見出し画像

空中鬼 | 三千字小説

はじめに

2024年、6月21日。関東が梅雨入りしました。

梅雨のあいだ、雨が降るたび毎日、約3千字の”雨のことば”を題材にした小説を書き続けるプロジェクト「雨ことば三千世界」を昨年から始めました。

雨に関連することばは「雨のことば辞典」を参照に「あ」から五十音順に1つずつランダムに選び、雨が降っている間に即興で書き上げます。

昨年は「き(狐の嫁入り)」で終わったので、今年は「く」から。


本文


空中鬼:酸性雨をいう、中国のことば。

1989年に起きた”かの事件”の投稿にlikeを送り、小花 (Xiǎo Huā)は捕まった。深夜2時の通話中だった。小花と私は週に2、3度深夜に長い電話をする。高校を卒業してまだ2ヶ月しか経っていないというのに、私たちは互いに支えを必要とした。

有人運転で暴走する車のショートムービーを小花に画面共有していたところだった。椅子に首をもたれかけ、瞼が今にも落ちそうだった小花の顔が、バケツで氷水をかけられたように緊張する。

画面越しには「空中鬼」に捉えられた際のアラーム音が鳴り響く。
「え、小花、どうしたの?」
小花は目を見開き、必死でスマホをスワイプし、端末のAIに言った。
「違うの! 今のは眠くて、ただ間違って押しちゃっただけなの! お願い! 信じて!」
端末のAI音声は言う。
「あと30秒で到着します。その場を動かないでください」

小花は慌てて荷物をまとめ始め、逃げ出そうと立ち上がった。その際に小花の膝がパソコンに触れ、カメラが窓を映す角度になる。それからすぐだった。黒い鳥のような姿をした影が2つ、巨大なスズメバチのような羽音を鳴らしながら、窓を突き破った。

「雨桐(yǔ tóng)! 助けて!」小花が私の名を叫ぶと、ドローンはそのまま小花に素早く近づいていき「バチッ」という強い電撃音。小花はその場に倒れた。

私は口に手を当て息を殺した。小花はその後にやってきた搬送ドローンに乗っけられ、窓から外へ搬出された。

私は小花のSNSアカウントを確認した。1989年に起きた”かの事件”の投稿にlikeを送っていて、それが原因だと分かった。面白いショートムービーを探している途中に、本当に間違って、押してしまったのだと思う。likeだから収容所送りで済んだけど、この動画の投稿主は今頃もうこの世にはいないだろう。

私はその翌日、空中鬼に管理される地上から、地底にある完全オフラインの居住区「方舟」に逃げる覚悟を決めた。家にあるいちばん大きなカバンに必要なものを詰めて、家を出た。

歩いているうちに、違和感が込み上げてきた。「どうして私が引っ越さなければいけないのだろう」「小花はそもそも何も悪いことをしていないじゃないか」友人を不当に逮捕された先日の不条理に、少しずつ怒りが込み上げてきた。

目の前には当局関係の建物があった。私はカバンの中から黒いマーカーを取り出し、建物に向かって走り、壁面に草泥马(Mather Fucker)と殴り書いて、走って方舟の入口へ向かった。

方舟に入るまでには何度も様々な”入口”を回され、その都度案内人から審査をされた。半日かけてようやく地底まで辿り着く。先に逃げていた兄家族がB-41区画にはいるはずだった。路面電車を乗り継ぎ、最寄りまで向かい、更に半日は歩いた。辿り着くと、地区の掲示板で情報を募り、人が行き交う郵便局前の通りでしばらく座って、空を見上げた。

空は地底でも青かった。ここに空中鬼はもういない。
方舟は思った以上に普通だった。もっと不便で、不快な場所だと覚悟していた。しかし考えてみればこの国は4000年以上もオフラインで文明を培ってきたのだ。人が快適にただ生きるのみならば、それでいいのかもしれない。

「雨桐……?」
数年ぶりの兄が目の前に立っていた。
「やぁ、逃げてきた」
そう言って、安心して、気づいたらその場で寝ていた。

目覚めると兄の家にいた。
シリコン製の壁、天井、間接照明。
木材資源が乏しい地底では、ほとんどがオフラインの3Dプリンターによる製品だった。電気はトカマク型の核融合発電。ドアが開く音。

「起きたか」
「起きた」
兄はベッドに腰を下ろす。白シャツに黒眼鏡のセンター分け。地底にいても変わらず兄だった。
「逃げてきたって、何から?」
私はそれが寝落ちする前に言った自分の台詞だと思い出す。
「空中鬼から」

「ああ、そういうことならよかった。尾行されなかったか?」
「え、あぁ、大丈夫でしょ。案内人の人たちが周りをじろじろ見ていたし」
「そうか」と兄は壁を見つめて言った。

「あんなとこいたら息がつまるもんな。酸性雨よりよっぽど酷い」

空中鬼は元々酸性雨を表す言葉だったが、天網や雪亮、グレートファイアウォールが統合された逃げ場のない管理システムに、AIドローンによる自動捕縛が紐付き、反体制的な行動、兆候時は有無を言わさず連行される仕組みを、雨のように逃げ場のないことから空中鬼と呼ぶようになった。

「小花が捕まった……」
「小花ってお前と仲良かったあの。可哀想に」

「……ねぇ、なんか聞こえない?」
大気が揺れるような、地響きが微かに聞こえていた。
「地震だろうか。地底の方が揺れを感じやすいからな」
地響きは徐々に大きくなっていった。
「揺れてはないよね、なんだろうこれ」
「工事の音じゃないか」
やがて、建物ごと揺れるような重い落下音がした。
そして大気を切り裂くような巨大なドリルの回転音が鳴り響いた。

私は驚いて、窓に駆け寄り外を見る。
空に穴が空いていた。

黒い大穴から無数の黒い影が侵入している。
数千、いや数十万機の、ドローン。

「これ、私のせいかな……」
私は窓越しに映る兄も見れずに言った。

ネットの中継機を搭載したドローンは街の至る所にルーターと監視カメラを配備し、空中を巡回し始めた。

軒下の公園で行われていた反政府集会にいる十数人はその場で電撃をうけ、連行された。道路工事中の作業員はシャベルを持ってドローンに応戦したが、すぐに射殺された。

兄も窓の側により、外を見つめた。
空中では余ったドローン達が「互联网开放(インターネット開通)」と空中に文字をつくり、電撃音や銃声が至る所から鳴り響いていた。兄も私も何も言わず、ただ目の前のことが夢だと思おうとした。

方舟は1日も経たずして、当局の統治下になった。
兄家族との食卓には重い空気が流れていたが、小学生の息子は「ねぇまたオンラインゲームできるようになるの?」と嬉しそうにした。
「あぁ、できるよ。ただ、反政府的なことは言わないように、気をつけながらな」と兄は昏い目をして言った。

「反政府的ってどんなこと?」
兄はしばらく俯いて考えたが
「さぁ、父さんもよくわからないんだ」と言った。

兄の家では毎週定例の茶会が開かれているそうで、翌日は友人達が家に集まった。茶会では主に今後の対策が話し合われた。
「ここから更に地底を開拓するのはもう無理だろうな」
「そうだな。あとはもう妨害電波を出すか、あるいは本体をハッキングするか」「国外へ亡命するか」
様々なアイディアが飛び交う中、私は不安で仕方なかった。

どうして昨日の公園集会は摘発されたのだろう。監視カメラが設置される前で、ドローンが音を感知できる距離でもなかった。事前にあの場所で集会が行われていることを知っていたかのようだった。

もう既に至る所に小型の盗聴器やカメラが設置されていたのではないだろうか。それであるならばこの話はとても危ない。

私は怖くなり、恐る恐る閉じたカーテンの隙間から窓の外の様子を伺った。すると3体のドローンが窓の目の前でホバリングしていた。私はドローンと、その奥に潜む人間と、目が合ったように感じた。

窓ガラスは問答無用に突き破られた。
それに気づいた友人らはすぐさまドアから逃げようとし、兄はポケットから鍵を取って私に投げた。「俺の部屋の引き出しをそれで開けろ」そう言ってすぐに、友人共々電撃を浴びせられ、連行された。

ドローン達が去っていくまでは私は泣きながら息を殺した。そして渡された小さな鍵で部屋の引き出しを開けると、現金の束と1枚のメモ。「日本へ逃げろ」

兄が国外逃亡用に貯めていた箪笥貯金だった。私たちはその資金を使い、観光という体裁で翌週には日本へ逃げた。物価の安いこの国では、働かなくてもしばらくの間ホテル暮らしで生きていくことができた。オンラインに接続することにはしばらく恐怖があったが、この国であれば問題ないだろうとスマホを買って、現代社会へ接続した。

私は母国で起きていることを多くの人に伝えたくて、Deep Lで日本語に翻訳したこのnote記事を書いている。勇気を持って投稿するが、次の記事が更新されなければ、私はこの国にも潜んでいた空中鬼に連行されたということだ。


「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。