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体験小説という新ジャンル/空想を現実に開く術

非日常的な体験を最近いつ味わったでしょうか?

いつもと違う街へ出かけること、映画を見ること、さまざまな手段で日常の延長線上にはない体験をすることができます。

一方で、その全てが日常的に感じてしまうこともあります。
どこに行っても、何をしても、ここは日本で、資本主義で、相手は一般的な人間で、法治国家の規範の中で、地球の物理に規制され、流れています。

ここは漫画や映画の世界ではありません。(と、されています)
宇宙人と交流できていないですし、大海賊時代でもないです。
空想の世界は空想の世界として、日常と切り離して、読んだり、見たりして、楽しむものとなっています。

でももし、空想の世界を現実に現すことができたら。あなたはその世界の住人として見たり、聞いたり、話したり、日常と同等の自由度があって、五感全体で体験することができたら。

空想と現実の境目は曖昧になり、1つの世界がそこに生まれます。どこに行っても味わえない特別な体験をすることができるようになります。

体験小説という手法はそんな空想の世界を現実に開く新たなコンテンツジャンルです。その手法や事例、どのような営みなのか、詳しく書いていきたいと思います。

(まずは上記のコンセプトムービーをどうぞ)


体験小説という手法

体験小説とは、空想の世界を小説として書き、その世界を体験として開く手法です。体験はフェスティバルを中心に、舞台や展示、イマーシブシアターなど場合によって様々で、特定のものに限定しません。

特徴的なのは下記の3点
①体験の制作から間口が開かれ、テーマに沿って自由に想像し体験を制作できること。
②開かれた体験の中で参加者は自分で設定、振る舞いを決めること。
③体験で実際に起きたことが原作小説に加筆され、物語が変わること。

例えば「人類最後の日」をテーマにした体験小説を作るとすると、下記のような流れで進んでいきます。

①「人類最後の日」をテーマにした小説を執筆
②制作メンバーを公募
③人類最後の日をテーマにしたフェスを企画制作する (ex.みんなで合唱したい/美味しいものをたらふく食べたいetc...)
④人類最後の日としてフェスを開く
⑤来場者含め関係者全員が人類最後の日としてフェスを過ごす
⑥その場で起きた出来事を小説に加筆する
(ex.人類が絶滅しなくなった etc…)

体験小説の制作の流れ

空想、フィクションの世界を身体で没入体験するようなコンテンツはいくつもあります。例えば有名どころだとディズニーランド、USJ、あとはリアル脱出ゲームやイマーシブシアター、マーダーミステリーなど。

その多くがフィクション世界の景色やキャラクター、世界観を顕現し、ある程度規定されたコンテンツの流れを味わう中で、その体験設計の中で没入感が増していく構造です。

体験小説は冒頭の例で言うとディズニーランドなどテーマパーク型に近い、オープンワールド式の没入型体験となります。

しかし自由度は更に高く、多方でさまざまに展開するコンテンツの体験に加え、自らコンテンツを創作して開くことができます。また、その日その時でしか起こり得ない出会いによって参加者同士の突発的なインプロビゼーション(即興劇)も起こります。

数日間のイベントという形式なので全てはスクラップ&ビルドであり、完成した世界観を常態的に楽しむというよりは、一時的な自由空間を共に創造して刹那的に楽しむことができます、

つまり創るも自分、過ごすも自分、壊すも自分であり、空想世界の想像〜創造〜滅亡までを、全ての関係者が一時的な集合体となって共犯する営みになっています。

次に体験小説の成立条件を見ていくことから、構造的に理解を深めます。

体験小説の成立条件

体験小説の成立には以下の5点の要素が必要になります。

①原作小説があり、その世界観を元に体験機会がつくられている。

体験小説は原作となる小説を書き下ろすところから始まります。ジャンルは問わないものの、自分の場合はSF作品として空想の未来世界を描くことが多いです。例えば過去作『KaMiNG SINGULARITY』では”2045年 aiが神になった世界”を書きました。

このフェーズは主に発起人の個人的な想像の時間になりますが、書いた内容は実際に体験になることを前提に書き進めるので、ただ物語として面白いということに加えて、不特定多数がそれぞれに解釈する余白があり、考察できる謎があり、体験として現れた際に新鮮な問いが突きつけられるかどうかなど、フェスの企画書としての側面も併せながら創作していくこととなります。

とはいえ実際に制作することを前提に実現可能なことばかりを書くということでもなく、オーバーテクノロジーやファンタジーな展開を書くことには容赦せず突き詰めた方が、経験上制作段階においても話が弾んで面白いです。

②誰もが作中の余白を自由に想像し二次創作することができる。(小説は追体験のためではなく想像機会として存在する)

原作小説は制作するフェスの設計図やバイブルではなく、あくまで原作として存在します。原作のままつくる映画は大抵面白くないです。ましてや二次元を四次元に展開するので、そこには書かれていない要素が多分にあり、それぞれの解釈、想像、共謀によって物語の世界を補完していきます。

物語自体においても小説として本編に連なる物語の二次創作を歓迎し、物語や世界観自体も拡張可能な状態をつくります。小説以外でも、イラスト、音楽、映像など、マルチメディアに二次、三次創作が展開し、ある種その集合としてフェスティバルという形に現れます。

(上は『RingNe-第1章-』がAIアニメーションになった模様)

(上は『RingNe-第1章-』作中の詩が音楽になった模様)

(上は『RingNe-第2章-』のメンバーによる制作過程記事)

③体験者は開かれた体験の中でその世界を自由に解釈し、その世界の住人として自由に振る舞うことができる。

来場者においても同じく二次、三次創作を歓迎し、当日はそれぞれの解釈した世界観にいる住人として自由に振る舞うことができます。例えば「aiが神になった世界」にいる住人としてAIが出した未来予測を強制的に信じさせる占い屋を出したり、完全にプランニングされた世界への反発としてできるだけ何も考えず適当に過ごしてみたり、その世界の解釈と、その世界にいる自分の振る舞いは、来場者自身が決めて、誰にも共有せず、申請せずにただ自由に振る舞います。

そうすることでその場にはリアルな社会の多様性が生まれ、これまでの没入型コンテンツでは現れなかった本当にリアルな世界の体験が生まれます。

『KaMiNG SINGULARITY』様々な解釈
『KaMiNG SINGULARITY』様々な解釈
『KaMiNG SINGULARITY』様々な解釈

④体験の制作、運営は遍く人々の参画を歓迎し、開かれた創造機会とする。

自分がフェスティバルという表現形態を採用するポイントの1つがここにあります。フェスティバルはそもそも”こうなったら良さそう”という未来を集団でDIYするカルチャーでした(今もその精神を引き継いで作られているフェスがたくさんあります)

フェスティバルの元祖と呼ばれるウッドストックフェスティバルは、いわゆるレイヴパーティーとして開かれたものが、時代の波にシンクロし制御不可能なレベルまで来場者が膨れ上がってしまったものでした。そうなると事件や事故が起きて然るべきと思いきや、その中では自然と人と人が助け合い大きな事故もなく、ピースフルな時間が流れたそうです。

これはすごいことだとその時来場していたいくつかの人がフェスティバルという形でそれ以降イベントを立ち上げ始めました。その中の1つが今も続く世界最大規模のフェス「グラストンベリーフェスティバル」

この時代、自然と調和する考えを持った新しい世代のヒッピーというような意味で「ニューエイジトラベラー」と自らを呼んでいたパンクス達がレイヴという反発だけではなく「じゃあこれからどういう社会をつくっていくか」ということをフェスティバルの中で表現し始めました。SDGsが生まれる遥か昔80年代からグラストンベリーではソーラー発電を利用したソーラーシネマ、自転車発電を使ったDJブースなど様々なエコロジーを先んじて表現、体験するステージがあったそう。

グラストンベリー以降そのようなフェスティバルカルチャーが今も脈々と流れていて、参加する1人1人が未来を考え、実行する機会として、フェスは遍く人々へ開かれ続けています。

自分のフェスの制作運営メンバーは常に公募していて、経験も年齢も全て不問で誰でも中に入ることができます。そしてフェスの中では絶対に役割がない人が現れません。それほど役職が多種多様にあり、必ずその人に向いている役職に就くことができます。

自分のやりたいことをやりきる中で、その複合体、相互作用的にフェスティバルという一時的な自由自律空間が現れ、未来を思考し、その未来にいる人間としてのリアルな身体知を得ることができます。

(DAOという新たな体制を用いた新作『RingNe』の制作運用方法は下記の記事にて)

⑤小説を現実に現した際に実際に起きた出来事を小説へ追記し完成させる。

2次元作品を4次元展開させ再び2次元に格納し、想像の余白を作ります。現実に開くまでに起きた出来事や、開いた時間に起きた出来事との邂逅を小説へ改稿します。フィクションの小説にノンフィクションの史実が付け足され、虚構と現実の境目は更に曖昧になっていきます。

小説は主に三部作として書くため、第一章を初年度のフェスティバルで表現し、それを受けて改稿した第二章を二年目のフェスティバルで表現し、それを受けて改稿した第三章を三年目のフェスティバルで表現し、それを受けて改稿した小説の完成を以てして終結、という流れで三年かけて一作をつくります。

小説にはフェスティバルという不特定多数が交わる偶発性の中でしか生まれることのなかった物語が現れ、それが次年度のフェスティバルに影響を与え、空想の世界がある種の運命性を帯びて発展していきます。

つまり体験小説とは体験(フェスティバル)と小説だけでなく、その3年間に関わるすべての人々(想像世界を創造する共犯者)の営みも作品として内包しています。現実に足をつけながら想像の世界で頭を繋げる共犯関係は、日常では起こり得ない特異な関係性を生み出します(2045年の常識と2019年の情勢がごっちゃになった新たな文化が生まれたり/未来の世界の生命観に影響されたり)

それは小さな界隈で起こる小さな歴史ですが、今後起こりうる未来社会の最初のプロタイピングとして、イマジネーションの媒体として、人類史上重要な資産になるため、額縁に入れて作品としています。

最終的に小説は製本し、途中に出てくるQRを読み込むとそれまでの物語が現実になって現れた際の映像を視聴することができます。

改稿版の小説は「共編」として、noteに公開しています。
下記はRingNe-第2章-の共編です。当日までの制作プロセスから得たインスピレーションや、当日現場で起きた小説に記載していない想像の文化やコンテンツなど、様々な新たな物語が追記されました。

これまで開いてきた世界

長編

『KaMiNG SINGULARITY』
-aiが神になった世界-
フェスティバル/オンラインセレモニー/イマーシブシアター

体験小説の長編処女作。シンギュラリティ以降の3年間を描く、AI・人・神の関係性を巡る3部作。2019年は渋谷ストリームホールにて、2045年の世界を仮想体験するフェスティバルを開催。2020年はYoutube、STYLY上で2046年の世界を仮想体験するオンラインセレモニーを開催。2021年は9月12日にイマーシブシアターとして渋谷キャストで開催。

『RingNe』
-植物に輪廻する世界-

イマーシブフェスティバル

神奈川県南足柄市を舞台にした2044年から始まる人と植物の物語。人が死後、植物に輪廻することが科学的に証明された未来において、とある事件を発端に新たな生命観に触れていく。2023年は10月8日に第一章「生/巡」を開催。第二章 「在/祝」は2024年9月22日にそれぞれ夕日の滝で開催。第三章は2025年9月20日に開催予定です。

中編

『Ændroid Clinic』
-理想の自分に転生できる世界-
イマーシブシアター

”2058年、理想の来世にアンドロイドとして転生できるようになった世界”を描いたイマーシブシアター作品。「アンドロイドクリニック」という仮想の病院に来院し、実際に転生することができます。そこでは理想の容姿、寿命、性格、才能、キャリア、全てを思うがままに、来世を設計することができます。

『Escape to Light. White Out』
-見渡す限り真っ白な死後の世界-
インタラクティブ・パフォーミングアーツ

ここは死後の世界。色も時間もありません。
今日皆さんはお迎えの儀に選ばれました。
亡くなったばかりの人に、この世界のことを教えてあげる役割です。
こちらの棺桶の中から、これから1人の女性がこちらの世界にお戻りになります。彼女はダンサーのオーディションに行く途中に交通事故にあい、命を終えました。即死だったようですので、目が覚めたらきっと戸惑うことでしょう。どうぞ皆様、やさしく手ほどき差し上げてください。

短編

『Mud Land Fest』
-泥の国-
フェスティバル

ここは豊かな土壌がお金よりも価値を持つ国「Mud Land」 泥の国では年に1回豊作を祝い、野菜が生まれた場所まで埋まる祝祭 「Mud Land Fest」が催されます。 ​ 人も植物も微生物も、あらゆる違いを泥泥に。次回は2024年7月20日に開催予定。

『鎌倉四響祭』
-令和陰陽祭-
フェスティバル

1224年12月26日、鎌倉時代。『吾妻鏡』によると当時も疫病が蔓延し、それを鎮めるために陰陽師による除災の儀式「四角四境祭」が鎌倉で催されました。そして約800年の時を経て、再び鎌倉で12月26日に疫病退散を祈る祭りを催します。名前は「鎌倉四響祭-Social DisDance-」と改め、会場は鶴岡八幡宮より伸びる参道「若宮大路」に。4方を守護する四神獣をあしらった4台の人力車に乗った陰陽師(DJ)による4種のサイレントフェス®︎が同時に催され、参加者はヘッドホンを付け替えることによって好きな人力車のライブを自由に選び、踊り練り歩き楽しむことができます。

『aroma for earth』
-香りで巡る、命の廻り-
フェスティバル

aroma for earth. はアロマと地球と音楽の新たなフェスティバル。 樹上で暮らしていたホモ・サピエンスの祖先「プロコンスル」は 巨大山脈の出現により雨量が減った消えゆく森から草原へ移り、 二足歩行での生活が始まり、脳が大きくなり、やがてサピエンスとなり都市を形成していったとされます。 森で育ち、雨に終わり、草原で始まり、花と祝い、都市で暮らして、未来と対話する、美しく儚い、人類史の旅の記憶とまなざしを、香りを用いて呼び醒していく香りと地球のいやしの祭典がaroma for earthです。 過去から未来へ、香りと想像力で繋いでいく、新しいアロマ体験。 華やかなプラントアートの彩りに、心踊る音楽を添え、40以上の癒しの出店に、テクノロジーが驚きを加えていきます。

超短編(詩)

『known』
リレーショナルアート

自身のアトリエ「逃げBar White Out」を舞台にしたリレーショナルアート的体験小説。来場者は揺り籠に座り、棺桶の中にいる見知らぬ死者へ問いかけ、回答の認知と同時に生死の間は崩壊する。質問者は知った後、棺桶に入り見知らぬ死者となります。

・知るは、在る。
・見知らぬ死者との関わり方。
・不在、故の回答。

「誕生日おめでとう」
その日わたしは生きていることを知った。
「海が綺麗だね」
あの青いゆらめきが海だと知った。
「顔色悪いけど、大丈夫?」
不調を知った。健康を知った。
「君は何も知らないんだね」と笑う彼女。
知ってしまった。
知ってしまった。

『demon』
イマーシブシアター

自身のアトリエ「逃げBar White Out」を舞台にしたイマーシブシアター的体験小説。ウクライナ戦争やSNSでの炎上をモチーフに、”鬼は人の写し鏡”をコンセプトに賽の河原で鬼と出会う物語です。

鏡に映る姿は、消せど消えぬ鬼の面
拭った手は白く汚れた、自律神経ホワイトアウト
淡い焦点に浮かぶ鬼の像
積めない雪は水と流るる
見えない人は朝まで眠る

どうやって空想を現実に開くのか

体験小説の肝は来場者を含む関係者間での共犯関係を如何に醸成するかにあります。世界を現すのは実質的には観察者の脳内であり、マインドセットが世界をつくります(この世界は地獄だと思えば地獄だし、天国だと思えば天国)

それ故に体験が開かれる当日のみならず、それよりも前から体験小説としての体験は始まります。当日までに世界観を共有し、その世界でどう振る舞うのか共謀し、当日はその世界を現実に現す美術やコンテンツにより共鳴し、自身も世界の一部として自由に共犯し、その世界での体感を現実世界に持ち帰り、共にその身体知を肥やしに育ちます。

通常のイベントごとですとDo(何をするか)だけに注力しがちですが、体験小説はむしろBe(どう在るか)に注力し、全関係者による想像の集合体としてその日その場限りの別世界を現実に共創し、開きます。

基本的なワークフロー

各フェーズにおける目的と手段は主に下記のようになります。

①《共有》
目的:物語世界観の共有
手段:世界観に触れる機会の多角的、多連的創出(小説/音声/映像/絵画等→SNS/メール/イベント/説明会等)

*共有フェーズでは主に今回共創する世界観を様々なメディアやコミュニケーションで共有していきます。小説はもちろん、それを映像にしたり、音声にしたり、多角的に発信します。

『RingNe』では先述の映像の他、上記のように聴く小説を収録したり、本noteマガジン「植物と転生」で連載したり、専用のLINEグループで参加者と交流会や読書会を複数回開いたり、世界観の共有を漸次的に実施してきました。

②《共謀》
目的:物語の世界を如何に現象世界に実装するか、その手段の共有(世界観の共同仮装による創造/即興劇的嗜み)
手段:振る舞い方の事例共有、エチュードの機会創出、表現方法の共有コミュニティ

*共謀フェーズでは物語の仮想世界を如何に解釈して現実に実装するかをそれぞれ検討します。前述のように体験小説における小説は想像機会の媒体として存在し、実装していく上ではむしろ記述されていない余白を想像し創造することが多いです。例えば出店として関わるのであればその世界の出店としてどんなものが相応しいか、一参加者として関わるのであればその世界にいる住人としてどんな服装で存在していて、どんな風に世界を見るのか。

制作チームにおいては1年ほど、参加者においては2ヶ月ほど前からミーティング機会をつくり、共謀します。

③《共鳴》
目的:マインドセットされた世界観と現場の整合性(物語世界が如何に会場に実装されているか)
手段:物語世界の美術、技術、人物等の実装、スタッフによる物語世界の住民としての立ち居振る舞い

*共鳴フェーズから当日の体験に移ります。小説に記述されている光景や文化の発現、接触を経て、インプットしていた世界観と現実が混ざり、没入感が一気に深まります。

『KaMiNG SINGULARITY』作中同様のAIによるライブ
『鎌倉四響祭』作中同様の雪景色

④《共犯》
目的:物語世界への没入、能動的振る舞い(バリアの破壊/心理的安全性/ゲーム的言い訳)
手段:日常を超え物語世界へ没入できる環境、体験設計(音楽による狂いの導入/スタッフの振る舞い、来場者コミュニティの醸成による心理的安全性/会場内でネガティブにならないための機能的ホスピタリティ(駐車場案内/クローク/飲食の充実等)/ゲーム的要素による没入への言い訳作り)

*共犯フェーズが体験小説の醍醐味です。このフェーズでは共有され、共謀し、共鳴した世界観を自ら振る舞っていきます。その世界の住人として、その世界をRPGのように自由に探索し、冒険し、コミュニケーションしていきます。自由な表現を許容し、参加者間の偶発的なエチュードが発生し、世界がより鮮やかに拡張していくこともあります。

制作運営チームは共犯しやすくなるような体験設計及び環境づくりを進めます。例えば音楽による狂いの導入や、現実に揺り戻されないようなオペレーション計画等々、最後の最後まで仮想世界が続いていくように、共犯し続けられるようにします。

KaMiNG SINGULARITYにおいて作中のサイバー神社に参拝し、儀式が始まる模様
RingNeにおいて植物をテーマにした楽曲を歌うアーティストのライブ

⑤《共育》
目的:来場者、関係者との持続可能な疎通の場づくり(終演後〜来年にかけて文化が耕される場、仕組みの構築)
手段:コミュニティグループの作成(日常的に物語世界への想像機会をつくる)/アウトプット共有の機会づくり

*共育フェーズでは共犯した世界の情景や身体知をアーカイブし、シェアリングできる機会をつくります。コミュニケーショングループは終了後も継続し、世界観を深める情報や問いを発信し続け、参加者を含めた振り返り会や定期的な学びのイベントなど、1日だけのフェスで終わらない仕掛けをしていきます。

フェスティバルとして表現する場合、更に詳しい制作の進め方を下記の記事で書いたので、よければどうぞ。

体験小説が変える未来

体験小説という創作方法をなぜつくり、なぜ続けるのか。
前者は「新しいイマジネーションの媒体として生き続ける」という自分自身の生き様に由来します。

自分自身が”まだこの世にない新たな世界観”を作品として作り続けることで、全人類のそうぞう(想像/創造)機会を最大化する媒体として存在することを、自分が生きる理由としています。

なぜそうぞう機会を最大化したいのかというと、1000年先の未来にとって、そして今生きる生命全体にとって、今を生きる人々の想像力と創造力が生き死に繋がり、生まれたことを祝えるかに関わる大きな問題だからです。

そうぞう力は文明の土壌で、政治や経済や産業はその土壌から育ちます。最も基本的で最も重要な土づくりに資する活動として、体験作家という生業を作り、続けています。

(更に詳しくは下記の記事にまとめているのでよろしければ)

体験作家という生業が増えて、体験小説という手段が一般的に普及したならば、未来は今とどう変わるでしょうか。

「これはもしかするとおかしいんじゃないか」と思いながらも、漫然と行う「目じるしのない悪夢」が戦時中から今も変わっていない日本の社会的体質なのだといいます。

強者の鶴の一声やカルトや時代錯誤な慣習が力を持ってしまうのも、誰もそれ以上の物語を持ってないからです。

世界的なインフレなので経済をなんとかしよう、西欧諸国が皆やってるからSDGsを進めよう、災害が起きたから復興予算を立てようと、この国の政治はいつも対処療法的で、どこに向かおうとしているのか多くの人は知りません。(もしかしたら中の人たちもわかっていないのかもしれません)

現代最も不足しているのは、希望を持てるビジョンです。

ビジョンの考案は多くの場合、机上の議論では課題の解決を寄せ集め、抽象化したそれっぽい何かにしかならず、身体的な経験を持っていなければ、スローガンは記号となり消えていきます。

そしてAIにより最適なロードマップとビジョンを策定することはできても、最高な未来を描くには人々がある種定性的な情念も含めながら、汗水流してDIYをしていくプロセスそのものが重要になります。

いま僕たちは物語の力が必要です。誰に言われたものでもない、どの本に書かれていたことでもない、自分自身がいいと思える全く新しい世界のビジョンを空想して、現す力が現代に蔓延る「目じるしのない悪夢」を超えていく力となります。

アインシュタインもいうように「今日我々の直面する重要な問題は、その問題をつくったときと同じ考えのレベルで解決することはできない」のです。

現代を訝しみ、慈しみ、超克し、新しい次元で想像し、創造するために、文学という虚構を生み出す動力が必要で、フェスティバルという大衆と未来を共犯する文化が必要で、それをまとめたものが体験小説というアイディアです。

国という大きな単位でなくても、ビジョナリーなクリエイティブ手法が広まっていけば「体験してしまった未来」を共有した段階から始められるので、文脈が統一され、あらゆる物事の進みが早くなり、強靭で、集団の力を最大化した組織形成、事業促進、行政運営が可能になります。

ひとりひとりが未来を書き、現すことができれば、人類は多様性という生存戦略の力を最大化し、あらゆるリスクに備えるアイディアをストックすることができます。それ自体をAIは学習し、リスクの到来時は高速で実装してもらうことで(その時点でAIにある程度委ねるコンセンサスが取れている状況が必要ですが)最小コストで様々なリスクを超える運用方法を人類は獲得できます。

主語が大きくなり過ぎてしまいましたが、そういったビジョンのもと、エンターテイメントという入り口から粛々と文化創造を企み、営んでいます。

上記は体験小説という作風の前身となった”SDGsそれぞれのゴールが達成した後の未来”をフェスとして現す「ソーシャルフェス®︎」というプロジェクトのインタビュー映像です。

体験小説に至るまで

体験小説という作風に至るまでは下記の記事に思想史という形でまとめてありますので、ご興味ある方はどうぞ。

どのように関われるのか

ここまで長文を読んでいただきありがとうございます。もし何か関わりたい、、と思ってくれた方がいらしたら、主に下記のような関わり方が可能ですので、ご案内いたします。

①イベント当日に参加する

最も簡単な関わり方です。体験作品は基本的に1度限りの公演となるので、ビビッとくるものがあれば、迷わずご参加、ご共犯をお勧めいたします。最新作の情報は主に雨宮のSNSから発信しておりますので、何某かフォローいただけると幸いです。

https://twitter.com/amemi_c5
IG
  https://www.instagram.com/u.amemi/

②制作チームに参加する

体験小説を最も深く、愉しく体験できる関わり方です。前述のように経験等々全て不問で(酷く邪な目的がある方以外は)基本的に遍く方々を歓迎いたします。想像世界からこの世界に一石投じたい方、体験小説やフェスティバルの制作方法を学びたい方、近しい思想や趣向を持った多様な属性の人々と繋がりたい方は特におすすめです。

すでに発表している作品もあれば、まだ未発表で制作中のものもあるので、興味ある方は下記アメミヤのHPの問い合わせフォームよりご連絡ください。

https://www.yuu-amemiya.com/

③発注する

オーダーメイドで体験小説をお作りすることが可能です。想像したいテーマをいただければ、それを小説として書き下ろし、フェスティバルやイマーシブシアターとして顕現させていただきます。例えば自社の新製品のSFプロトタイピングやプロモーションの機会として、企業のビジョンを体験として深く広く伝達する手段として、社内の周年祭で理念を体験で感じてもらうために、様々なオーダーを承っています。

詳細、ご発注はアメミヤが代表を務めるOzone合同会社まで。https://www.social-fes.com/

体験小説やフェス作りについての講演やワークショップ依頼も随時引き受けておりますので、上記HPよりお気軽にお問い合わせくださいませ。


気づけば1万字を超えて、これまでで最も網羅的な生業紹介記事になってしまいました。

ここまでの長文を最後までお読みいただいた方とは何かしらのご縁があるように思います。良い巡りになりますよう、愉しみにしています。

体験小説・ステートメント


”またとない世界で生きるために。


川の流れのように無常、無変の生きる営み。
どこから見ても常に変わっていて、どこから見ても何も変わっていない この無変無極の場に、儚さや虚しさという情念が過る。

僕たちは言葉を用いて世界をフレーミングして 群れを成し、共に信じることで、 この情念に飲まれず耐えてきた。
それは今も尚、流れ続ける川の流れに攫われないように 必死にこしらえる救命道具。それを物語と呼ぶ。

オオツノジカのツノのように過剰に成長してしまった人の意識は 存在しない賢者の石を探すように、意味を探し始めた。 人がこの宇宙にいる意味、私が生まれた意味、この仕事の意味。 それはまるで幻のように美しい瞬きを残しながら。

その特殊な指向性が僕らの世界を生み出した。 自然は精霊になった。天の川に恋が生まれた。天地は神が創ったことになった。 大地は区画され価値になった。樹木は紙幣となり経済というルールができた。

無変無極の悠久な無に、魂が吹き込まれ、アニメーションとなった。 物語ることで意味を宿したこの宇宙の想像譚を 何度でも繰り返そうとつくったのが体験小説である。

川の流れに飲まれないように、神なき世界でも土着的に新たな希望が生産され続けるように。 神が生まれるまでのメソッドを応用し、神話を語り、儀式を行い、聖典を共編し、身体的に刻まれる 確かな体感を共に過ごすのである。

それを3年間できっちり終わらせる。宗教に発展させない。依存先にならない。 短期的な世界の始まりと営みと終わりを、最大化されたそうぞう機会の中で アートコレクティブにおける関係性の芸術として社会と接続する。

その3年間は小さな世界の文化になり歴史となり、その世界の崩壊と同時に住民たちは大きな世界に紛れ、やがてその物語にも影響を与え得る。

常に代謝し、開かれ、その時関わる人々の人生と交わる小さな世界とその歴史は まだ見ぬ未知の可能性を開き続け、忘却の海をまなざし続け、僕らと世界の物語を再編し続ける。

物語と世界のそうぞう、その反復の摩擦で時折散る火花のような一瞬の希望 そんな微かな光の中に、僕らが古代から探し求めていた幻のように美しい意味なるものがある気がしている。

またとない世界で生きるために、またとない世界を生きる。

空想と現実を一緒くたに、夢幻的に成立する未知の世界を共編する。

この記事が参加している募集

「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。