがないことによるネガティブな効果だけ顕在化する
めちゃくちゃ端的なまとめですよね。すごい。
このようにまとめていただけたので、「動画や音声などの非テキスト系コンテンツによる差別化が今後より顕著になっていくのか気になるところだなあ…」と改めて思うことができました。