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トイレで何を読むか?

屋内でいちばん落ち着く場所はどこか? トイレである。

ほかの部屋は「できること」に溢れていて、その広大さに茫然とする。
その点トイレは、言うまでもなく「すること」が明確な一方で、便器がその大半を占める極めて狭い空間であるため「できること」が限られる。
ひとたび個室の内に入ってしまえば他人の視線から遮蔽されるのも落ち着きをいっそう深める。生きやすい社会づくりのために公衆トイレを増やそうと坂口恭平は本気で提唱しているが私も賛成である。私が見る悪夢の典型パターンは二つあって、一つは隕石落下による破局、もう一つはトイレの隔壁があまりにも低いため他人の視線にさらされるというものだ。

トイレは、中学生までは親の監督から逃れてゲームをやり込むシェルターであった。失恋の苦い涙を下水道に注ぎ、人波で頭に籠った熱を冷却する場でもあった。どこへいってもトイレが利用できない悶絶を描ききった筒井康隆の短編「公衆排尿協会」を読んだときは本当に恐ろしかった。トイレで人間が排出するのは涙や熱といった、溜め込んでいては精神衛生に関わる重大なものでもあるからだ。
さて、高校時代の半ばに読書の味を覚えてからは、家のトイレは読書の格好の場と化した。数年前にブックスタンドを導入して小さな書棚めいた一角を設けていよいよ習慣が確立した。ほかにできることがさしてない、誰が見咎めるでもないトイレ特有の環境は、明鏡止水の境地でこつこつ紙面に向かう姿勢ととても親和性が高い。
荒俣宏は自ら「トイレ書斎派」を任じ、こう書いている。

私の場合、ズボンを脱いで便座に座ると集中力が増す。ズボンをはいたままだと気持ちが落ち着かないのだから、人間の習性とは不思議なものだ。… (中略)…そんなに集中できるなら、便器を買ってきて書斎にでも置けばいいではないかといって、実際そうした人の話を聞いたことがある。しかし、トイレというあの閉ざされた狭い空間だからこそ「環境力」が活きてくるのであって、書斎なんかに便器を置いても無用の長物になるだけかもしれない。

荒俣宏『0点主義 新しい知的生産の技術57』、2012、p.212

座れるならどこでも読書におあつらえ向きになるとは限らない。
われわれのからだに根差している習性には、トイレが必要だ。

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さてここまでひとしきりトイレ読書、「厠読」の醍醐味について思いの丈を表明したところで、おすすめのブックリスト15選を紹介する。常備しているか、いちど外してもすぐまた持ち込むかする書物たち。

一昨年の記事で選んだ本と一部重複するものもある。
眼精疲労でへとへとになっているときでも読んでなにかしらを汲み出せて、集中力を保てるようなときはまた違った味わいを堪能できるような、重層的な側面があると考えていただきたい。


📕1. 自選 谷川俊太郎詩集(岩波文庫)

「たぶんいまここで紙に向かわないと一日がしれっと終わる」と漠たる危機感をおぼえることがあって、そんなときは棚から谷川を抜き出してひとまずトイレに籠もる。まっさきに「二十億光年の孤独」に目を泳がせる。言葉で眼球と頭を漂白するような、沐浴みたいな、清浄な効果がある。印刷された活字だけが持つゆっくりしたリズムを体が取り戻してきたら、いくつかほかの詩を読む。

📕2. 茨木のり子詩集(岩波文庫)

「たぶんいま叱られたほうがいい気がする」と漠たる義務感が頭をもたげる浮ついた好景気のときがあって、そんな折は一礼して茨木。なかでも思い入れがあるのは「みずうみ」。人間の魅力の霧が立ち昇る、心の奥の静謐を描く彼女をまえに、地に足ついた好景気を心がけたくなる。叱る言葉は多いがしかしそれは読む者の前途を手折る質の文ではなくて、いわば「やるならやるでちゃんとなさい」と、受け取るこちらを信じて背を押してくれる。

📕3. 打ちのめされるようなすごい本(米原万里、文春文庫)

読みたい本が際限なく増えていくとき得てして私は好調。逆に、読みたいと思える本がまったく増えないし、手許にもないときはほとんど厭世的なありさまになる。そんなときは書評を読んで強制的に関心を持とうと試みる。
私淑している米原万里がその書き手とあれば、効果は言うまでもない。
一定の習慣を反復し絶対化する過程でこわばって重たい目と頭が、世界の豊穣さ、過剰さに打ちのめされる。悔しくてまた読みたくなる。

📕4. えーえんとくちから(笹井宏之、ちくま文庫)

「あまがえる進化史上でお前らと別れた朝の雨が降ってる」
彼の歌のうち、やすやすと誦じられるものを一つ。
静かなトイレで集中力が研ぎ澄まされているからか、身の回りの環境との境目をゆるめて、どんどん外へ溶け出していく笹井の方向性にすっと体の向きを合わせられる。ほかのどんな作家にもまして、彼の言葉を真似て書くことはきっとできないだろうと思う。

📕5. ケの美——あたりまえの日常に、宿るもの(佐藤卓編著、新潮社)

ブックリストを私が作るたびに毎回含めているのではと思うほどの思い入れのある本だ。ページをめくると、胸のうちにわだかまる、立ち止まりたい、歩きたい、踊りたいといった、焦りに近いさまざまの望みが浮かび上がる。各界の第一人者が考える、特別なにもしないけれど豊かな「ケ」の時間に佇んでのんびり想像を馳せると、ひとつひとつの行為を大事にしようと思え、意欲にへばりついていた焦りの狂熱がほどけて心地よい。

📕6. ロボ・サピエンス前史(島田虎之介、講談社モーニング)

就寝前の時間、歯を磨きつつ、トイレで用を足しつつ、本も読もうと贅沢に考えたとき、必ずといっていいほど本書を選ぶ。いずれまたその輪へと戻ると知っていても社会からぽこっと孤立したくなる時間はある。アンドロメダ
銀河の視点に立てば社会の瑣末な雑念から離れられる、と私が通った予備校の漢文講師は言っていたが、巨視的なスケールで時空間を見ると心が平静に立ち返ることはあると思う。本書をつうじて、便座に腰掛けて時間旅行する習慣を大事にしている。

📕7. 新明解国語辞典(三省堂)

トイレの一角に設けられるスペースなんて高が知れているから基本は軽量な本ばかりだが、辞書も持ち込みがち。知ったかぶりをしているけれどじつは曖昧な理解の語彙があるような気がして開く。あるいは、まったく知らない語彙をインストールしたくなって開く。新明解はよく応えてくれる。「恥ずかしい」と「気恥ずかしい」の違いを知って、トイレで呻いた夜もあった。

📕8. ラルースやさしい仏仏辞典(駿河台出版社)

外国語の辞書も持ち込む。もとフランスの出版社ラルースが発行したものを駿河台出版社が復刻した本書は、辞書にしては手への負担が少ないサイズだ。品切れやら絶版やらでこんにちの市場流通量はわずかで深刻に価格高騰しているが、大学のフランス語教官が強く推していたので入手した。基本語彙2815語をおさめたNiveau 1と、さらに多く発展して、5000語を収載するNiveau 2の2冊を所有している(Niveauはレベルのこと)。豊富かつ活きた例文と、風刺画めいた愉快なイラストとで学習効果は良好。

📕9. ベルリンうわの空(香山哲、イースト・プレス)

ひろく、外国文化に想いを馳せる場ともなる。実用性を押し出したガイドブックだとトイレの閉塞した空間が急に狭く息苦しくなってしまうたちなので、とりあえず現地で平穏に暮らしてそよ風に導かれるまま動く本書はとても厠読向き。全3巻のうち、ひとに2巻を貸して戻らないためしばらく疎遠になっているが、愛おしさはやみがたいので近々買い戻そうと思っている。
読書管理アプリ「ブクログ」では三部作に感想を寄せている。

📕10. ヘテロゲニア リンギスティコ(瀬野反人、角川コミックスエース)

外国どころか、実在さえしない文化圏の言語に触れる。
まえまえから気になっている「殺さないRPG」について、はっきりと意識的に考えるようになったのは本書と出会ってから。既存のコマンドで、固定した善悪の基準にもとづいて「敵」を倒して達成される「平和」の気持ち悪さに私は辟易していた。モンスターはヒーローに倒されるのを待つだけの虚しい存在ではないはずなのだ。じぶんを相手にひらいて、おずおずと対話を持ちかけていくことで戦闘を避ける道筋をここから考える。

📕11. 東京焼盡(内田百閒、中公文庫)

夏、8月が近づくたびに思い出される。
相次ぐ空襲で家を失いながらもこつこつと欠かさず、百閒は日記を書き留めた。その日のうちに書けなくとも数日中に必ず書く。憤りや哀しみで筆が乱れることはなく、出来事と、心によぎった感情を過不足なく記述している。戦禍にあってよくぞ落ち着いて文を書いていられたというべきか、文を書く営為を繰り返していたからこそ辛うじて気を保っていたというべきか、私には判らない。わからないから、夏の訪れるごとに話を聞きに頁を訪ねる。

📕12. 文鳥文庫(文鳥社)

多くて16ページ、蛇腹に折り畳めばほとんど空間を占めない一枚の紙、まさに厠読にうってつけの形態。太宰治からナサニエル・ホーソーン、村上春樹まで、作家の人選も食指をそそる。お気に入りを三つ、ホーソーンの「ウェイクフィールド」、江戸川乱歩の「一人二役」、尾崎翠の「初恋」。十数ページのわずかな付き合いではあるが、ぐっと惹きつけられる。すぐ終わってしまう短編はふだんあまり好かないが、こと厠読となればありがたい。
税抜150円という安価です、トイレでの読書文化のきっかけに気ままに一作買い求めてはいかがだろうか。

📕13. 人間臨終図巻(山田風太郎、徳間書店)

「今日ではほとんどの社会が共有する糞便の発する腐敗臭への嫌悪という文化の表層は、死の恐怖とその忌避という隠された深層へと、こうして(→生と死の不断の交換としての代謝作用という形で)密かに通じているのだ」と喝破したのはO・呂陵(『放屁という覚醒』、2007、p.17)。否応なくかの腐敗臭と顔つきあわせるほかないトイレという空間は、すなわち死を考えるうえで格好の場といえる。『人間臨終図巻』はその名のとおり、923人もの人間の死に際に焦点を当てて死を描破した大著。腐敗を直視しよう。

📕14. ほしとんで(本田、ジーンLINEコミックス)

死を見るのも詩を読むのもいささか荷が勝つが、それでもなにか、言葉を介して楽しいことしたいなという省エネな日は『ほしとんで』。望んで入った者がほとんどいない俳句ゼミのメンバーはみな、なにかしらの理由で発表や発言に不自由をおぼえている。じぶんの作品が周囲に及ぼした影響へのトラウマ、評価を受けることへの耐性のなさ、内に秘める嗜好と世間とのズレ、生まれもったアイデンティティとの距離感の悩み、芸術や創作への関心の乏しさ…そういった脆い学生たちが、「あらゆる表現が踏み躙られることがないように」と願い葛藤する講師や上級生を含めた輪のなかで、おずおずとじぶんの言葉をしゃべりだすさまに、私はいつも快哉を叫ぶ。

📕15. CITY(あらゐけいいち、講談社コミックプラス)

いまさら「尾籠な話で恐縮ですが」と前置きするのも憚られるが…腹が痛みに苛まれてトイレに駆け込んだのになかなか状況が好転しない泥沼戦争に突入することがままある。たいてい、トイレへの受難の道すがら「この戦は長引きそうだな」とわかる。私の蔵書はトイレの向かいの本棚に集中しているから、開戦の兆しがあると腹を抱えながらでも立ち寄れる。乱れる息を必死に整えながら棚からよくピックアップするのが本作である。
いままで手にした本でいちばん声を出して笑ったのがおそらく『CITY』。
腹痛の脅威をたやすくかすませるほどにいまでも笑わされる。腹がよじれて痛いし、涙目になるけれど、食あたりに屈服して覚える痛みと涙に比べたらずっと健康的だと思っている。


ついでに、トイレとその周辺を考える好著を挙げて本稿を締めくくろう。

📗16. 放屁という覚醒(O・呂陵、世織書房)

万人がうすうす気になっているであろう、あれの破壊力について考える。
ワリオのように風圧で壊すのではない。社会と文化に風穴を穿つ。

📗17. すゞしろ日記(山口晃、羽鳥書店)

バキュームカーを幼時から愛し、仔細に「喪失した便意再生法」を説く…

📗18. はばかりながら「トイレと文化」考(スチュアート・ヘンリ、文春文庫)

大学で専攻した人類学の教官におすすめを聞いたら真っ先にこれを挙げた。

📗19. パンツの面目 ふんどしの沽券(米原万里、ちくま文庫)

日本語とロシア語の通訳者が気づいた、日露そして世界のパンツ問題。

📗20. 躁鬱大学——気分の波で悩んでいるのは、あなただけではありません——(坂口恭平、新潮文庫)

人間、まずはトイレがなくてはならぬ。




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