【植物SF小説】RingNe【第3章/①】
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暗闇。上下の黒い大地に色とりどりの花が咲いている。キキョウ、スミレ、ヤエザクラ、タンポポ、マリーゴールド、ヒヤシンス。そして一本のカーネーションが中空から大地と平行に、重力を無視して真っ直ぐに、私の方に向かって咲いていた。根は触手のように蠢き、花は心臓のように脈打っていた。私はこれが歩だと思って話しかけていた。
「ねぇ……電話、なんで切るの」
カーネーションはぐるぐると茎を動かし円を描き、何か準備運動をしているようにも見えた。茎は動きを止めた。
「ごめん。でも、分かり合えないことだと思って」
カーネーションが人の言葉を話すことは何故かごく自然なこととして、受け入れられていた。分かり合えないこと。私もそう思う。だけど。
「それでも、歩にはいなくなって欲しくないこと、ちゃんと伝えたかった」
「まだ一緒にいたかった」と付け足した。
上下に咲く花々は風もないのにゆっくりと動き、何かに備えているように見えた。タンポポはいつの間にか綿毛になり、散っていた。
「葵もこっちに来なよ。そっちの世界は、生きづらいだろう」
カーネーションと私が話すたび、極小の鱗粉のようなものが放出されていることに気づいた。これが本来人の目には見えないはずの、植物たちが放出する芳香物質ということは直感的に分かった。植物たちはこれでコミュニケーションをとっている。カーネーションが人の言葉を話しているのではなく、私が植物の言葉を話していた。
「……どうなの? そっちの世界は」
「素晴らしいよ。別の次元にいるみたいだ。感覚の洪水に耐えて慣れれば、人でいた頃より何十倍もこの世界のことを感じることができる。まさに神になったような気分だ」
「……そう」
酷く虚しい気分だった。彼の台詞云々ではなく、その途中にこれが夢だと気づいてしまったから。歩への深層心理が夢として現れているなら、分かり合おうとしていなかったのは自分の方だ。ちゃんと手を伸ばせばよかったなと、あの日受け取れなかったチョコレートを思い出す。夢に気付いてから醒めるまではいつも早い。
「歩」
それでも声をかけてしまう。醒める前に最後に一言だけ、伝えたいことを。
「愛しているから、さようなら」
植物の言葉でそう言った。
脳内がぐるぐる回転し、意識が次元を超えようとするのを感じる。目を瞑ると目蓋の裏に細い光の出口を感じ、心臓の鼓動を強く感じる。光は徐々に大きくなり極大になった時、ゆっくり目を開けた。見慣れた天井。地続きの時間がまた訪れた。朝の六時だった。
「あなたの夢じゃない」
どこからともなく声が聞こえた。時計の針は蔦になり、壁や天井はみるみる地面に変わり、ほんの数秒で双葉が大量に生茂り、生長し、千紫万紅の花々が咲き乱れた。辺りが真っ白の光に包まれる。
「これは私たちの夢」
大地から無数の白い菌糸が地面を押し上げ、捻るようにして絡み合い、大きな綱を編み、また別の綱と捻れて紡がれ、勢いそのまま天井を突き破り、バベルの塔のような巨大な建築物が聳え立った。塔の天辺はもう見えなかった。
左腕に違和感を感じて見ると、小さなエノキのような子実体が腕から無数に生えていた。ぎょっとして手で振り払うと、痛みが生じた。既に身体の一部になっているようだった。
足元を見つめると、既に菌糸の大地と足首までは融合していて、身体全体がキノコになっていくのは時間の問題に思えてすぐ、私の身体は全てキノコになった。黒い光を感じ、夥しい数の見知らぬ感覚を知覚し、翻訳し、発信する。ホーム駅のような役割。交差する情報を受け取り、翻訳し、発信する。途方もない数秒が永遠のように続いたのち、急激な眠気に襲われ、意識が飛んだ。
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