豆腐メンタルの私が、家族の絆と未来を見つけた話
「私ってなんでこんなに心配性なんだろう…」
そう思ったのは、中学入学前のこと。
私は田舎で育った。
小学校は1クラスしかなかった。
中学校入学前に兄姉がいる友達が、良かれと思ってアドバイスしてくれたけど……。
一つひとつが不安要素になり、数日後に耐えきれなくなった。
母に「中学に行きたくない!」「いじめのない、怖い先輩のいない中学校に行きたい!」と、必死に訴えた。
娘に何があったのか知らない母は「どーしたの!?」と、慌てて私の顔を覗き込んで聞いてきた。
理由を伝えると、
「まだいじめられてる訳じゃないよね。行ってみなくちゃわからないでしょー?」
と、笑いながら言った。
お母さんからしてみたら、他人事だよね…
そう思った。思春期の私は友達から言われた言葉を鵜呑みにしていた。
それが私の生きる世界だったから。
とっても狭い世界だとは知らず……。
実際は違った。入学してからはそれなりに楽しく過ごせた。
確かに、部活には厳しい先輩がいたけど、入学前に心配したソレじゃなかった。母が笑って話した程度のことだった。
心配しすぎだった……。
父の病気発覚
3ヶ月前、喜寿を迎えばかりの父がガン宣告された。
気にしいの私は、心臓が痛くなるくらいドキッとした。
元々涙もろいけど、当時はドラマやニュースを見て感情移入して涙してばかりだった。
「もしかして、負担かけちゃったから…?」なんて、ありえないことまで考えた。
そんな風に過去の行動を考えて、自己嫌悪に陥る毎日。
よく考えたら、私だって完璧な人間じゃない。 父も私が後悔してばかりだと知ったら、悲しむと思う。
少しずつ前向きに変わっていった。
それだけでなく、父の病気を通してたくさんのことに気づけた。
両親の"かつての夢"
父のガンがわかってから、両親と昔の話をした。2人が10代の頃の話だった。
すると、父や母のかつての夢が「警察官」と「美容師」だと、はじめて知った。
父は優しいけど、短気なところもあるから警察官と結びつかない。警察官を目指すほど、正義感あふれる人だと正直思わなかった。
母は私が小さい頃、ミュージカル「アニー」のようなパーマをかけてくれた。
髪を伸ばしていた頃はキレイに髪を編んでくれた。それでも、美容師になりたかったなんて知らなかった。
話してみると、まだまだ知らない両親の姿が見えて、若い頃の2人を想像できた。
保険の見直し
さらに、両親が加入していた保険が保障の小さいものだったと知り、見直しもできた。
もちろん、ガン宣告された父の保険は変えられないし、加入できない。でも、母の保険は手厚いものに加入できた。
はじめてZoomで保険の相談・契約。
Zoomでできるとは知らなかった。保険の話って、長くなっちゃうから自宅にいてやり取りできるとラクチンだった。
はじめての経験に母もソワソワ。
終わると、「便利ね!」「簡単なのよ!」と、父に自慢していた。
「終活」について
葬儀やお墓のことなど、いわゆる「終活」についても話せた。
実際にかかるお金や両親の希望も聞けた。
「死」を連想するから話したがらない人もいると聞く。ありがたいことに、うちの両親は積極的に話してくれた。
「縁起が悪い」と言われそうだけど、そういうタイプの両親じゃなくて助かった。
豆腐メンタルな私だけじゃなく、誰しも経験がないと不安になる。
親がガン宣告され相談できる人がいなかったら、一人で抱え込んでしまっただろう。
今回の、父のガン宣告は衝撃が大きかった。だからこそ、想像できる限り先のことを考えてみた。
逃げずに両親に向き合って話をしたら、不安や心配が薄れた。
この経験は無駄じゃない。そして、私は少し強くなれた気がする。
同じように不安に思っている人へ。
私の経験が参考になれば嬉しいです。
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