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生産者であれ。消費者になるな。

20代の頃、宮崎駿の「生産者であれ。消費者になるな」という言葉に出会ってから漠然と自分への戒めとしています。スマホが台頭してコンテンツやサービスが供給過多になった今、いよいよ難しいのだけど。気を抜くとすぐ陥ってしまう。だからこそ大切にしています。戒めとはそういうものかもしれない。

その上、Web制作を生業にするようになったから難易度は倍増です。下手したら消費社会の片棒を担ぐことになる。消費されるだけではない、誰かの何かを生む一助になるようなコンテンツやサービスを提供したいといつも思っています。個人的な姿勢だし、できるとは限らないし、すごく難しいんですけど。

サブスクに代表される今のプロダクトやサービスの設計は「消費に価値がある/消費者であることがバリュー」となっているんですよね。それを否定する気持ちはありませんが、自身が呑み込まれるのは別の話で。時代に適応しつつ、呑み込まれないためにも個人としての姿勢が大切だなあと実感しています。

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日々の暮らしでコスパやタイパ、情弱などの言葉や価値観を持ち出すのが嫌いだし苦手なのですが、その気持ちの土台には「生産者であれ。消費者になるな」という戒めがあるからだろうな…と今さら再発見しました。「認知以前のことでも直感的に回避できる」という効能が戒めにはあるのかもしれません。

戒めとは少し違うのですが、「家は借りて住め。本は買って読め」も人生の方針になっています。灰谷健次郎『太陽の子』で出会った一節。小学生時代に「ふーん。そうなんだなあ」と素朴に思ってそのまま自分の方針にしています。この言葉には異論反論があるでしょうがそんなのどうでもよくて。大切なのは自分にフィットする言葉かどうかで。生きる方針なんてそんなのでいい。正解なんてないし、ましてや見知らぬ誰かにとっての正解なんて。学校のテストじゃないんだから。

「消費者になるな。生産者であれ」
「家は借りて住め。本は買って読め」

この二つを軸にして生きているなあ…と実感しています。


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大事なことってたいてい面倒くさいんだよ。

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