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アメリカ人が家で靴を脱がないのは文化的な違いによるものではなく、単純に頭が悪いから

アメリカ人は伝統的に、室内では靴を履いたまま生活をする。自宅の玄関には、日本にあるような靴を脱ぐための一段下がったスペースは設けられていない。しかし一般的な住居の入り口スペースは日本の玄関より広く、ドア付近には大抵、土落とし用のマットが置かれてある。そこで靴の底をゴシゴシ擦りつけ、土や汚れを落としてから入室する。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a7a7cad1753db28250d3afc7bda0d3b3329c4a26

序論
結論から先に言おう。アメリカ人(及びカナダ等、北米地域)が靴を脱がないのは文化的な差異ではなく、単純に頭が悪いからと結論つける。つまりいままで文化的に違いによるものだと思ったのが実は単純に頭が悪いから、靴を脱がない弊害を理解できず、衛生観念が弱いからの理由と言ったら身も蓋もないだろうか。

またアメリカ人が靴を脱がないというのも正確にいうと異なり、衛生観念がしっかりしている北米の家庭においてはやはり靴を脱ぎスリッパに変えるようお願いされる。筆者の経験上衛生観念がしっかりしている家庭は、医療関係のお仕事されている家庭はもちろん、ある程度一般的に細菌の概念について理解のある教養のある家庭だった。

逆に完全に土足で入れる家庭というのは、申し訳ないがとても知能的に高いとは言いづらい家庭だった。衛生観念が低く、なぜ土足で家を歩き回ってはいけないのか、それこそ細菌の広まりまで意識できる家庭環境とはとても思えなかった。

衛生観念がしっかりしている家庭とそうでない家庭、個人的にこの二つを比べた中で出した結論が、結局日本人皆が思っていた文化の差異というのは実は存在せず、単純に知性や教育の差によって生じるものではないかと推測する。特に今回のコロナ禍を通して、アメリカ人も室内で靴を脱ぐ習慣が広まり、衛生意識が全体的に高まるだろうと推測される。

コロナ禍という人類を脅かすイベントの広まりによって、室内に土足で入るという、「文化的」な習慣がまさに今アメリカで徐々になくなりつつある。靴を脱ぐという習慣が本当に文化的な違いによるものだったらコロナ禍というイベントを通しても残るはずが、あっさり消えていく。今回のコロナ禍を通してアメリカの人口の3分の2が家の中で靴を脱ぐようになった。
https://www.cbsnews.com/amp/news/most-americans-are-shoes-off-at-home/

本題
長くなってしまったが、本題に入りたい。本来文化的習慣というものは、長い歴史や文化を通して形成された習慣であり、様々なノウハウが蓄積され最適化された行動を示す。しかし本当に文化的な要因、つまり地理や歴史、風習的な要因に基づくものなのか、あるいは単純にその国の教育水準やら知的水準が低いが故なのか、この二つがごっちゃになり、文化的習慣として一括りにされ語られている印象がある。

上記のアメリカ人は土足で家に入るという習慣に関してもアメリカの中でも衛生観念が高く教育や知的水準が高い家庭環境で育った人は、本能的に土足で家に入ってはいけないということを理解している。奇しくも、それは日本人が土足で家に入らないという習慣と一致しており、本当に文化的習慣によって生じる習慣であるならば、なんらかの歴史や文化的背景があるはずで、アメリカ内で教育や知的水準が高い家庭もその背景に従い教育や知的レベルに関わらず土足で家に入るのが一般的習慣になるはずだがそれもなく、やはり教育や知的水準の差によって習慣が変わっていき、不思議と日本人と感覚が近くなる。

結局アメリカ人が靴を脱がないのは別にそこになんらかしらの確固たる歴史や文化的な背景があるわけでなく、教育や知性の差により生じるもの、つまり平均的に頭が悪いが故であると結論づける。

国ごとの平均IQ値


そしてここが面白いのがIQが高い国ほど、思考や習慣、行動が日本人に近くなっていく。韓国、シンガポール、台湾、スウェーデン、その他北欧国などはなんと靴を脱ぐ。これら諸国は一般的にIQが高いとされる国々で、共通として衛生観念が高い国である。少々乱暴な言い方ではあるが、知的水準が高い国ほどやはり衛生観念に関してはしっかり意識があるという相関性はある程度あるように見受けられる(誰かデータあったら共有してください...)

清潔感や衛生観念に意識があるのは実は物凄く頭脳を使うことであり、日本人が普段さりげなくこなしている部屋の掃除とかも頭が働いていないとなかなかできなかったりする。

日本はIQだけでみると世界最高水準であり、日本人の衛生観念は世界トップクラスであるのを鑑みてもある程度相関性は働いているようには見える。平均知的水準が低い国だとそれこそ、公共の場で用を足すのは当たり前だし、部屋に虫が入ってもきにしなかったり、基本的衛生観念が欠けている。そして、この衛生観念に基づく習慣というのは単純に文化的習慣の差異で片づけられないものであり、教育や知的水準の差異によって生じるものだと述べたい。

なぜ今まで文化的な違いという理由で片付けられたのか
上記にでも述べたがアメリカ人が土足で入るという習慣は別に文化的習慣でもなんでもなく、単純に衛生観念、つまり頭脳が足りてないからに尽きる。しかし、日本人はこれを何らかしらの理由を持ってあるだろうという一種の深読みをしてしまう傾向があり、日本人の良い部分でもあり悪い部分でもある。

良くも悪くも日本人は世界基準において非常に頭の良い国であり、相手に対して同目線で見てしまう傾向が強くある。古来から教育水準も高く、知的水準も高いので何らかしらの事情や事例があったとして必ず理由があるはずだと考えてしまう。勿論、相手方も日本人なら共通点も多くあると思うのだが、外国だとそうはいかない。

グローバルコミュニケーションにおいて難しいのが、世界において平均的に日本人と同水準の頭脳を持っている国はそう多くないため、一回思考をある程度外国に合わせて落とすということも重要になってくる。つまり、一瞬日本人から見てあり得ない行動でもきっとなんらかしらの理由があるはずだ、文化的要因があるはずだと日本人は深読みするのだが、上記の靴の例も挙げられるように別にそんな事はなく、単に相手方は教育や知的水準が低いという前提の観点からアプローチをしないといけないというのが、今後のグローバルコミュニケーションにおいて求められることであろう。ちょっと難しい事を言ったが簡単にいうと、ヤンキーや不良が頭の悪い行動をした時にそこになんらかの理由があるかというと、普通はNOだろう。それと一緒だ。

日本は世界基準だとかなり頭脳レベルが高いため、日本水準に世界が合わせようとすると、実際難しい部分がある。よく日本の常識は世界の非常識だと揶揄する形として言われがちだが、実は筆者はこれはこれである意味正しいと思っており、日本人の一般的常識の水準は物凄く高い位置にあり、他国だとそれに追いつけるノウハウや頭脳がある国民知的水準が足りていないのが現実だ。トイレで用を足す、家では靴を脱ぐ、整理整頓する、身だしなみに気をつける、ゴミは分別する、ルールは守る、普段日本人がさりげなくこなしている部分も他国のおいてはとても実現が難しいところがあり、それこそやはり日本人が今まで長い歴史の中で養ってきたノウハウや歴史の積み重ねによる「文化的習慣」なのだろう。

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